私たちの国、アデスグラント王国は決して大きな国ではない。ただし鉱石なども採れるし、温暖な気候のお陰で農作物もよく育つ。また水源も緑も豊かな国だと言われている。
何代も続く王政は安定していて、治外法権であるオルマーテチェ教とももう百年以上争いはない。
そんなアデスグラント王国では月に一度首都ゼステリロ=ルカスにある王城で行われる貴族会議がある。
王国内の伯爵以上の爵位を持つ貴族が集まり、あーでもないこーでもない……じゃなかった。厳かに近況を報告し合うのが貴族会議だ。
今日はその会議の日、城から帰宅した父に私とアルは執務室へと呼び出されていた。
この部屋に来たのはいつぶりだろう。子供の頃はよく、仕事をする父の邪魔をしに来ていた。
部屋の奥に鎮座しているのは、温かみのあるマホガニーでできた両袖机。
私たちラインフェルデン家にとっては思い出深い机でもある。
私とアルフレートがまだ三つ四つの頃、二人でかくれんぼしていた時の話だ。
アルが鬼の最中に発作が来て倒れてしまった。そんなことは全く知らなかった私は、この両袖机の下にずっと隠れていたのだけど、いつしか待ち疲れて寝てしまい……。
やがて姿の見えない娘に気づいた両親が、
「シャルロッテが行方不明になった!」
と家中のものを総動員して、屋敷内はおろか領地の隅々まで探し回ったそうだ。
結局真夜中になって、空腹で目覚めた私がひょっこり現れたことで大捜索隊は解散した。もちろん母からは雷が落ち(言葉通り、庭園の楡の木も真っ二つにするほどの雷だった……)、その後かくれんぼをする時は三人以上で行なう、という約束ができたのだった。
隣を見るとアルと目が合った。
(アルもあの時の雷を思い出してたのかな?)
ふふっと二人同時に笑みが溢れる。こういうところが、私たちやっぱり双子なんだ、って思わされる所以なのだ。
さて、私たちを呼び出した父はといえば、普段の柔和な表情とは打って変わって随分と難しい表情をしていた。父の隣にいる母も、いつもは凛とした輝きを見せるアイスブルーの瞳に影を落としている。
会議から帰って来た父のこんな顔は見たことがない。
父と国王陛下は同い年で同じ学園に通っていた、いわゆる学友。いつもなら、会議後にワインなどを飲み交わし、ご機嫌で帰ってくるというのに。
痺れを切らした私が、
「お父さま、何かあったのですか?」
そう尋ねると、父は意を決したように重い口を開いた。
「……アルフレート、体の具合はどうだ?」
「今月の発作は治りました」
「その発作は来月突然治ったりはしない……のだな?」
「?……はい、恐らく」
父の眉間にはますます深い皺が刻み込まれる。
「シャルロッテ、刺繍の腕前は上がったか?」
「まさか!でもアルの刺繍の腕前はすごいのよ。蝶も鳥も鮮やかで、まるで生きてるみたいなの。職人並みの出来映えなんだから!」
「そうか、アルフレートの…。で、剣の腕前はどうなのだ」
「父上、ロッテは先日王都で暴漢を倒し、首都警備隊に引き渡したそうですよ」
「ふむ……そうであったな。アルフレートの方は剣の練習をしているのか?」
「え、僕のですか?それなら……」
「アルは剣を握っただけでも熱が出てしまうわ、お父さま」
「ちょっとロッテ、さすがに握っただけでは熱は出ないよ」
アルの的確な指摘にも父は、
「そうであったな……」
と先ほどと同じ気の抜けた返事と、深いため息をひとつ吐いた。
(これは重症だわ……)
父にはたとえ雪が降っていても、花を咲かせることができる魔法がある。通称『春を呼ぶ魔法』そのもののように、いつも父の周りの空気は優しい暖かさをはらんでいた。
だが、今の父はどうか。真冬でさえも逃げ出しそうな顔色をしている。
「お前たちは、最近のフロリアン様に会ったことはあったか?」
フロリアン様は国王陛下の第一王女だ。
国王陛下には二人のお子様がいる。王太子であられる、ヴィルヘルム・フリードリヒ・フォン・シュヴァルツヴァルト様。その妹君がフロリアン様だ。
「今年の新年のパーティでご挨拶しました。確か今は、九歳……」
「今年八歳になったばかりなのだが、刺繍がご趣味らしく、ご一緒に楽しめるような歳の近いご友人を探してるそうなのだ」
アルは小首を傾げた。
「貴族のご令嬢にその年頃の子はいなかったはず……」
それは男なのに全く不自然さを感じさせない、可愛らしい仕草だった。アルは見た目のたおやかさだけでなく、仕草も可愛らしいのがずるいと思う。
でもアルは可愛いだけじゃない。貴族社会の情報にも通じてるのには只々尊敬しかない。
(私なんか未だに「足を広げて座らない」ってお母様に叱られてるし、貴族は……。うん、強くてカッコいい騎士団のことしか知らないわ)
私が一人ツッコミをしていたその間も、父とアルの会話は続いているようだった。
「そうだ、一番近くてお前たち二人、もしくは……」
「一つ上のエデルガルト・アーレンベルク嬢、アーレンベルク公爵家の次女でしたね」
(エデルガルト!)
彼女のことは私もよく知っている。
父と共に母を取り合ったと言われているアーレンベルク公爵家。父にとっては因縁の相手だけど、私にとっても気になる相手だった。……つまり、よくない意味で。
透けるような白さの肌に、プラチナと形容していい美しく細い髪。形のいい群青色の瞳は、私を見ると少しキツイ視線になる。
(あの良い子ちゃんてば、
「もっと淑女らしくしたらどうなの?このままでは家名の名折れですわよ」
って会うたびにお説教してくるのよね)
「なるほど……父上としてはシャルロッテを推したいんですね」
「へ?」
急に私の名前が出てきて、現実に引き戻された。
「それだけではないのだ。エデルガルト嬢の兄である、アーレンベルクの長男が近衛騎士団に入ることになった」
「でも僕では年齢が…」
(近衛騎士に入団できるのは二十歳から。アルはまだ十五だし、さすがに無理矢理入れられることもなさそうね)
父も断る理由ができていたのか、と私はほっとした。
「それが……近頃の陛下は公爵家の均衡に過敏になっていてな。差がつくのはよくないとアルフレートを王太子殿下の護衛騎士に、シャルロッテをフロリアン様のご友人に抜擢してくださることに……」
「そんなのぜったい無理よ!」
「それは確実に無理ですよ!」
(そうよ、アル!騎士は無理だってちゃんと言ってやりなさい!)
「シャルロッテに刺繍は無理です。筆記体はのたうち回る虫のようですし、花なんか爆発した後の砲弾の欠片に見えるんですよ」
アルフレートは薔薇色の唇から、淡々と失礼な言葉を吐き出した。
「ちょっと!アル!」
(後ろから味方に斬りつけられた気分だわ!それに、)
「あれは花でも砲弾でもないわ!犬よ!」
「……!」
アルフレートは目を見開いて絶句している。
さすがに少しショックだったけど、私はお姉ちゃんだから許してあげるわ。
「お父様、アルフレートの細腕に剣は無理です。剣を握っただけで倒れると言ったばかりじゃないですか」
(そうか……。父の悩みは国王陛下の(好意からの)無茶振りだったんだ)
何代も続く王政は安定していて、治外法権であるオルマーテチェ教とももう百年以上争いはない。
そんなアデスグラント王国では月に一度首都ゼステリロ=ルカスにある王城で行われる貴族会議がある。
王国内の伯爵以上の爵位を持つ貴族が集まり、あーでもないこーでもない……じゃなかった。厳かに近況を報告し合うのが貴族会議だ。
今日はその会議の日、城から帰宅した父に私とアルは執務室へと呼び出されていた。
この部屋に来たのはいつぶりだろう。子供の頃はよく、仕事をする父の邪魔をしに来ていた。
部屋の奥に鎮座しているのは、温かみのあるマホガニーでできた両袖机。
私たちラインフェルデン家にとっては思い出深い机でもある。
私とアルフレートがまだ三つ四つの頃、二人でかくれんぼしていた時の話だ。
アルが鬼の最中に発作が来て倒れてしまった。そんなことは全く知らなかった私は、この両袖机の下にずっと隠れていたのだけど、いつしか待ち疲れて寝てしまい……。
やがて姿の見えない娘に気づいた両親が、
「シャルロッテが行方不明になった!」
と家中のものを総動員して、屋敷内はおろか領地の隅々まで探し回ったそうだ。
結局真夜中になって、空腹で目覚めた私がひょっこり現れたことで大捜索隊は解散した。もちろん母からは雷が落ち(言葉通り、庭園の楡の木も真っ二つにするほどの雷だった……)、その後かくれんぼをする時は三人以上で行なう、という約束ができたのだった。
隣を見るとアルと目が合った。
(アルもあの時の雷を思い出してたのかな?)
ふふっと二人同時に笑みが溢れる。こういうところが、私たちやっぱり双子なんだ、って思わされる所以なのだ。
さて、私たちを呼び出した父はといえば、普段の柔和な表情とは打って変わって随分と難しい表情をしていた。父の隣にいる母も、いつもは凛とした輝きを見せるアイスブルーの瞳に影を落としている。
会議から帰って来た父のこんな顔は見たことがない。
父と国王陛下は同い年で同じ学園に通っていた、いわゆる学友。いつもなら、会議後にワインなどを飲み交わし、ご機嫌で帰ってくるというのに。
痺れを切らした私が、
「お父さま、何かあったのですか?」
そう尋ねると、父は意を決したように重い口を開いた。
「……アルフレート、体の具合はどうだ?」
「今月の発作は治りました」
「その発作は来月突然治ったりはしない……のだな?」
「?……はい、恐らく」
父の眉間にはますます深い皺が刻み込まれる。
「シャルロッテ、刺繍の腕前は上がったか?」
「まさか!でもアルの刺繍の腕前はすごいのよ。蝶も鳥も鮮やかで、まるで生きてるみたいなの。職人並みの出来映えなんだから!」
「そうか、アルフレートの…。で、剣の腕前はどうなのだ」
「父上、ロッテは先日王都で暴漢を倒し、首都警備隊に引き渡したそうですよ」
「ふむ……そうであったな。アルフレートの方は剣の練習をしているのか?」
「え、僕のですか?それなら……」
「アルは剣を握っただけでも熱が出てしまうわ、お父さま」
「ちょっとロッテ、さすがに握っただけでは熱は出ないよ」
アルの的確な指摘にも父は、
「そうであったな……」
と先ほどと同じ気の抜けた返事と、深いため息をひとつ吐いた。
(これは重症だわ……)
父にはたとえ雪が降っていても、花を咲かせることができる魔法がある。通称『春を呼ぶ魔法』そのもののように、いつも父の周りの空気は優しい暖かさをはらんでいた。
だが、今の父はどうか。真冬でさえも逃げ出しそうな顔色をしている。
「お前たちは、最近のフロリアン様に会ったことはあったか?」
フロリアン様は国王陛下の第一王女だ。
国王陛下には二人のお子様がいる。王太子であられる、ヴィルヘルム・フリードリヒ・フォン・シュヴァルツヴァルト様。その妹君がフロリアン様だ。
「今年の新年のパーティでご挨拶しました。確か今は、九歳……」
「今年八歳になったばかりなのだが、刺繍がご趣味らしく、ご一緒に楽しめるような歳の近いご友人を探してるそうなのだ」
アルは小首を傾げた。
「貴族のご令嬢にその年頃の子はいなかったはず……」
それは男なのに全く不自然さを感じさせない、可愛らしい仕草だった。アルは見た目のたおやかさだけでなく、仕草も可愛らしいのがずるいと思う。
でもアルは可愛いだけじゃない。貴族社会の情報にも通じてるのには只々尊敬しかない。
(私なんか未だに「足を広げて座らない」ってお母様に叱られてるし、貴族は……。うん、強くてカッコいい騎士団のことしか知らないわ)
私が一人ツッコミをしていたその間も、父とアルの会話は続いているようだった。
「そうだ、一番近くてお前たち二人、もしくは……」
「一つ上のエデルガルト・アーレンベルク嬢、アーレンベルク公爵家の次女でしたね」
(エデルガルト!)
彼女のことは私もよく知っている。
父と共に母を取り合ったと言われているアーレンベルク公爵家。父にとっては因縁の相手だけど、私にとっても気になる相手だった。……つまり、よくない意味で。
透けるような白さの肌に、プラチナと形容していい美しく細い髪。形のいい群青色の瞳は、私を見ると少しキツイ視線になる。
(あの良い子ちゃんてば、
「もっと淑女らしくしたらどうなの?このままでは家名の名折れですわよ」
って会うたびにお説教してくるのよね)
「なるほど……父上としてはシャルロッテを推したいんですね」
「へ?」
急に私の名前が出てきて、現実に引き戻された。
「それだけではないのだ。エデルガルト嬢の兄である、アーレンベルクの長男が近衛騎士団に入ることになった」
「でも僕では年齢が…」
(近衛騎士に入団できるのは二十歳から。アルはまだ十五だし、さすがに無理矢理入れられることもなさそうね)
父も断る理由ができていたのか、と私はほっとした。
「それが……近頃の陛下は公爵家の均衡に過敏になっていてな。差がつくのはよくないとアルフレートを王太子殿下の護衛騎士に、シャルロッテをフロリアン様のご友人に抜擢してくださることに……」
「そんなのぜったい無理よ!」
「それは確実に無理ですよ!」
(そうよ、アル!騎士は無理だってちゃんと言ってやりなさい!)
「シャルロッテに刺繍は無理です。筆記体はのたうち回る虫のようですし、花なんか爆発した後の砲弾の欠片に見えるんですよ」
アルフレートは薔薇色の唇から、淡々と失礼な言葉を吐き出した。
「ちょっと!アル!」
(後ろから味方に斬りつけられた気分だわ!それに、)
「あれは花でも砲弾でもないわ!犬よ!」
「……!」
アルフレートは目を見開いて絶句している。
さすがに少しショックだったけど、私はお姉ちゃんだから許してあげるわ。
「お父様、アルフレートの細腕に剣は無理です。剣を握っただけで倒れると言ったばかりじゃないですか」
(そうか……。父の悩みは国王陛下の(好意からの)無茶振りだったんだ)

