「陛下からのご提案、お断りするわけにはいかないですよね」
「……」

 アルフレートの問いに父の返事はない。きっとそれが答えなのだろう。
 いくら父と陛下が仲がいいからといって、命令となれば話は別だ。

 そもそも、王太子と姫君に関われる名誉を断る理由がない。それに陛下が他に声をかけている相手は、同じ公爵家である。さらに言えば母を取り合ったという、因縁のあるアーレンベルク公爵だ。
 もしも断われたとしても、そんな相手に先を越されるのは、父としてもできれば避けたいのではないか。
 
 だとしたら、一体どうしたらよいのだろう。
 
「シャルロッテ」
「なに?」
 
 アルが私をフルネームで呼んだ。その多くは、大事なことを決めたときや、私に何か頼みがあるときだ。

「僕に剣術を教えて欲しい。その代わり僕はきみに刺繍の腕を伝授するから」
「無理よ。剣術以前にアルには筋肉がついてないもの。土台から作るには何年も必要だし、それ以前にあなたの体がもたないわよ。まあ、私の刺繍の腕は別だけど」
 
 私の正直な答えに、アルはムッと鼻白んだ。
 
「……そうかな?僕の体力なんかより、きみの刺繍の方が壊滅的だからね。あのセンスの無さ……双子とは思えないよ」

 そんなことを言われて、黙っていられる私じゃない。
 
「さっきからなに?アルは私にケンカを売ってるの?」
「きみとケンカはムリ。ケンカは知能レベルが同じくらいの相手じゃないとできないからね」
「なんですって!」
「もう一度言おうか?」

「二人ともおやめなさい!」

 瞬間、執務室の窓がビリリ!と音を立てて震えた。
 もちろんお怒りになってるのは天の神様ではなく、私たちのお母さまだ。
 
 昔は私への母のカミナリ(お説教)のせいで、屋敷の窓が何枚も犠牲になった。そのために窓には強化魔法がかけてある。暴風雨くらいではびくともしないその窓が……。

「……今、ピシッて聞こえなかった?」
「聞こえた。今年になってからは初めてだね」

 アルとこそこそ話してたら、
「ケンカなどをしている場合じゃないのですよ」
 と母からのお小言を貰ってしまった。
 
「まあまあ、サーシャ。そんなに神経質にならなくても……」
「……あなた、真剣に考えてます?」
「う、うむ?」
 
 被弾を喰らった父が、額の汗をハンカチで拭いながら助けを求めるようにこちらを見てくる。だがすぐに、双子のどちらからも援護は期待できないことを理解すると、さらに深い穴を掘り続けた。
 
「本当にな、お前たちが入れ替われたら(・・・・・・・)よかったのにな」

 その言葉を聞いた母の周りから、パチパチと静電気のようなものが煌めいているのが見える。
 次の落雷まであと僅かだろう。
 
(またお父さまったら、お母さまのお怒りに油を注ぐようなことを……、ってアレ?)

「そうだ。それよ!」
「ロッテ……」

(アルも気がついたのね)
 
「私とアルが入れ替わったらいいのよ!私が王太子の護衛騎士を、アルが姫君のお話し相手を務めればいい」

「シャルロッテ!」
 
 母のカミナリは父ではなく私に落ちた。大丈夫。避雷針になるのには慣れてるわ。
 
「でもお母さま、それがベストだと思うの。私が男装したらアルそっくりだし、アルだってドレスを着たら私になれる。背丈だってそんなに変わらないのよ」
 
 ね!
 とアルを見ると、唇にきれいな指先を当てて何か考えこんでいる。
(アルったら。同じことを考えてたんじゃないの?)
 
 慌てたのは父である。
「シャルロッテ。私が言い出したことだが、さすがに無理があるだろう。いくら双子だと言っても、お前たちは男女なのだから」
 冗談に決まっているじゃないか、と父はひきつった笑顔を見せるが……。
 
「あら。お父さまは、三日前に私がアルの格好をしていても、まったく気づかなかったのに?」
「うん?……まさか!」
「すれ違って、ご挨拶してもまったく」
「……もしや演習場から出てきたのは」
「もう、お父さまったら!アルが演習場なんて。一体どんなご用があるとお思いですか?」
 
「うーん……」
 と小さく唸りながら父は頭を抱えた。
「二人が幼い頃ならいざ知らず、十五にもなって気づかないとは……、だが!」
 父は頭を抱えたまま、急に勢いづいた。
「サーシャ!これはいけるぞ!親の私ですら気づかなかったんだ!」
「……あなたまで。シャルロッテがこれ以上本気になったらどうするのですか。それにあなたは昔から、この子たちの入れ替わりに殆ど気づかなかったではありませんか」
 
 呆れ果ててものも言えない、母の表情がそう物語っていた。
 言われてみれば父には、幼少の頃から私たちが入れ替わっても気付かれなかった。反対に母には見破られてばかりだ。
 
 どんなにうまくアルに変装できたとしても、
「シャルロッテ、タイが曲がってるわよ」
「シャルロッテ、唇に蜂蜜がついているわ」
などと、私の方がカマをかけられて自滅していた。
 
 でも私もあの時とは違う。幼かった私ではコントロールできなかった、とっておきの魔法が今はあるのだ。
 それは、

「母上、ロッテには『見たものになれる魔法』があります。それを使えば、うまく行く可能性も上がるはずです」
「アル!」

(やっぱりアルが味方してくれた!)

 そう、私には「見たものになれる魔法」がある。一度見たことのある人間であればその人そっくりになれる。もちろん外見だけだけど。
 但し、残念ながらいいことばかりじゃない。
 母もそれを知っている。だからこそ眉を顰めたのだろう。

「あなたのその魔法は、魔力の消費が激しすぎるでしょう。そんなものを王宮にいる間使い続けたら……体に大きな負担がかかってしまうわ」
「お母さま……」
「私たちはどうなってもいい。でももしあなたが倒れて入れ替わりが見破られたら……あなた達にまでお咎めが及んでしまうのよ」
 
 母は怖いけど、いつだってそれ以上に私たちへと惜しみなく愛情を注いでくれる。
 
(だから私たちはお母さまが大好きだ。もちろんお父さまも)
 
 両親が私たちを愛し守ってくれているように、私たちも守りたいのだ。
 家族を、ラインフェルデン公爵家を。
 
「母上、ロッテの言う通り僕と彼女はそっくりです。母上でなければ、まず見抜けない。だからロッテの魔法はずっと使う必要はありません。王宮にも貴族たちにも、僕たちをよく知る第三者はいない。普段は魔法を使わなくても見破られる心配はない、ということになります」

(さっき考え込んでたのは、これだったのね)
 
 すらすらと理論立てて説明するアルは、とても頼もしく感じられた。

「……もしも万が一使うとしたら、最悪の事態に陥った時のみでいい。短時間であれば、ロッテの体にも負担にならないはずです」
「そうは言っても……」

 母のアイスグレーの瞳に迷いの色が浮かんだ。心配と希望と、そんなものが混じり合った色だった。
 
(あともうひと押し……。私も何か言わなきゃ。アルにばっかり頑張らせたくない。私はお姉ちゃんなんだから!)

「お母さま、私たちをテストしてください!入れ替わった私たちがお母さまに見破られなかったら、この作戦を認めてくださいませんか!?」

(どうよ、アル!これで決まりじゃない?)

 一歩後ろにいるアルを振り返ってみたら、私の想像してた顔と全く違った。何か、どうしようもないものを見るような視線で私を見ている。
 やがてゆっくりと唇が動く。声に出してはないけど、私にはこう聞こえた。
「無謀すぎるでしょ」
と。
 
(あれ?私。なにか間違えたこと言ったかしら……?)