大正十三年、二月。
忠範と千鶴の結婚式が、東京で執り行われた。
盛大な式だった。局長をはじめ、鉄道局の幹部たちが列席し、祝福の言葉が絶えなかった。
忠範は、紋付袴姿で式に臨んだ。
千鶴は、白無垢に身を包み、控えめに微笑んでいた。
すべては──順調に見えた。
だが、忠範の心には──常に、雅子がいた。
式の後、披露宴が開かれた。
来賓たちのスピーチ、祝杯、そして忠範の挨拶。
すべてを、忠範は機械的にこなした。
笑顔を作り、感謝の言葉を述べる。
だが──心は、遠くにあった。
雪の降る山間の町。
布団に横たわる、やつれた雅子。
あの涙。
あの別れ。
「伊藤さん」
千鶴の声に、忠範は我に返った。
「はい」
「大丈夫ですか」
「ええ……」
千鶴は、心配そうに忠範を見ていた。
だが、何も言わなかった。
彼女は──気づいているのかもしれない。
夫の心が、まだ別の誰かを想っていることに。
その夜。
新居に戻った忠範と千鶴。
二人は、並んで座った。
「伊藤さん」
千鶴が、静かに口を開いた。
「私、分かっています」
「……何をですか」
「あなたの心に、まだ誰かがいることを」
忠範は、息を呑んだ。
「千鶴さん……」
「いいんです」
千鶴は、微笑んだ。
「私は、待ちます」
「待つ……?」
「ええ。あなたの心が、いつか私を向いてくれる日を」
千鶴の目には、静かな決意があった。
「私は、あなたを愛しています。だから、待てます」
忠範は──何も言えなかった。
ただ、深く頭を下げた。
「……すみません」
「謝らないでください」
千鶴は、忠範の手を取った。
「これから、一緒に歩いていきましょう」
「はい……」
忠範は、小さく答えた。
一方、山間の町では。
雅子が、少しずつ回復していた。
志津の献身的な看病と、医者の治療のおかげだった。
春が近づき、雪も溶け始めた頃──。
雅子は、ようやく起き上がれるようになった。
「雅子さん、良かった……」
志津は、涙を流して喜んだ。
「ありがとう、志津ちゃん」
雅子は、か細い声で答えた。
「あなたのおかげよ」
「いいえ。雅子さんが、頑張ったんです」
志津は、雅子の手を握った。
「生きようって、決めたんですよね」
「……ええ」
雅子は、窓の外を見た。
山々に、春の気配が漂っている。
忠範が──最後に言った言葉。
「あなたが生きていてくれれば、僕は──どんなに辛くても、頑張れます」
その言葉が、雅子を支えた。
生きよう。
彼のために。
そして──自分のために。
だが、田村との生活は──変わらなかった。
むしろ、悪化していた。
雅子が病気になったことで、田村の苛立ちは増していた。
「いつまで寝ているんだ」
「まだ、体が……」
「言い訳するな」
田村の暴言は、日に日にひどくなった。
そして──ある夜。
酒に酔った田村が、雅子に手を上げた。
「お前は、役立たずだ!」
平手が、雅子の頬を打った。
雅子は、倒れた。
志津が、慌てて間に入った。
「やめてください!」
「お前も、黙れ!」
田村は、志津も突き飛ばした。
雅子は──もう、限界だった。
その夜。
志津と雅子は、こっそり家を出た。
少しの荷物だけを持って。
「どこへ行くんですか」
「どこでもいいわ。ここから、離れるだけで」
二人は、夜道を歩いた。
月明かりだけが、道を照らしていた。
「雅子さん……」
「大丈夫よ。私たちは、生きていける」
雅子は、志津の手を握った。
「一緒に、頑張りましょう」
数日後。
二人は、別の町へたどり着いた。
そこで、小さな織物工場を見つけ、働き始めた。
生活は厳しかったが──自由だった。
田村の暴力から、解放された。
雅子は、少しずつ元気を取り戻していった。
そして──時が流れた。
大正十三年、十四年、十五年。
昭和へと時代が変わり──。
忠範は、東京で鉄道員としてのキャリアを積んでいた。
千鶴との間に、子供も生まれた。
男の子だった。
幸せな家庭──のように見えた。
だが、忠範の心には──常に、雅子がいた。
彼女は、今どこで何をしているのだろう。
元気だろうか。
幸せだろうか。
昭和二年、春。
忠範は、出張で地方へ向かうことになった。
路線の視察のためだ。
列車を乗り継ぎ、いくつもの駅を回った。
そして──ある日の午後。
忠範は、小さな地方駅のホームに立っていた。
次の列車を待っている間、ふと周りを見回した。
桜の木が、満開だった。
花びらが、風に舞っている。
そして──。
忠範の目に、一人の女性が映った。
赤い手拭いを頭に巻き、風呂敷包みを抱えた女性。
後ろ姿だったが──。
忠範の心臓が、跳ねた。
「まさか……」
その立ち姿。
手拭いの色。
風呂敷包みの抱え方。
すべてが──雅子を思い出させた。
忠範は、一歩前に出た。
「小野さん……?」
小さく呟いた。
だが、その時──。
列車の汽笛が鳴り響いた。
忠範が乗る列車が、到着する。
女性は、改札へ向かって歩き出した。
忠範は、追いかけようとした。
だが──。
自分の列車が、ホームに滑り込んできた。
乗らなければ、次の視察に間に合わない。
忠範は、迷った。
そして──。
列車に、乗り込んだ。
窓から、必死に女性を探した。
だが──人混みの中に消えていた。
列車が、動き出す。
忠範は、窓に手を当てた。
「雅子さん……」
小さく呟いた。
あれは、本当に雅子だったのだろうか。
それとも──ただの、似た誰かだったのだろうか。
確かめることは──もう、できない。
列車は、駅を離れていった。
その夜。
忠範は、宿の部屋で一人、窓の外を見ていた。
月が、静かに輝いている。
同じ月を、雅子も見ているだろうか。
どこかで、元気に暮らしているだろうか。
忠範は、胸に手を当てた。
心臓が、静かに打っている。
その鼓動の中に──今も、雅子がいる。
「君、恋し……」
忠範は、小さく呟いた。
「今もなお」
一方。
別の町で、雅子は小さな部屋で暮らしていた。
志津と二人、織物の仕事を続けている。
生活は質素だが、穏やかだった。
その夜、雅子も窓の外を見ていた。
月が、美しかった。
「伊藤さん……」
小さく呟いた。
今日、駅で──見たような気がした。
忠範に似た、誰かを。
だが、それは気のせいだろう。
彼は、東京にいる。
幸せな家庭を築いている。
もう──自分とは、関係のない人だ。
だが──。
雅子の胸には、今も──。
忠範への想いが、消えずに残っていた。
「あなたは、元気ですか」
月に向かって、呟いた。
「私は……生きています」
「あなたが言ってくれた通り……生きています」
涙が、一筋流れた。
「でも……今も、あなたを愛しています」
昭和の時代は、続いていく。
忠範は、家族と共に東京で暮らし、鉄道員としての人生を全うした。
雅子は、志津と共に地方で暮らし、静かに日々を過ごした。
二人は──もう、会うことはなかった。
だが、それでも──。
二人の心には、あの日の想いが、消えることなく残り続けた。
桜井駅での出会い。
短い恋。
すれ違い。
別れ。
そして──変わらぬ愛情。
それは──二人の人生を、ずっと照らし続けた。
数十年後。
老いた忠範は、孫に囲まれながら、穏やかに暮らしていた。
だが、時折──遠くを見つめることがあった。
妻の千鶴は、それを見て、何も言わなかった。
ただ、優しく微笑んでいた。
ある春の日。
忠範は、一人で散歩に出た。
近くの公園に、桜の木があった。
満開の桜。
風が吹き、花びらが舞い散る。
忠範は、ベンチに座った。
そして──目を閉じた。
瞼の裏に、雅子の顔が浮かんだ。
若い頃の、美しい雅子。
微笑む雅子。
泣く雅子。
そして──最後に見た、やつれた雅子。
「小野さん……」
小さく呟いた。
「君、恋し……」
風が、優しく忠範を包んだ。
花びらが、舞い落ちる。
その中で──忠範は、静かに微笑んだ。
あの恋は──叶わなかった。
だが、確かにあった。
美しく、切なく、そして──永遠に。
同じ春の日。
遠く離れた町で、老いた雅子も桜を見ていた。
志津は、既にこの世にいない。
雅子は、一人で暮らしていた。
だが──孤独ではなかった。
心の中には、いつも──忠範がいた。
「伊藤さん……」
桜の花びらを、手に取った。
「会いたかったわ」
涙が、一筋流れた。
「でも……幸せだったわ」
「あなたに、愛されて」
雅子は、花びらを空に放った。
風が、それを運んでいく。
どこまでも、どこまでも。
忠範のいる場所へ──。
「さようなら……」
小さく呟いた。
「また、いつか……」
桜の花びらは、風に乗って──。
二つの町を、結んでいた。
忠範と雅子。
二人の恋は、終わらない。
時を超えて、距離を超えて──。
永遠に、続いていく。
君、恋し。
今もなお。
そして──これからも。
◆エピローグ
昭和も終わり、平成の時代。
とある郷土史家が、大正時代の地方鉄道について調査していた。
古い新聞記事、駅の記録、そして──一通の手紙の束を見つけた。
それは、伊藤忠範と小野雅子が交わした、手紙だった。
二人の恋の軌跡が、そこには記されていた。
郷土史家は、それを読んで涙した。
そして──こう記した。
「大正ロマンの時代、一組の若い男女が、身分の壁を越えて愛し合った。その恋は叶わなかったが、二人の心には、生涯消えることのない想いが残り続けた。これは、時代に翻弄された、純愛の物語である」
その記録は、郷土資料館に収められた。
今も、そこに──。
二人の恋の証が、静かに眠っている。
君、恋し。
永遠に。
忠範と千鶴の結婚式が、東京で執り行われた。
盛大な式だった。局長をはじめ、鉄道局の幹部たちが列席し、祝福の言葉が絶えなかった。
忠範は、紋付袴姿で式に臨んだ。
千鶴は、白無垢に身を包み、控えめに微笑んでいた。
すべては──順調に見えた。
だが、忠範の心には──常に、雅子がいた。
式の後、披露宴が開かれた。
来賓たちのスピーチ、祝杯、そして忠範の挨拶。
すべてを、忠範は機械的にこなした。
笑顔を作り、感謝の言葉を述べる。
だが──心は、遠くにあった。
雪の降る山間の町。
布団に横たわる、やつれた雅子。
あの涙。
あの別れ。
「伊藤さん」
千鶴の声に、忠範は我に返った。
「はい」
「大丈夫ですか」
「ええ……」
千鶴は、心配そうに忠範を見ていた。
だが、何も言わなかった。
彼女は──気づいているのかもしれない。
夫の心が、まだ別の誰かを想っていることに。
その夜。
新居に戻った忠範と千鶴。
二人は、並んで座った。
「伊藤さん」
千鶴が、静かに口を開いた。
「私、分かっています」
「……何をですか」
「あなたの心に、まだ誰かがいることを」
忠範は、息を呑んだ。
「千鶴さん……」
「いいんです」
千鶴は、微笑んだ。
「私は、待ちます」
「待つ……?」
「ええ。あなたの心が、いつか私を向いてくれる日を」
千鶴の目には、静かな決意があった。
「私は、あなたを愛しています。だから、待てます」
忠範は──何も言えなかった。
ただ、深く頭を下げた。
「……すみません」
「謝らないでください」
千鶴は、忠範の手を取った。
「これから、一緒に歩いていきましょう」
「はい……」
忠範は、小さく答えた。
一方、山間の町では。
雅子が、少しずつ回復していた。
志津の献身的な看病と、医者の治療のおかげだった。
春が近づき、雪も溶け始めた頃──。
雅子は、ようやく起き上がれるようになった。
「雅子さん、良かった……」
志津は、涙を流して喜んだ。
「ありがとう、志津ちゃん」
雅子は、か細い声で答えた。
「あなたのおかげよ」
「いいえ。雅子さんが、頑張ったんです」
志津は、雅子の手を握った。
「生きようって、決めたんですよね」
「……ええ」
雅子は、窓の外を見た。
山々に、春の気配が漂っている。
忠範が──最後に言った言葉。
「あなたが生きていてくれれば、僕は──どんなに辛くても、頑張れます」
その言葉が、雅子を支えた。
生きよう。
彼のために。
そして──自分のために。
だが、田村との生活は──変わらなかった。
むしろ、悪化していた。
雅子が病気になったことで、田村の苛立ちは増していた。
「いつまで寝ているんだ」
「まだ、体が……」
「言い訳するな」
田村の暴言は、日に日にひどくなった。
そして──ある夜。
酒に酔った田村が、雅子に手を上げた。
「お前は、役立たずだ!」
平手が、雅子の頬を打った。
雅子は、倒れた。
志津が、慌てて間に入った。
「やめてください!」
「お前も、黙れ!」
田村は、志津も突き飛ばした。
雅子は──もう、限界だった。
その夜。
志津と雅子は、こっそり家を出た。
少しの荷物だけを持って。
「どこへ行くんですか」
「どこでもいいわ。ここから、離れるだけで」
二人は、夜道を歩いた。
月明かりだけが、道を照らしていた。
「雅子さん……」
「大丈夫よ。私たちは、生きていける」
雅子は、志津の手を握った。
「一緒に、頑張りましょう」
数日後。
二人は、別の町へたどり着いた。
そこで、小さな織物工場を見つけ、働き始めた。
生活は厳しかったが──自由だった。
田村の暴力から、解放された。
雅子は、少しずつ元気を取り戻していった。
そして──時が流れた。
大正十三年、十四年、十五年。
昭和へと時代が変わり──。
忠範は、東京で鉄道員としてのキャリアを積んでいた。
千鶴との間に、子供も生まれた。
男の子だった。
幸せな家庭──のように見えた。
だが、忠範の心には──常に、雅子がいた。
彼女は、今どこで何をしているのだろう。
元気だろうか。
幸せだろうか。
昭和二年、春。
忠範は、出張で地方へ向かうことになった。
路線の視察のためだ。
列車を乗り継ぎ、いくつもの駅を回った。
そして──ある日の午後。
忠範は、小さな地方駅のホームに立っていた。
次の列車を待っている間、ふと周りを見回した。
桜の木が、満開だった。
花びらが、風に舞っている。
そして──。
忠範の目に、一人の女性が映った。
赤い手拭いを頭に巻き、風呂敷包みを抱えた女性。
後ろ姿だったが──。
忠範の心臓が、跳ねた。
「まさか……」
その立ち姿。
手拭いの色。
風呂敷包みの抱え方。
すべてが──雅子を思い出させた。
忠範は、一歩前に出た。
「小野さん……?」
小さく呟いた。
だが、その時──。
列車の汽笛が鳴り響いた。
忠範が乗る列車が、到着する。
女性は、改札へ向かって歩き出した。
忠範は、追いかけようとした。
だが──。
自分の列車が、ホームに滑り込んできた。
乗らなければ、次の視察に間に合わない。
忠範は、迷った。
そして──。
列車に、乗り込んだ。
窓から、必死に女性を探した。
だが──人混みの中に消えていた。
列車が、動き出す。
忠範は、窓に手を当てた。
「雅子さん……」
小さく呟いた。
あれは、本当に雅子だったのだろうか。
それとも──ただの、似た誰かだったのだろうか。
確かめることは──もう、できない。
列車は、駅を離れていった。
その夜。
忠範は、宿の部屋で一人、窓の外を見ていた。
月が、静かに輝いている。
同じ月を、雅子も見ているだろうか。
どこかで、元気に暮らしているだろうか。
忠範は、胸に手を当てた。
心臓が、静かに打っている。
その鼓動の中に──今も、雅子がいる。
「君、恋し……」
忠範は、小さく呟いた。
「今もなお」
一方。
別の町で、雅子は小さな部屋で暮らしていた。
志津と二人、織物の仕事を続けている。
生活は質素だが、穏やかだった。
その夜、雅子も窓の外を見ていた。
月が、美しかった。
「伊藤さん……」
小さく呟いた。
今日、駅で──見たような気がした。
忠範に似た、誰かを。
だが、それは気のせいだろう。
彼は、東京にいる。
幸せな家庭を築いている。
もう──自分とは、関係のない人だ。
だが──。
雅子の胸には、今も──。
忠範への想いが、消えずに残っていた。
「あなたは、元気ですか」
月に向かって、呟いた。
「私は……生きています」
「あなたが言ってくれた通り……生きています」
涙が、一筋流れた。
「でも……今も、あなたを愛しています」
昭和の時代は、続いていく。
忠範は、家族と共に東京で暮らし、鉄道員としての人生を全うした。
雅子は、志津と共に地方で暮らし、静かに日々を過ごした。
二人は──もう、会うことはなかった。
だが、それでも──。
二人の心には、あの日の想いが、消えることなく残り続けた。
桜井駅での出会い。
短い恋。
すれ違い。
別れ。
そして──変わらぬ愛情。
それは──二人の人生を、ずっと照らし続けた。
数十年後。
老いた忠範は、孫に囲まれながら、穏やかに暮らしていた。
だが、時折──遠くを見つめることがあった。
妻の千鶴は、それを見て、何も言わなかった。
ただ、優しく微笑んでいた。
ある春の日。
忠範は、一人で散歩に出た。
近くの公園に、桜の木があった。
満開の桜。
風が吹き、花びらが舞い散る。
忠範は、ベンチに座った。
そして──目を閉じた。
瞼の裏に、雅子の顔が浮かんだ。
若い頃の、美しい雅子。
微笑む雅子。
泣く雅子。
そして──最後に見た、やつれた雅子。
「小野さん……」
小さく呟いた。
「君、恋し……」
風が、優しく忠範を包んだ。
花びらが、舞い落ちる。
その中で──忠範は、静かに微笑んだ。
あの恋は──叶わなかった。
だが、確かにあった。
美しく、切なく、そして──永遠に。
同じ春の日。
遠く離れた町で、老いた雅子も桜を見ていた。
志津は、既にこの世にいない。
雅子は、一人で暮らしていた。
だが──孤独ではなかった。
心の中には、いつも──忠範がいた。
「伊藤さん……」
桜の花びらを、手に取った。
「会いたかったわ」
涙が、一筋流れた。
「でも……幸せだったわ」
「あなたに、愛されて」
雅子は、花びらを空に放った。
風が、それを運んでいく。
どこまでも、どこまでも。
忠範のいる場所へ──。
「さようなら……」
小さく呟いた。
「また、いつか……」
桜の花びらは、風に乗って──。
二つの町を、結んでいた。
忠範と雅子。
二人の恋は、終わらない。
時を超えて、距離を超えて──。
永遠に、続いていく。
君、恋し。
今もなお。
そして──これからも。
◆エピローグ
昭和も終わり、平成の時代。
とある郷土史家が、大正時代の地方鉄道について調査していた。
古い新聞記事、駅の記録、そして──一通の手紙の束を見つけた。
それは、伊藤忠範と小野雅子が交わした、手紙だった。
二人の恋の軌跡が、そこには記されていた。
郷土史家は、それを読んで涙した。
そして──こう記した。
「大正ロマンの時代、一組の若い男女が、身分の壁を越えて愛し合った。その恋は叶わなかったが、二人の心には、生涯消えることのない想いが残り続けた。これは、時代に翻弄された、純愛の物語である」
その記録は、郷土資料館に収められた。
今も、そこに──。
二人の恋の証が、静かに眠っている。
君、恋し。
永遠に。



