その日は春先にしては暖かかった。
 昨日はまだ固く閉ざされていた蕾たちが綻び、花々が優しい風に吹かれて揺れているのが見える。
 もしかしたら僕たちの肩の力が抜けるように、父が『春を呼ぶ魔法』を使って、この場を温めてくれたのかもしれない。

 今日のテストは予想通り『二人のアルフレート』で臨む、庭園でのお茶会だ。
 
「……アル。ねえ、アルフレートってば」
 
 何度か呼ばれていたのだろう。隣を見ると唇を尖らせていたロッテと目があった。
 
「まさか、緊張してるの?」
「してないと言ったら嘘になるかな」
「そっか……」

 してないよ、という答えを期待していたのか、ロッテは意外そうな顔をする。
 でも、
「全然?余裕だよ」
って言ったらロッテは油断するでしょ?
 だから敢えて緊張してる風を装った……と言いたいところだけど、流石に緊張してるよ、僕だって。

 ……に、しても。
 今日のロッテは本当に僕とそっくりだった。
 これまでもイタズラで入れ替わっては両親の前に立ったり、おふざけで僕のフリをして邸宅を彷徨(うろつ)いていたことはあったけど、ここまで精巧に似せていたことはないはず。
 
 例の伯爵令嬢救助事件?がきっかけで短くなった赤褐色の髪を後ろでひとつに結び、オフホワイトの(すべ)らかな生地のシャツに、藍色のツープリーツパンツを身につけたロッテは、どこからどう見ても僕そのものだ。
 
 青白い顔色をしているのは、きっと病弱に見えるメイクを施してるのだろう。いつもの薔薇色の頬は、今日はその影を潜めている。
 前から思ってたけど、ロッテの侍女(エマ)はメイクの技術が高い。
 
「どう?アルそっくりでしょ」
「見た目はね」
「よかった。でもアルの方がまつ毛が多くて長いんだもの。偽物のまつ毛をつけたのけど、少し視界が鬱陶しいわ」
「僕もいつもより厚底のブーツを履いてるんだ。些細なことは我慢しよう」
「わかってるわよ……」

 こうして、若干の不安は残るものの、立会人の父と試験官の母を迎えて、お茶会という名のテストが始まった。

 テーブルにはパステルカラーが可愛らしいマカロンに、甘いものには目がない父が選んだと思われる、アップルパイを始めとした焼き菓子たちが並んでいる。恐らく首都にある人気のパティシエに作らせたものだろう。
 
 どれも父と同様にロッテの好物だ。本当なら今すぐ取り分けて食べたいはず……。
 それに加えて、今日の紅茶はローズヒップだ。僕は気にならないけど、酸味が余り得意じゃないロッテは飲めるだろうか。

 見事なまでの母のトラップ。
 いつものロッテなら、お茶を味合うのもそこそこに焼き菓子に手を伸ばすはず……。
 
 心配になりそれとなくロッテに視線をやると、彼女は全く意に介さずにティーカップを持ち上げると、まずは香りを楽しんだあと二口ほど飲んでみせた。
 そのあと、にこりと微笑むのも忘れはしない。
 
(よかった、出だしは順調だね)
とほっとしたのも束の間、
「シャルロッテ、ローズヒップが飲めるようになったのね」
 大人になったわね、なんて優しく微笑みながら、母がロッテに仕掛けてくる。
 
 けれどロッテはそれを上手に躱わす。
「僕は元々嫌いじゃないですよ、母上」
『お母さま』と口にしていたら、一発でアウトだったろう。

 ロッテはとにかく丁寧に、僕は少し雑さを加えて行動する。そのバランスを大事にしよう、昨日ロッテが部屋を後にする時に約束したことだ。
 
 それともうひとつ。
『僕に見せかける』のではなく『僕の内面を意識して動く』こと。
 僕だったらどう動くか、どんな言葉を口にするか。
(双子のキミだから、きっとわかるはず)
 
 時折母からは、
「このマカロンはあなたのために用意したのよ」
とか、
「お茶のお代わりはよくて?」
など、試されるような質問があったけど、僕もロッテも無難に答えることができ、ここまでは拍子抜けするくらいに順調だった。

 母の表情は読めないけど、父はもうずっと目を白黒させてる。
 まあ父の場合は、いつでもどちらがどちらかわからない状態だとは思うけど。

 ◇
 
 テスト開始から半刻は経った頃だろうか。
 母が手を掛けていた薔薇が咲いたそうだ、と言う話から、今いるガゼボから少し歩いたところにある、その薔薇をみんなで見に行くことになった。
 
(僕が母上をエスコートするから)
 ロッテに軽く目配せする。
 いつもなら瞬きでレスポンスが返ってくるのに、今日のロッテからはそれがなかった。
(元気がない?)
 それとも、ロッテなりの『アルフレートらしさ』なのだろうか。
 
(やりすぎは良くないんだけどな……)
 些細な仕草から母は僕らを見分けてくるから……気をつけないと。
 ロッテなら少し雑に椅子から立ち上がる、そう意識して勢いよく立ち上がった。
 その時……。
 
 ……そう、その時は突然やってきた。
 レンガ敷きに挟まっていた小石に椅子の脚が引っかかり、中途半端にしか立ち上がれなかった僕は、よろけてバランスを崩す。
 
 いつもより高い上げ底のブーツを履いてたことも、ミスをリカバリできない原因だった。
 ぐらり、と視界が傾き、
(しまった!転ぶ!)
と思った瞬間、左の腰が味わう筈のレンガの硬さを覚悟した。

「アルフレート!」

 父と母の叫ぶ声。
 大げさだな、全然痛くないのに…。
(痛くない?そんな筈は…)

 僕の下には、支えるように潜り込んだシャルロッテがいた。
「…!」
 思わず名前を呼びそうになる。
「詰めが甘いよ」
 普段のロッテなら言わない筈のセリフ。
 その皮肉めいた笑い方も。
 今まさにロッテは僕だった。
 
(ああ、そうか…)
 ロッテはこのアクシデントもチャンスに変えようと思ってるんだ。
 父と母が駆け寄ってくる。
「二人とも怪我はないの?」

「大丈夫です、ね?」
 乗っかってしまっていたロッテから体をどかし、彼女に同意を求める。
 が……。
(ロッテ?)
 シャルロッテは(うずくま)ったまま小さく震えていた。
 
(ちょっとロッテ、いくらなんでもやりすぎだって)
 演技しすぎるとわざとらしさが鼻につき、すぐに見破られてしまうだろう。
「ねえってば…」

 ロッテの頬に触れると、
「すごい汗……」
 本当に具合が悪いんだ!

「父上!医者を呼んでください!」
気づいたら叫んでいた。
 父は慌てて呼び鈴を鳴らしたけど、近くで待機していた執事が来るのも待てずに屋敷へと駆けて行った。
 
 痛みに強いロッテが、青ざめて脂汗を流すほどだなんて。
 顔色が冴えないのはメイクのせいじゃなくて、本当に体調が悪かったのか……。
 双子なのに、一番近くにいた僕が気づけなかったこともショックだった。

「なんて顔してるのよ」
 僕にしか聞こえない声でロッテが囁いてきた。
「だけど……」
「私なら平気よ、このまま……」

(なにが、「ロッテにかかってる」だよ。動揺してなにもできないのは僕じゃないか……)

 近くまで来た母を確認したロッテが、
「……大丈夫です。続けてください……」
 絞り出すような声で懇願する。
「大丈夫なわけないでしょう!」
 母が僕に代わり、ロッテの体を抱き起こし支える。
「平気です。母上…お願いします。僕がアルフレートです……」
「あなたって子は……」
「母上、続けて……」

 ロッテは腹部を押さえて丸くなる。
 それは、僕が腹痛の時に取るポーズだった。
 
(シャルロッテ……)
 残念だけど、この勝負は僕たちの負けだよ。
 母上はきっと、キミが僕じゃないことに気づいてる筈。
 
(だって僕には、ロッテみたいな根性はないもの)