「はい、到着」
私と王太子殿下は街の中にいた。
王太子殿下は人に見つからない場所を知っているのか、街の喧騒からは離れているようだった。
橋が見える木陰から抱きかかえられて、移動魔法の中にいた時間はほんの一瞬。
……だった気もするし、チョコレートをひと粒くらいなら食べられる程度の時間は経っていた、ような気もする。
王太子殿下に抱え上げられたことに、ただただ焦ってしまった。
(あの、不整脈はきっと思いがけないことに驚いたから)
そんなことで移動魔法という稀有な体験を覚えてないなんて、勿体なかったな、と思う。
「無事に着いてよかったよ」
実験成功といったとこだね、とニコニコしながら王太子は物騒なことを口にした。
王太子殿下はどこまで本気かわからないところが怖い。
「……降ろしていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、そうだった」
不本意ながら未だ王太子殿下に抱えられたままだった私は、足元からゆっくりと降ろされた。
「重いのに、ありがとうございました」
「いや、フロリアンと同じくらい軽かったよ。ちゃんとご飯食べてる?」
照れ隠しで言った言葉に、真顔で返される。
さすがに齢八つの女の子と同じ体重はないだろうが、話の中に妹君の名前が出てくることに、胸がほんのり温かくなる。
護衛騎士としては失格だが、私はやっと平常心を取り戻しつつあった。
(ところで、)
「ここは……どこですか?」
キョロキョロと周囲を見回すと、どうやら裏路地のようだ。人通りは殆どない。王太子が移動魔法の到着地に選んだのも納得できた。
但し、ある程度大きな建物が並んでいるところを見ると、表通りは店舗なのかもしれない。
「ここは僕の乳母だったひとの娘……つまりは乳姉弟のブティックなんだ。ここは店舗の裏だけど」
「殿下は、このお店に来るために抜け出されてきたのですか?」
私の知っている情報と違うな、などと考えていたら、よほど間抜けな表情になっていたらしい。
王太子殿下は笑いながら、
「違うけどさ、その格好だと目立つから」
と私の全身をさらりと一瞥した。
「僕がどんなに平民らしい格好をしてても、アルフレートが騎士の制服を着てたら目立ちすぎるんだよ。だからキミにもここで平民に紛れてもらう」
確かにシルクのシャツに国王軍のエンブレム付きジャケットを合わせ、パリッとした紺のスラックスを履いている平民はいないだろう。
ただ……、
「つまりは変装、ですか?」
(アルに変装している私がさらに変装……?)
なんだかややこしいことになってきた気がする。
「そうだな。女の子に変装したらただのデートにみえるかも。そうしよう」
王太子殿下はポン!とひとつ手を打った。
(ちょっと待って……)
デートという単語も気になるが、もっと重要なこと。
「それは私に女装をしろと……?」
「僕がしたら違和感があるだろ?」
王太子殿下は嫌そうに唇を尖らすと、眉を顰てみせた。
確かに……。
殿下は柔和で整った顔をしてるけど、背は低くないし、手も足もしっかり大きい。ちゃんと男の子の体つきだ。
女装をしたら違和感を覚えるかもしれない。
……けど!
もともと女の私が女装?
それは確実にアルフレートに叱られる案件だ。
何のために男装をしているのか……。
そんな私の焦りなどは露ほども知らない王太子殿下は、
「よし、行こう」
と無慈悲にゴーサインを出す。
「待ってください殿下、私は女装なんて」
「命令だよ」
「ぐっ……!」
(こんな時ばっかり命令だなんて!)
いつか聞いた、護衛隊長のテオドールの言葉が脳裏に浮かぶ。
『護衛騎士隊ではヴィルヘルム様のご意向で、家柄に拘らないようにしてるんだ』
(もー!テオのうそつき!)
私はこの場にいない、可哀想なテオに八つ当たりをした。
お忍びでも王太子殿下は次期国王になる方に違いはない。
もとより断る選択肢などは存在しないのだ。
私は王太子殿下に背中を押されながら、彼の乳姉弟の店に入ることになったのである。
♢
裏口からの出入りが少なくないのか、扉には鍵がかかっていなかった。
不用心だな、と感じたが、城下では定期的に警備兵も見回りに来ている。この辺りでは日常的なことなのかもしれない。
住居と聞いていたが、レンガでできた部屋の壁にはロール状になったカラフルな布がいくつも吊るされていた。
木造の床にはサンプルなのか、トルソーに飾り付けられた素朴なドレスなども置いてある。ハイネックのブラウスに、長めのスカートの生地は綿だろうか。控えめなフリルをあしらったエプロンが可愛らしい。
部屋は横に広い作りになっていて、左手側には二階に続く階段が、そして正面奥には木製の扉があり、そこが恐らく店舗に続いているのだろう。
トントントントン、とリズミカルな足音が階段から響いてきたかと思うと、ひとりの女性が現れた。
彼女は王太子殿下を見てにっこりと笑顔を見せる。
「ヴィル様!お久しぶりです」
「やあ、マリア」
「お元気でしたか?」
気さくな感じで殿下に話しかけているということは、恐らくマリアと呼ばれた女性が、王太子殿下の乳姉弟なのだろう。
優しく丸みを帯びた輪郭に、栗色のボブカットがよく似合っている。
マリアさんは私の顔を見て、
「あっ」
と小さく声を上げた。
その様子を見た王太子殿下は、彼女と私の顔を交互に見ると、
「なに?知り合い?」
と尋ねてくる。
私には全く覚えがない。
でもマリアさんの方は、頬を紅潮させ何か言いたげに口をぱくぱくさせると、
「お知り合いというか……」
とやっとのことで絞り出すと、今度は私の顔をまじまじと見つめた。
「やっぱりそうだわ!先日噴水前の広場で、どこぞのご令嬢を助けられていたお嬢様!」
「!」
それは、私が髪を切るきっかけになった事件だ。
暴漢から伯爵令嬢を救ったあの時、見ていた人たちの中にマリアさんがいたのか。
……ということは、あの場所からマリアさんのブティックまでそんなに遠くないのかもしれない。
頭の中で地理の擦り合わせをしていると、マリアさんが尋ねてきた。
「何故、男装をしていらっしゃるのですか?」
「えっ?」
不意をつかれて、ぎょっとする。
「男装って……」
「マリア、アルフレートは男だよ」
ひとり事情を知らない王太子殿下は、不思議そうな顔をしてマリアさんを伺う。
が、マリアさんはキッパリと言い放った。
「いいえ、動きこそ機敏でしたがあのお嬢様は女性でした。私は駆け出しですが服飾のプロですもの。ドレスのフォルムを見ればわかりますわ」
あの時のことを後悔することはないけど、派手な立ち回りは避ければよかった、程度には反省する。
ただ、何かあったら使おうと用意していたセリフが私にはあった。
「それはきっと、双子の姉です」
私の言葉にマリアさんは、
「まあ、双子⁉︎」
と目を丸くした。
「姉は猪突猛進の上、怖いもの知らずなんです。少々剣の腕が立つため、困っているひとがいると飛んでいってしまって……」
猪突猛進。何かというとアルフレートが私を表現する言葉だ。勿論褒め言葉ではないことくらいは知っているけど。
隣を見ると王太子殿下も目を丸くしていた。
きっとご令嬢らしからぬシャルロッテに、呆れ返っているのだろう。
「噂には聞いたことがあるけど、ラインフェルデンのご令嬢は本当に剣術に長けているんだね。もしかして本当にアルフレートより強いの?」
「……はい。私より強いです」
「それは、ラインフェルデン公爵も……」
(きっと、
『それは、ラインフェルデン公爵も頭を悩ませるね』
とか言われるのよね)
だけど、私の予想は外れた。
王太子殿下は、
「それは、ラインフェルデン公爵も心強いだろうね」
と目を細めて笑ったのだ。
その瞬間、かあぁっ、と私は自分の頬が熱くなるのがわかった。
同時に、ドクン、ドクン、と再び激しく胸を打つ音も襲ってくる。
(だって、令嬢らしくない、って言われると思ったのに)
公爵令嬢に表立っていう人は殆どいなかったけど、裏では散々言われてきた、
『女が剣を持つなんて』
って。
非難されることがあっても、肯定してくれる人はいなかったから。
(本心、なのかしら?)
ちらり、と王太子殿下を見ると、いつもどこか飄々としている顔とは違い優しい表情をしている。
澄み渡った空色の瞳が、王太子殿下の言葉に嘘はないことを物語っているように見えた。
(ずるいわよ、こんな時ばっかり……)
ああ、もう…!
この、無闇に叫びたくなるような衝動は、なんという名前なのか。
息苦しいというのに、甘やかな心地になるこの感情の名前はなんというのだろう。
私はまだ知らない。
(アルフレートなら、知ってるかしら……?)
今度の不整脈は、なかなか収まりそうもなかった。
私と王太子殿下は街の中にいた。
王太子殿下は人に見つからない場所を知っているのか、街の喧騒からは離れているようだった。
橋が見える木陰から抱きかかえられて、移動魔法の中にいた時間はほんの一瞬。
……だった気もするし、チョコレートをひと粒くらいなら食べられる程度の時間は経っていた、ような気もする。
王太子殿下に抱え上げられたことに、ただただ焦ってしまった。
(あの、不整脈はきっと思いがけないことに驚いたから)
そんなことで移動魔法という稀有な体験を覚えてないなんて、勿体なかったな、と思う。
「無事に着いてよかったよ」
実験成功といったとこだね、とニコニコしながら王太子は物騒なことを口にした。
王太子殿下はどこまで本気かわからないところが怖い。
「……降ろしていただいてもよろしいでしょうか」
「あ、そうだった」
不本意ながら未だ王太子殿下に抱えられたままだった私は、足元からゆっくりと降ろされた。
「重いのに、ありがとうございました」
「いや、フロリアンと同じくらい軽かったよ。ちゃんとご飯食べてる?」
照れ隠しで言った言葉に、真顔で返される。
さすがに齢八つの女の子と同じ体重はないだろうが、話の中に妹君の名前が出てくることに、胸がほんのり温かくなる。
護衛騎士としては失格だが、私はやっと平常心を取り戻しつつあった。
(ところで、)
「ここは……どこですか?」
キョロキョロと周囲を見回すと、どうやら裏路地のようだ。人通りは殆どない。王太子が移動魔法の到着地に選んだのも納得できた。
但し、ある程度大きな建物が並んでいるところを見ると、表通りは店舗なのかもしれない。
「ここは僕の乳母だったひとの娘……つまりは乳姉弟のブティックなんだ。ここは店舗の裏だけど」
「殿下は、このお店に来るために抜け出されてきたのですか?」
私の知っている情報と違うな、などと考えていたら、よほど間抜けな表情になっていたらしい。
王太子殿下は笑いながら、
「違うけどさ、その格好だと目立つから」
と私の全身をさらりと一瞥した。
「僕がどんなに平民らしい格好をしてても、アルフレートが騎士の制服を着てたら目立ちすぎるんだよ。だからキミにもここで平民に紛れてもらう」
確かにシルクのシャツに国王軍のエンブレム付きジャケットを合わせ、パリッとした紺のスラックスを履いている平民はいないだろう。
ただ……、
「つまりは変装、ですか?」
(アルに変装している私がさらに変装……?)
なんだかややこしいことになってきた気がする。
「そうだな。女の子に変装したらただのデートにみえるかも。そうしよう」
王太子殿下はポン!とひとつ手を打った。
(ちょっと待って……)
デートという単語も気になるが、もっと重要なこと。
「それは私に女装をしろと……?」
「僕がしたら違和感があるだろ?」
王太子殿下は嫌そうに唇を尖らすと、眉を顰てみせた。
確かに……。
殿下は柔和で整った顔をしてるけど、背は低くないし、手も足もしっかり大きい。ちゃんと男の子の体つきだ。
女装をしたら違和感を覚えるかもしれない。
……けど!
もともと女の私が女装?
それは確実にアルフレートに叱られる案件だ。
何のために男装をしているのか……。
そんな私の焦りなどは露ほども知らない王太子殿下は、
「よし、行こう」
と無慈悲にゴーサインを出す。
「待ってください殿下、私は女装なんて」
「命令だよ」
「ぐっ……!」
(こんな時ばっかり命令だなんて!)
いつか聞いた、護衛隊長のテオドールの言葉が脳裏に浮かぶ。
『護衛騎士隊ではヴィルヘルム様のご意向で、家柄に拘らないようにしてるんだ』
(もー!テオのうそつき!)
私はこの場にいない、可哀想なテオに八つ当たりをした。
お忍びでも王太子殿下は次期国王になる方に違いはない。
もとより断る選択肢などは存在しないのだ。
私は王太子殿下に背中を押されながら、彼の乳姉弟の店に入ることになったのである。
♢
裏口からの出入りが少なくないのか、扉には鍵がかかっていなかった。
不用心だな、と感じたが、城下では定期的に警備兵も見回りに来ている。この辺りでは日常的なことなのかもしれない。
住居と聞いていたが、レンガでできた部屋の壁にはロール状になったカラフルな布がいくつも吊るされていた。
木造の床にはサンプルなのか、トルソーに飾り付けられた素朴なドレスなども置いてある。ハイネックのブラウスに、長めのスカートの生地は綿だろうか。控えめなフリルをあしらったエプロンが可愛らしい。
部屋は横に広い作りになっていて、左手側には二階に続く階段が、そして正面奥には木製の扉があり、そこが恐らく店舗に続いているのだろう。
トントントントン、とリズミカルな足音が階段から響いてきたかと思うと、ひとりの女性が現れた。
彼女は王太子殿下を見てにっこりと笑顔を見せる。
「ヴィル様!お久しぶりです」
「やあ、マリア」
「お元気でしたか?」
気さくな感じで殿下に話しかけているということは、恐らくマリアと呼ばれた女性が、王太子殿下の乳姉弟なのだろう。
優しく丸みを帯びた輪郭に、栗色のボブカットがよく似合っている。
マリアさんは私の顔を見て、
「あっ」
と小さく声を上げた。
その様子を見た王太子殿下は、彼女と私の顔を交互に見ると、
「なに?知り合い?」
と尋ねてくる。
私には全く覚えがない。
でもマリアさんの方は、頬を紅潮させ何か言いたげに口をぱくぱくさせると、
「お知り合いというか……」
とやっとのことで絞り出すと、今度は私の顔をまじまじと見つめた。
「やっぱりそうだわ!先日噴水前の広場で、どこぞのご令嬢を助けられていたお嬢様!」
「!」
それは、私が髪を切るきっかけになった事件だ。
暴漢から伯爵令嬢を救ったあの時、見ていた人たちの中にマリアさんがいたのか。
……ということは、あの場所からマリアさんのブティックまでそんなに遠くないのかもしれない。
頭の中で地理の擦り合わせをしていると、マリアさんが尋ねてきた。
「何故、男装をしていらっしゃるのですか?」
「えっ?」
不意をつかれて、ぎょっとする。
「男装って……」
「マリア、アルフレートは男だよ」
ひとり事情を知らない王太子殿下は、不思議そうな顔をしてマリアさんを伺う。
が、マリアさんはキッパリと言い放った。
「いいえ、動きこそ機敏でしたがあのお嬢様は女性でした。私は駆け出しですが服飾のプロですもの。ドレスのフォルムを見ればわかりますわ」
あの時のことを後悔することはないけど、派手な立ち回りは避ければよかった、程度には反省する。
ただ、何かあったら使おうと用意していたセリフが私にはあった。
「それはきっと、双子の姉です」
私の言葉にマリアさんは、
「まあ、双子⁉︎」
と目を丸くした。
「姉は猪突猛進の上、怖いもの知らずなんです。少々剣の腕が立つため、困っているひとがいると飛んでいってしまって……」
猪突猛進。何かというとアルフレートが私を表現する言葉だ。勿論褒め言葉ではないことくらいは知っているけど。
隣を見ると王太子殿下も目を丸くしていた。
きっとご令嬢らしからぬシャルロッテに、呆れ返っているのだろう。
「噂には聞いたことがあるけど、ラインフェルデンのご令嬢は本当に剣術に長けているんだね。もしかして本当にアルフレートより強いの?」
「……はい。私より強いです」
「それは、ラインフェルデン公爵も……」
(きっと、
『それは、ラインフェルデン公爵も頭を悩ませるね』
とか言われるのよね)
だけど、私の予想は外れた。
王太子殿下は、
「それは、ラインフェルデン公爵も心強いだろうね」
と目を細めて笑ったのだ。
その瞬間、かあぁっ、と私は自分の頬が熱くなるのがわかった。
同時に、ドクン、ドクン、と再び激しく胸を打つ音も襲ってくる。
(だって、令嬢らしくない、って言われると思ったのに)
公爵令嬢に表立っていう人は殆どいなかったけど、裏では散々言われてきた、
『女が剣を持つなんて』
って。
非難されることがあっても、肯定してくれる人はいなかったから。
(本心、なのかしら?)
ちらり、と王太子殿下を見ると、いつもどこか飄々としている顔とは違い優しい表情をしている。
澄み渡った空色の瞳が、王太子殿下の言葉に嘘はないことを物語っているように見えた。
(ずるいわよ、こんな時ばっかり……)
ああ、もう…!
この、無闇に叫びたくなるような衝動は、なんという名前なのか。
息苦しいというのに、甘やかな心地になるこの感情の名前はなんというのだろう。
私はまだ知らない。
(アルフレートなら、知ってるかしら……?)
今度の不整脈は、なかなか収まりそうもなかった。

