現アデスグラント国王と王妃の間にはお子が二人いる。
 世継ぎであるヴィルヘルム・フリードリヒ・シュヴァルツヴァルト王太子殿下。そして九つ下の妹君であるフロリアン・シュヴァルツヴァルト王女殿下であった。

 父王譲りの薄紅色の髪と瞳を持つフロリアン王女は、この国でも珍しい精霊の加護を受けていた。精霊の加護を受けると、先のことを予見できるという言い伝えがある。
 
 また幼少の頃からたいそう利発で、それゆえ周囲のものたちとは話が合わず、彼女には友と呼べる者がいないことが父王陛下の悩みであった。

 一方でヴィルヘルム王太子の方は、とても見目麗しいことで有名だ。その美しさときたら太陽に向かって咲くはずの大輪の花たちが、王太子見たさに彼のいる方角を向いて咲き誇る、といった逸話がまことしやかに流れるほどであった。
 
 輝くような金髪に、明るく柔らかい青色の瞳、上品な形の鼻に、口角があがっているがためにいつも微笑んでいるように見える唇。
 
 が、王太子はその外見とは裏腹に少々問題児でもあった。
 彼には時々護衛騎士を撒き、城下に行っては夜遅くに城に戻ってくるという悪癖があり、こちらもまた国王陛下の悩みの種で……。

「ちょっと待って」
「ロッテ、十六回目の待ってだよ」
 アルフレートは呆れたようにため息をつく。
 
 私とアルフレートは、王城に向かう馬車の中にいた。
 
 父であるラインフェルデン公爵は別の馬車で先に向かったため、既に城には到着しているはずだ。
 護衛騎士達に囲まれて、一台目が私たち、二台目には荷物と共に侍女のエマが乗っている。
 
 王宮に着く前に、王家の話をしたいとアルフレートが真剣な顔で迫ってきた為、私は馬車に揺られながらその授業を受けていた。
 
 国王陛下については、幼い頃は父に連れられて何度も謁見したこともあり、一般的な知識は持っている。
 但しアルのデリケートな問題もあって、これまでは子供達同士は積極的な関わり合いを持ってこなかった。
 
 それゆえ新年や王家の誕生日パーティーなどでしか拝顔したことがなく、アルから聞かされた王太子殿下と姫君についての情報については、新鮮な驚きとともに聞き入ってしまっていた。

 通常なら眠くなるような馬車の揺れも全く気にならないほど、アルの話は面白かった。ふと疑問が浮かぶ度に、アルの話の腰を折ってしまうのは仕方がないだろう。
 それにしても王太子殿下だ。彼は一体……。

「王太子殿下は街で何をしているの?」
「それが、よくわからないんだよね。わかっているのは毎回街外れにある小さなレストランに入っていく、ということぐらい」
「よく調べたわね……」

 相変わらずのアルフレートの情報通には舌を巻く。同じ家に住み、同じものを食べていてこうも違うものか。
 
 王太子が街にお忍びで赴くなんて、国家秘密だ。誘拐されたりと政局に利用されることもあるかもしれない。
 護衛騎士が撒かれるということは、王室は王太子の行先を把握できていないということだろう。
 
 なのにそれを……公爵家ではあるけれど、まだデビュタントも迎えてない子供が知ってるなんて。
 
(まさか良からぬことを考えてないわよね……)
 
 訝しんでいるのに気づいたのか、
「違うから!またおかしなことを考えてるでしょ」
とアルは慌てて取り繕う。
「お城に頻繁に上がることになるから、最近の王室周りをジェイに調べてもらったんだよ」
 
 ジェイは私の侍女エマの兄だ。剣術武術にとても長けているため、ラインフェルデン公爵家で隠密として働いてもらっている。彼から完全勝利するのが、目下の私の目標だ。

(最近見かけないと思ったら、アルの頼み事を受けていたのね)

「王太子殿下が誘拐されたり、万が一のことがあったら困るからさ。ジェイと配下の人たちに守って貰ってたんだよ」
「さすがアルフレート。優しいわね」
「いや、優しいとかじゃなくてさ。うちは王太子派だしね。それでなくても不安定なご立場なのに……」
「……不安定な?」

 王太子……つまりは国王陛下が次の国王に、と決められた名称だ。なのに一体何が不安定なのか。
「嘘でしょ……貴族の中では一般常識じゃないか」
 アルフレートが絶望的な顔をして、白く美しい手で顔を覆う。
 
「だから何が?教えてよ」
「王太子殿下はね……」

 アルの答えを聞く前に、ガタン!という音と振動と共に馬車が止まった。
 話し込んでいて、馬車のスピードが落ちていることに気づかなかったらしい。

「到着致しました」
 御者が扉を開く。
 残念だけど話はここまでだった。

「よし、行こう。ここからは私がアルフレート。あなたがシャルロッテだからね」
 ひそひそと囁けば、
「承知しておりますわ。アルフレート」
 私になりきっているアルが、ふふ、と小首を傾げて微笑んだ。
 それはいっそ悔しくないほどの可愛さだった。

 先に馬車から降りると、アルフレートをエスコートするために腕を伸ばす。その手を取ったアルフレートは、降りた瞬間私の耳に囁いた。

「ロイス伯爵の次男には気をつけて」
「……わかった」
(ロイス伯爵の次男て、確か同じ護衛騎士の子よね?)

 考える間もなく王宮への扉が開く。中からお母さまより年長に見える女性が出てきた。
 
 栗色の髪はうなじの少し上で引っ詰めてお団子にしている。縁が華奢な眼鏡をかけている姿は、いかにも真面目そうな女性といった感じだ。
 他の侍女たちと比べて着ている制服の色がひとり違うということは、恐らく侍女長だろうか。
 
「私は侍女長を勤めさせていただいております、レイチェル・ウェーバーと申します。ウェーバーとお呼びくださいませ。アルフレート様とシャルロッテ様ですね」
 私たちが頷くと、ウェーバー夫人は、
「この娘は王太子殿下付きの侍女の一人で、モニカです」
と、後ろにいた三つ編みの少女を紹介してくれた。

「アルフレート様はこのモニカに案内させます。シャルロッテ様と従者の方は私についてきてくださいませ」
 と言うと、ウェーバー夫人は先に歩き出した。
 
 アルフレートは、そっと私に目配せをする。
 
「目立ちすぎないようにね」
「あなたも無理しないで」
 
 アルの今月の発作は済んでるけど、私もやられたストレスというやつが心配だからね。

 アルの葡萄色のドレスが扉に吸い込まれていくのを見守っていると、後ろをついていくエマが一瞬振り返り、小さくガッツポーズをするのが見えた。
(任せてください、ってことよね)
 エマの優しさにほっとする。

「あの……ご紹介に預かりましたモニカと申します。今から護衛騎士様方の控え室にご案内します」
「ありがとう、モニカ嬢」
「モ、モニカで結構でございます!」
「わかりました、モニカ。よろしくね」
「ハイ、いえっ!ついてきてください」

 くるりと振り返り、歩き出したモニカの耳は真っ赤だった。歩くたびにおさげが揺れて可愛らしい。そのことを口にしたら、顔がイチゴのように赤くなってしまった。
(きっと人見知りか照れ屋なのね)

 それにしても、控え室に向かう廊下や階段や扉、全てが豪奢だった。かと言って品がないわけではない。階段の手摺りには繊細な細工が施されていて、見た目だけではなく触り心地も良く、滑りにくくもなっていた。
 細かい部分までこだわりが詰まっている造りなどは、さすが王太子宮といったところか。

 ただ不思議なのは、すれ違う侍女たちが皆目が合うと真っ赤になって、お辞儀するやいなや足早にいなくなってしまうことだった。
 皆が皆なので、なにか流行病にかかってるのでは、と心配になってしまうほどだ。
 
 暫く歩くと廊下の途中で一人の少年と出会った。モニカが一瞬ぎょっとしたので、思わず気色ばんでしまったが、右手には植木鋏、左手には薔薇を一本持ったその青年の顔をよく見ると、鼻の頭には土がついている。
 どうやら城の庭師のようだった。
 
「どうかしましたか?」
「そこに刺してあったんだけど、一本だけ元気がなくて」
 
 少年が指をさした方向には、大きな花瓶が飾ってあった。確かに彼の持っている薔薇は、首がガックリと下を向いてしまっている。
 
(ああ、それなら……)
 
「うまくいくかわからないけど、茎を水の中に入れたまま斜めに切ってみたらいいかも。といっても母の受け売りなだけで、私自身は試したことがないのですが」
 
 私のお節介に庭師の少年は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに目を細めて笑った。
「ありがとう。試してみるよ」
 
 とてもきれいな、朝の空の色に似た瞳だった。

「モニカ、行こうか」
「は、はい!」
 モニカは少年のいる方向を振り返ると、やけにおどおどしながら、
「こちらになります」
とすぐそばの扉をノックした。
 
「失礼致します。ラインフェルデン公爵家のご子息、アルフレートさまが到着しました……きゃっ!」
 
 モニカが小さな悲鳴と共に後ろに倒れ込みそうになる。中から勢いよく扉が開かれたのだ。
 間一髪ぶつかるのを避けたらしいモニカを支えながら開かれた部屋の中を見ると、そこには一人の少年が立っていた。
 
 彼は意地の悪そうな顔でニヤニヤ笑うと、
「うらなり野郎に居場所なんてないぞ。帰れよ」
と私の目を見て言い放つ。

「ロイス伯爵家の次男に気をつけて」

 私は、アルフレートの言葉を思い出していた。