少年たちを送り届けた先は、いわゆる貧困街と言われる場所だった。
街灯を点すための魔法が引かれておらず、灯りのひとつもない。そのうえ道も、狭い上にでこぼこしていて歩きにくい。
頼りになるのはささやかな月の光と星の瞬き。それからデボラさんが渡してくれた、ランタンだけだ。
「ただいまあ!」
元気な子供たちとは対照的に、家の中から出てきた母親は華奢な……いや、痩せすぎなほど小さな体をしていた。
その小さな体を折り曲げて、私たちに何度もお礼を伝えてくる。
貧困街という場所があるのは知っていた。生活が苦しい民たちが住んでいる場所、それだけだ。言葉の意味以上でも以下でもなく、深く考えたことなどなかったから……。
フリッツやローミなど親がいない子もいる。
そんなこと、目の前で見るまで物語の中だけの話かと思っていた。
当たり前のように父がいて、母がいて、毎日温かく美味しい食事が出てくる私。
私は……。
羞恥に居た堪れなくなり、隣にいる王太子殿下をそっと見上げる。
殿下は、
「またおいで」
と子供達に笑顔を見せていた。
偽善からでも、憐憫の情からでもなく、ごくごく自然な笑顔。
(殿下はなんでこんなふうに笑うことができるんだろう)
私は現実から目を逸らして、俯くことしかできなかった。
♢
「少し遠回りしようか」
そんなふうに誘われて、殿下に連れてこられたのは街の広場だった。収穫祭や朝市などが開かれるときは、この場所が一番人気となるらしい。
人工的に作られたせせらぎが、広場の真ん中にある噴水につながっている。ただし、夜だからか今は水の供給が止まっているようだ。
弾ける水飛沫に濡れる心配もないので、二人して噴水の淵に腰掛ける。
殿下には、聞いてみたいことがたくさんあった。
なぜ城を抜け出してまでデボラさんの手伝いをしているのか。
また名声が上がる行為を、できるだけ目立たなくするのはなぜか。
それから……、それからどうして、私に自分の魔法を明かしてくれたのか。
聞いてみたかった。
殿下の考えを知りたかった。
王太子殿下のことを、もっと知りたいと思った。
なぜか?と問われれば、ただの好奇心から、となるのかもしれない。
だけど……。
先程見た少年たちの母親の姿が忘れられず、頭がうまく回らない。質問するのにこんなに気力がいるなんて知らなかった。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
ぐるぐると考えていたら、殿下に先手を取られてしまった。
「ローミのことも。キミがいなかったらどうなっていたか。心から感謝する」
続けて告げられた言葉に焦る。
お礼を言われることなどしていない。
むしろ殿下を危険に晒した、と糾弾されてもおかしくないのだ。
「そんな!私こそ……欲張りですみません」
「欲張り?……ああ、人攫いを捕まえたこと?」
ふはっ、と殿下は笑った。
「キミは本当に真面目だね」
と。
真面目?真面目だろうか?私が?
アルフレートならともかく、この私が?
「お手柄なんだ。もっと誇っていい」
「……そんな。それをいうなら殿下だって」
「?」
「殿下だって、デボラさんのお手伝いをこっそりしてるじゃないですか……」
殿下は私の言葉に、驚いたように目を丸くする。
それから、まあ、そうだね……、と紺碧の空を仰ぎ見た。
綺麗な横顔だ。
額へと落ちる金色の髪が灯りで煌めいている。ホリゾンブルーの瞳には、長い睫毛がくっきりと影を落としているのが見えた。
さすがに絶世の美貌、と呼ばれる美しさだ。
思わず見惚れてしまいそうになり、私は慌てて頭を二度三度ブンブンと振った。
殿下はそんな私を見て小さく笑う。そして、少し間を置いた後に、
「僕の両親が、前国王夫妻なのは知っているかい?」
と尋ねてきた。
もちろんそのことは、父とアルフレートから聞いて知ってはいる。
知ってはいるが……。
小さくハッと息を呑んだ私に、殿下は気付いたようだ。
「そんな顔はしなくていいんだ。お二人は優しいし、たくさん愛してくれている」
殿下はズボンのポケットをゴソゴソすると、例のキャスケットを取り出した。
「コイツは元々父のものでね。ある日父の遺品の中から、使い方を記した紙と一緒に見つけた」
「!」
前国王の遺品……となると少なくとも、十七年以上前のものになるのだろうか。
(だから今の魔道具よりも力が弱かったんだわ。ということは、透明になれるリングもそうなのかも……)
愛おしそうにに殿下はキャスケットを見つめる。
「最初は父が何を考えてこれを持っていたのか知りたくて使ってみた。まさか短い距離しか飛べないなんて知らなかったから。……外出先で使ってどこに出たと思う?」
試すように私を覗き込む殿下は、いたずら盛りの少年のようだ。
「えっと……」
「墓地だよ。それも葬儀の最中。いきなり現れた僕を見た参列者たちが逃げ出しちゃってさ」
悪いことをしたよ、と殿下は続けたが、本当に思ってる?と疑いたくなるほど楽しそうだ。
「そのあとは、注意しながら街に向かうようになった。好奇心に従ったのもあるけど、デボラがレストランを開いたって耳にしてたから」
そこで彼女が慈善活動をしてるのを知って手伝い始めたのか……。
「でもどうして……」
どうして国王陛下に協力を頼まなかったの?
良い行いなのにこっそり抜け出すなんて、逆に陛下や臣下達からの評価を下げてしまうのに。
「もしも義父が、自分と同じ境遇のものたちの傍は家族よりも居心地がいいのか、と考えてしまったら、……と思ってね。どんなに違うと言っても、傷つけてしまう気がした。それに……」
殿下は深く息を吐いた。
「跡を継ぐのはフロリアンが相応しい、と僕は思ってるから。僕に失望して、あの子が王太女になるなら本望だ」
「そんな、なんで……っ」
私は目を剥いて叫んでしまった。
その声が思いの外広場内に反響して、しまった!と辺りを見回す。が、誰かがやって来る気配はなくほっとした。
一人で慌てたり、安堵している私を見ていたはずの殿下だったが、こともなげに続ける。
「あの子はとても賢いし、それに精霊の加護がある。先読みの力は、この国をいい方向へと導いてくれるだろう」
「……」
黙ってしまった私を見て、殿下は可笑しそうに笑う。
「僕の父が義父の兄だっただけで、その立場を僕に返そうなんて……義理堅いが過ぎるよ。才がある者が導く方が、国民は幸せになれるというのに」
ああ……、そうか。
殿下は自分には才がないと思っているのだ。
王太子の器ではないと。
自分が国を継いでも、国民は喜ばないと思っている。
(でも、私はもう知ってしまった)
「果たしてそうでしょうか?」
「?」
「国王ご夫妻が『殿下が前国王のご子息だから』というだけで王太子にされたとお思いですか?」
(王太子殿下の強くて優しいところを、私は知ってしまったから)
言わせてもらいたいことが、山のようにあった。
けどさすがに公爵令嬢のままでは、王太子殿下にお説教なんてできないもの。
「……こほん、ちょっとさっきのロッテお嬢様にもどりますね」
「?」
「ヴィルさん、それはお父上たちを馬鹿にしすぎです。責任のあることを『兄の血筋だから』で決めるわけないじゃないですか。子供の頃からヴィルさんを見てきたからこそ、ヴィルさんを選んだに決まってます!」
そもそも私が一日で気付いたことを、十七年間も一緒にいた国王ご夫妻が知らないはずがないのだ。
「ヴィルさんは支援が必要な人たちに寄り添える方です。目を逸らさずに向き合える方です」
私は忘れない。
私が自己嫌悪で何も言えなかった時に、少年たちの母親に向き合ってた姿を。
俯かず、現実から目を逸らさなかった殿下の姿を。
「そんな強くて優しい人に導かれる民たちが、本当に不幸だと思われますか?」
「……アルフレート……」
だから。
「これからもデボラさんのお手伝いをするなら、絶対偉くなった方がいいです。この国で一番偉いひとなら、きっと今よりもっと手厚い支援ができるはず。……でしょう?」
今度は殿下が小さく息を呑む。
が、すぐに瞳に絶望の影を宿した。
「デボラには出禁にされてしまったよ?」
「ええ。だから今度は護衛騎士のみんなで来ましょうよ。私も一人より心強いです。ちゃんと陛下の許可をとって、みんなでお忍びで」
許可をとってお忍びで、というのは我ながら支離滅裂だと思う。
でもこのくらい言わないと、目の前にいる優しい人には伝わらないから。
今だってきっと考えてる。
「みん……」
「『みんなを巻き込むのは申し訳ない……』とか、殿下は思ってるのかもしれませんが……」
殿下の背中側の暗闇から、いくつかの小さな灯りが浮かんで見えた。そしてそれは徐々に大きくなってくる。
「ほら、あちらに」
「……え?」
少しずつ大きくなる靴音とざわめき。
共にやってきたのは、
「殿下ー」
「ばか!その呼び方はやめろ」
「ヴィル様ー!」
半日会わなかった懐かしの面々。
「殿下に巻き込まれたい人たちが、迎えに来ましたよ」
「!」
振り向いた王太子殿下は、信じられないものを見るような顔をしたあと、弾かれるように立ち上がった。
「ヴィルさま、水臭いじゃないですか。俺たちにも手伝わせてくださいよ」
と隊長のテオが大きな体で拗ねてみせれば、
「アルフレートばっかり抜け駆けがけ……っておまっ!なんで女の子の格好してるんだ?」
「似合っててこわいっ!」
こんな時まで息がぴったりのイーサンとノア。
いつもの賑やかな騎士団の面々だ。
「どうして……」
動揺している殿下を、テオは珍しそうに眺める。そして嬉しそうに笑うと、
「街を探索していたら、本日大捕物で活躍した二人組がいると警備兵から聞きまして。そこからデボラさんに辿り着いたというわけです」
毎回それだけ派手にやってくだされば、俺たちも苦労しなかったのに。
そんな冗談とも本気ともつかないセリフを殿下に言えるのは、テオが伯叔父でもあるからだろうか。
みんなに会って、固かった殿下の表情が徐々に和らいでいくのがわかる。
「ありがとう、テオ、イーサン、ノア……」
急に年相応の少年に戻ってしまった殿下を見て、テオはニヤリと笑った。
「お礼はまだ早いですよ。とりあえず、国王陛下からの大目玉を、一緒に喰らうと致しますか!」
みんなが前を歩いていくのを確認しながら、私も殿下の背中をゆっくりと追いかける。
その時。
殿下はさっと振り返り、私に駆け寄ると耳元で囁いた。
「ありがとう、ロッテ様」
それだけ言うと殿下はまたすぐに前を向く。
何事もなかったかのように。
ほんの一瞬のことなのに、耳朶が熱い。
ドクン!ドクン!と早鐘のような鼓動が胸を打ち、治ったはずの不整脈が蘇る。
(まったく……持ち主の言うことをきかない心臓ね!)
コントロールできない感情の嵐の中、私の長かった一日は終わりを告げようとしていた。
……サボンの香りと、どうしようもなく甘苦い胸の痛みを残して。
街灯を点すための魔法が引かれておらず、灯りのひとつもない。そのうえ道も、狭い上にでこぼこしていて歩きにくい。
頼りになるのはささやかな月の光と星の瞬き。それからデボラさんが渡してくれた、ランタンだけだ。
「ただいまあ!」
元気な子供たちとは対照的に、家の中から出てきた母親は華奢な……いや、痩せすぎなほど小さな体をしていた。
その小さな体を折り曲げて、私たちに何度もお礼を伝えてくる。
貧困街という場所があるのは知っていた。生活が苦しい民たちが住んでいる場所、それだけだ。言葉の意味以上でも以下でもなく、深く考えたことなどなかったから……。
フリッツやローミなど親がいない子もいる。
そんなこと、目の前で見るまで物語の中だけの話かと思っていた。
当たり前のように父がいて、母がいて、毎日温かく美味しい食事が出てくる私。
私は……。
羞恥に居た堪れなくなり、隣にいる王太子殿下をそっと見上げる。
殿下は、
「またおいで」
と子供達に笑顔を見せていた。
偽善からでも、憐憫の情からでもなく、ごくごく自然な笑顔。
(殿下はなんでこんなふうに笑うことができるんだろう)
私は現実から目を逸らして、俯くことしかできなかった。
♢
「少し遠回りしようか」
そんなふうに誘われて、殿下に連れてこられたのは街の広場だった。収穫祭や朝市などが開かれるときは、この場所が一番人気となるらしい。
人工的に作られたせせらぎが、広場の真ん中にある噴水につながっている。ただし、夜だからか今は水の供給が止まっているようだ。
弾ける水飛沫に濡れる心配もないので、二人して噴水の淵に腰掛ける。
殿下には、聞いてみたいことがたくさんあった。
なぜ城を抜け出してまでデボラさんの手伝いをしているのか。
また名声が上がる行為を、できるだけ目立たなくするのはなぜか。
それから……、それからどうして、私に自分の魔法を明かしてくれたのか。
聞いてみたかった。
殿下の考えを知りたかった。
王太子殿下のことを、もっと知りたいと思った。
なぜか?と問われれば、ただの好奇心から、となるのかもしれない。
だけど……。
先程見た少年たちの母親の姿が忘れられず、頭がうまく回らない。質問するのにこんなに気力がいるなんて知らなかった。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
ぐるぐると考えていたら、殿下に先手を取られてしまった。
「ローミのことも。キミがいなかったらどうなっていたか。心から感謝する」
続けて告げられた言葉に焦る。
お礼を言われることなどしていない。
むしろ殿下を危険に晒した、と糾弾されてもおかしくないのだ。
「そんな!私こそ……欲張りですみません」
「欲張り?……ああ、人攫いを捕まえたこと?」
ふはっ、と殿下は笑った。
「キミは本当に真面目だね」
と。
真面目?真面目だろうか?私が?
アルフレートならともかく、この私が?
「お手柄なんだ。もっと誇っていい」
「……そんな。それをいうなら殿下だって」
「?」
「殿下だって、デボラさんのお手伝いをこっそりしてるじゃないですか……」
殿下は私の言葉に、驚いたように目を丸くする。
それから、まあ、そうだね……、と紺碧の空を仰ぎ見た。
綺麗な横顔だ。
額へと落ちる金色の髪が灯りで煌めいている。ホリゾンブルーの瞳には、長い睫毛がくっきりと影を落としているのが見えた。
さすがに絶世の美貌、と呼ばれる美しさだ。
思わず見惚れてしまいそうになり、私は慌てて頭を二度三度ブンブンと振った。
殿下はそんな私を見て小さく笑う。そして、少し間を置いた後に、
「僕の両親が、前国王夫妻なのは知っているかい?」
と尋ねてきた。
もちろんそのことは、父とアルフレートから聞いて知ってはいる。
知ってはいるが……。
小さくハッと息を呑んだ私に、殿下は気付いたようだ。
「そんな顔はしなくていいんだ。お二人は優しいし、たくさん愛してくれている」
殿下はズボンのポケットをゴソゴソすると、例のキャスケットを取り出した。
「コイツは元々父のものでね。ある日父の遺品の中から、使い方を記した紙と一緒に見つけた」
「!」
前国王の遺品……となると少なくとも、十七年以上前のものになるのだろうか。
(だから今の魔道具よりも力が弱かったんだわ。ということは、透明になれるリングもそうなのかも……)
愛おしそうにに殿下はキャスケットを見つめる。
「最初は父が何を考えてこれを持っていたのか知りたくて使ってみた。まさか短い距離しか飛べないなんて知らなかったから。……外出先で使ってどこに出たと思う?」
試すように私を覗き込む殿下は、いたずら盛りの少年のようだ。
「えっと……」
「墓地だよ。それも葬儀の最中。いきなり現れた僕を見た参列者たちが逃げ出しちゃってさ」
悪いことをしたよ、と殿下は続けたが、本当に思ってる?と疑いたくなるほど楽しそうだ。
「そのあとは、注意しながら街に向かうようになった。好奇心に従ったのもあるけど、デボラがレストランを開いたって耳にしてたから」
そこで彼女が慈善活動をしてるのを知って手伝い始めたのか……。
「でもどうして……」
どうして国王陛下に協力を頼まなかったの?
良い行いなのにこっそり抜け出すなんて、逆に陛下や臣下達からの評価を下げてしまうのに。
「もしも義父が、自分と同じ境遇のものたちの傍は家族よりも居心地がいいのか、と考えてしまったら、……と思ってね。どんなに違うと言っても、傷つけてしまう気がした。それに……」
殿下は深く息を吐いた。
「跡を継ぐのはフロリアンが相応しい、と僕は思ってるから。僕に失望して、あの子が王太女になるなら本望だ」
「そんな、なんで……っ」
私は目を剥いて叫んでしまった。
その声が思いの外広場内に反響して、しまった!と辺りを見回す。が、誰かがやって来る気配はなくほっとした。
一人で慌てたり、安堵している私を見ていたはずの殿下だったが、こともなげに続ける。
「あの子はとても賢いし、それに精霊の加護がある。先読みの力は、この国をいい方向へと導いてくれるだろう」
「……」
黙ってしまった私を見て、殿下は可笑しそうに笑う。
「僕の父が義父の兄だっただけで、その立場を僕に返そうなんて……義理堅いが過ぎるよ。才がある者が導く方が、国民は幸せになれるというのに」
ああ……、そうか。
殿下は自分には才がないと思っているのだ。
王太子の器ではないと。
自分が国を継いでも、国民は喜ばないと思っている。
(でも、私はもう知ってしまった)
「果たしてそうでしょうか?」
「?」
「国王ご夫妻が『殿下が前国王のご子息だから』というだけで王太子にされたとお思いですか?」
(王太子殿下の強くて優しいところを、私は知ってしまったから)
言わせてもらいたいことが、山のようにあった。
けどさすがに公爵令嬢のままでは、王太子殿下にお説教なんてできないもの。
「……こほん、ちょっとさっきのロッテお嬢様にもどりますね」
「?」
「ヴィルさん、それはお父上たちを馬鹿にしすぎです。責任のあることを『兄の血筋だから』で決めるわけないじゃないですか。子供の頃からヴィルさんを見てきたからこそ、ヴィルさんを選んだに決まってます!」
そもそも私が一日で気付いたことを、十七年間も一緒にいた国王ご夫妻が知らないはずがないのだ。
「ヴィルさんは支援が必要な人たちに寄り添える方です。目を逸らさずに向き合える方です」
私は忘れない。
私が自己嫌悪で何も言えなかった時に、少年たちの母親に向き合ってた姿を。
俯かず、現実から目を逸らさなかった殿下の姿を。
「そんな強くて優しい人に導かれる民たちが、本当に不幸だと思われますか?」
「……アルフレート……」
だから。
「これからもデボラさんのお手伝いをするなら、絶対偉くなった方がいいです。この国で一番偉いひとなら、きっと今よりもっと手厚い支援ができるはず。……でしょう?」
今度は殿下が小さく息を呑む。
が、すぐに瞳に絶望の影を宿した。
「デボラには出禁にされてしまったよ?」
「ええ。だから今度は護衛騎士のみんなで来ましょうよ。私も一人より心強いです。ちゃんと陛下の許可をとって、みんなでお忍びで」
許可をとってお忍びで、というのは我ながら支離滅裂だと思う。
でもこのくらい言わないと、目の前にいる優しい人には伝わらないから。
今だってきっと考えてる。
「みん……」
「『みんなを巻き込むのは申し訳ない……』とか、殿下は思ってるのかもしれませんが……」
殿下の背中側の暗闇から、いくつかの小さな灯りが浮かんで見えた。そしてそれは徐々に大きくなってくる。
「ほら、あちらに」
「……え?」
少しずつ大きくなる靴音とざわめき。
共にやってきたのは、
「殿下ー」
「ばか!その呼び方はやめろ」
「ヴィル様ー!」
半日会わなかった懐かしの面々。
「殿下に巻き込まれたい人たちが、迎えに来ましたよ」
「!」
振り向いた王太子殿下は、信じられないものを見るような顔をしたあと、弾かれるように立ち上がった。
「ヴィルさま、水臭いじゃないですか。俺たちにも手伝わせてくださいよ」
と隊長のテオが大きな体で拗ねてみせれば、
「アルフレートばっかり抜け駆けがけ……っておまっ!なんで女の子の格好してるんだ?」
「似合っててこわいっ!」
こんな時まで息がぴったりのイーサンとノア。
いつもの賑やかな騎士団の面々だ。
「どうして……」
動揺している殿下を、テオは珍しそうに眺める。そして嬉しそうに笑うと、
「街を探索していたら、本日大捕物で活躍した二人組がいると警備兵から聞きまして。そこからデボラさんに辿り着いたというわけです」
毎回それだけ派手にやってくだされば、俺たちも苦労しなかったのに。
そんな冗談とも本気ともつかないセリフを殿下に言えるのは、テオが伯叔父でもあるからだろうか。
みんなに会って、固かった殿下の表情が徐々に和らいでいくのがわかる。
「ありがとう、テオ、イーサン、ノア……」
急に年相応の少年に戻ってしまった殿下を見て、テオはニヤリと笑った。
「お礼はまだ早いですよ。とりあえず、国王陛下からの大目玉を、一緒に喰らうと致しますか!」
みんなが前を歩いていくのを確認しながら、私も殿下の背中をゆっくりと追いかける。
その時。
殿下はさっと振り返り、私に駆け寄ると耳元で囁いた。
「ありがとう、ロッテ様」
それだけ言うと殿下はまたすぐに前を向く。
何事もなかったかのように。
ほんの一瞬のことなのに、耳朶が熱い。
ドクン!ドクン!と早鐘のような鼓動が胸を打ち、治ったはずの不整脈が蘇る。
(まったく……持ち主の言うことをきかない心臓ね!)
コントロールできない感情の嵐の中、私の長かった一日は終わりを告げようとしていた。
……サボンの香りと、どうしようもなく甘苦い胸の痛みを残して。

