双子の弟と入れ替わって護衛騎士になった私が、なぜか王太子殿下の初恋を奪ってしまった!

 本物のシャルロッテが王太子殿下に抱きかかえられ、城下へとワープしている頃。
 アルフレートがいる王女宮でも、小さな事件が起きていた。
 それは……。

 コンコン、と白の調度品で揃えられた客間に、ノックの音が響き渡る。
 刺繍に興じるいつもの三人……つまりはフロリアン王女、エデルガルト、シャルロッテ(アルフレート)……が同じ方向を振り向くと、扉から入ってきたのは侍女長のウェーバー夫人だった。

 夫人は、失礼致します、という挨拶もそこそこに、
「申し訳ありません、フロリアン様」
と深く頭を下げた。
 
「一体どうしたというのですか?」
 針を刺す指を止め、フロリアン王女は不思議そうに小首をかしげる。

「本日のティータイムの件なのですが、手違いにより菓子が届いていない状況なのです」
 夫人は心底申し訳ない表情をしていた。
 
(もう、そんな時間か)
 
 アルフレートが時計を見ると、ティータイムまで一刻弱もなかった。
 三人とも作業に熱中しすぎていたようだ。
 
 皆で一枚のタペストリーを作ることを決めたのは、三日前のこと。
 何枚もの小さな布にそれぞれ刺繍を施し、パッチワークの要領で最後に一枚の作品にする。その目標のために三人とも手元に夢中になっていたのだ。

「用意ができるまで暫く待って頂くか、フルーツのみにさせて頂くか……」
王女宮(ここ)のパティシエはいないの?」
「あいにく昨日からミンスター領まで研修に出ております」
「ああ、そうでしたわね……」

 ミンスター領までは馬車で飛ばしても半日はかかる。あと一刻弱で戻ってきて、スイーツを作るのは到底無理な話だろう。

 パティシエがいないのであれば料理人(コック)ではだめなのだろうか、とアルフレートは疑問に思う。
 だがもし晩餐などの食事は王族揃って王宮でとっているのであれば、王女宮にはパティシエしかいないのかもしれないな、とすぐに納得した。

「あの……っ」

 アルフレートの隣から、躊躇いがちなエデルガルトの声が聞こえる。

「あの、差し出がましいようですが……私に作らせては頂けないでしょうか?」
 
「!」

 意外な申し出に驚いたのは、アルフレートだけではないようだった。
 王女宮に通うようになってまだ十日ばかりだが、アルフレートは王女が目をまん丸くしているところを初めて見た。

「エデルガルトはお菓子を作れるのですか?」
 頰を紅潮させて、フロリアンは興味津々といった風である。
 
「お口に合うかはわかりませんが、簡単なものでしたら……」
 キラキラした瞳でフロリアン王女に見つめられたエデルガルトは、いつもの彼女らしからぬ歯切れの悪さで答えた。

 それを受けてウェーバー夫人は、
「フロリアン様のご許可があれば私どもは大歓迎ですが、お一人で大丈夫でしょうか。パティシエと一緒に見習いも不在なのです」
申し訳なさそうに、王女へと伺いを立てる。

 尋ねられたフロリアン王女は、薔薇色の唇に軽く曲げた人差し指を当てて暫く思案していたが、すぐににっこりと微笑んだ。

「でしたらシャルロッテ、あなたがお手伝いして差し上げなさい」

 ♢

 王女宮の厨房はフロリアン王女のイメージに似た、とても愛らしく機能的な造りだった。
 
 壁には白が基調のアンティークなタイルを使い、その壁にはスキレットやミルクパンなど、簡単な調理具が掛かっている。褐色のウォールナットで出来た棚には、シンプルだがセンスの良い陶器類が並んでるように見えた。
 大人数で作業するには適さないが、二人であれば充分使い勝手の良さそうな厨房である。
 
 そんな王女宮の厨房にエデルガルトと二人で立っていることに、アルフレートは不思議な気持ちを覚えていた。
《アーレンベルク公爵家のエデルガルト嬢》は、双子の姉シャルロッテが唯一苦手としている令嬢であったからだ。

 二人きりになりたい、とアルフレートが言ったわけではない。王女宮の侍女の手助けを丁重に断ったのはエデルガルトだったし、彼女はアルフレートの許可をとってアルフレート(シャルロッテ)の侍女エマに、別の用件を頼んでいた。
 
「ごめんなさいね。あなたの侍女まで巻き込んでしまって」

 エデルガルトの依頼は、自分の侍女と共にエマにも街に買い物に行ってもらうことだった。

「それは構わないのだけど、そんなに大荷物なの?」
 二人で持ち運ぶ必要がある程一体何を頼んだのか、アルフレートはそちらの方が興味があった。
 
 しかしエデルガルトは、小麦粉を量る手を止めて消え入るような小さな声で、
「そうではないの……」
と答えた。

「侍女には、部屋に飾りたいからって花束を頼んだの」
「花束?」
シャルロッテ(あなた)の侍女には、何軒もお店を回ってなるべく時間を稼いで欲しいとお願いしたわ」

 アルフレートは、そうか……、と理解する。

「エデルガルト嬢がお菓子作りをされることを、アーレンベルク公爵様はご存じないのね?」

 エデルガルトは静かに頷いた。
「お父さまもお母さまも、もちろん兄も知りません。きっと知ったら、「淑女らしくない」と叱られるでしょうね」

 アーレンベルク公爵家は法を司る大臣だ。公爵本人もその固い役目柄と同じく、秩序と責任を重んじる保守派でもあった。
 一般的には貴族が就くことのないパティシエの仕事に、まさか自分の娘が興味を持っているなんて思いもしないだろう。

 エデルガルトは、止めていた手を動かし始めた。
 量り終わった小麦粉をボウルに入れ、今度は器用に卵を黄身と白身に割りわける。準備済みだった砂糖が入ったボウルには卵白を入れ、泡立て器で混ぜ始めた。
 
 二人きりの厨房に、カシャカシャと泡立て器の音だけが響き渡る。
 アルフレートには、このあとの話をするかしまいか、エデルガルトが迷っているように見えた。

 やがてエデルガルトは泡立てるのをやめ、用意してあったミルクを測り卵黄の入った器にトプトプと注ぎ込む。
 そして覚悟が決まったのか、アルフレートを見つめた。
 
「あなたは、私に姉がいたことを覚えているかしら?」
「ええ、とても小さい頃、お誕生日パーティに呼んでいただいたことがあるわ」

 とはいってもアルフレートは倒れていたため、実際に参加できたのはシャルロッテだけだったが。
 それでもアルフレートも、エデルガルトに姉がいたことをもちろん知っていた。
 
 アーレンベルク公爵家の美人姉妹。
 姉のジュリアは清楚な百合に、妹のエデルガルトは艶やかな薔薇に例えられていた、とアルフレートは記憶していた。

「そうでしたわね……」
 エデルガルトはほんの一瞬、遠い目をしてみせた。
 幼い頃の自分やジュリア、もしかしたら当時からやんちゃだったシャルロッテを思い出していたのかもしれない。
 
「私にはね、姉がお嫁に行ってしまって寂しくて、とても落ち込んでいた時期があったのよ」
 言葉とは裏腹に、エデルガルトの表情は穏やかだった。

「そんな時にうちのパティシエが特別なクッキーを作って持ってきてくれたの。そのクッキーは中に小さなチョコレートがたくさん入っていて、姉も私も大好きだった思い出のものだったの」

 エデルガルトは懐かしむように、深い海の色を持つ瞳を細める。

「他国に嫁いだ姉にはいつ会えるかわからないけれど、そのクッキーを見る度に姉を思い出せる。そう思ったら……」

 そう思ったら、寂しさが和らいだの……、エデルガルトはそう続けて、幸せそうに微笑んだ。
 
「それでお菓子作りに興味を持ったのね」
「ええ」

 エデルガルトはツノがたった卵白を、卵黄の入ったボウルに投入すると再び混ぜ始める。
 
「はしたないことだけど、両親が不在の日はこっそり厨房に入って、パティシエ達にお菓子作りを習っていたの。厨房の料理人(みんな)と私だけの秘密。とても楽しかったわ」

 アルフレートは料理をしたことがなかったが、エデルガルトの所作が手際の良いものだということはわかる。きっと寂しさを癒すように、何度も厨房に通ったのだろう。

(でも、)
 
「どうして過去形なの?」
「だって……」

「だって今日のことがお父さまに知られたら、二度とお菓子作りはさせてもらえないに決まっているもの」

 エデルガルトの声は哀しみでいっぱいだった。

 侍女を遠ざけていても、どこからか今日のことがバレるのではないか、エデルガルトはそう恐れているようだった。
 
 だが、それならなぜ、自分の楽しみを差し出してまで菓子を作ろうと思ったのだろう。
 アルフレートはそのままエデルガルトに尋ねてみた。

「それは、フロリアン様に召し上がって頂きたかったからかしら。私の作ったものでフロリアン様が笑ってくださるとしたら、私にとってはなによりの誉れだわ」

 エデルガルトは幸福そうに微笑った。
 さっきの悲しい声が嘘のように。
 
「エデルガルト嬢はフロリアン様が好きなのね」
「ええ、まだお小さいのにとても素晴らしい方だわ。敬愛しています」

 アルフレートは少し羨ましく思った。
 敬愛できる相手がいるエデルガルトも、その愛情を受けるフロリアンも。

 シャルロッテはエデルガルトを警戒している節があるが、元々アルフレートはエデルガルトに好感を持っていた。
 まず、シャルロッテに負けずに話せるというだけで尊敬に値する。

 自分の家族を表現するには適していないかもしれないが、貴族にしては、……それも公爵家にしてはラインフェルデン(うち)は少し変わっているのだ。

 子育ては乳母任せにせず、母がメインで行なっていたし、礼儀作法は基本的なことだけで、のびのびと(特にシャルロッテは)自由を尊重されている。

 教育的なものはアルフレートの体質のことがあり、アカデミーではなく家庭教師を選択しているため、同世代の子ども達と触れ合う機会が極端に少ない。

 アルフレートもだが、シャルロッテは良くも悪くも貴族社会の普通(・・・・・・・)をよく知らないのだ。

 貴族なら、淑女なら、……シャルロッテを見ていたら、そんな言葉が自然と出てくるのは当然のことだ。
 裏で陰口を叩かず、心配から声をかけてくれるエデルガルトのことを、アルフレートは親切な令嬢だと認識していた。

 だから、できれば力になりたいと思った。
 エデルガルトがこれからも好きなこと(菓子作り)を続けられるように。

(ああ……僕にもシャルロッテのお節介(正義漢)がうつったのかも)

 アルフレートは、心の中で苦笑いをする。

(でもきっとロッテなら、相手がエデルガルト嬢でも手を差し伸べるでしょ?)

 アルフレートはここにはいない自分の半身(シャルロッテ)へと問いかける。勿論返事はない。でもきっと……。

「ねえ、エデルガルト嬢。私に考えがあるのだけど……」
「?」

 アルフレートの持ちかけた提案に、エデルガルトはたいそう驚いた。
 その驚きは、ふるいにかけていた小麦粉を混ぜてあったパンケーキの種へとそのまま入れてしまったほどだった。
 
 まもなくティータイムの時間だったが、もちろんパンケーキ作りは一からやり直しとなったのである。

 ♢

 結局、王女宮の客間にパンケーキの甘い香りが漂ったのは、予定のお茶の時間より半刻ほど遅れてからだった。
 想像よりも短時間で済んだのは、ひとえにエデルガルトの努力と、アルフレートのアシストの賜物だろう。
 
「エデルガルト、あなたって素晴らしいわ!」

 無事に完成したパンケーキをひと口味わったフロリアンは、感嘆のため息をついた。

「パンケーキは勿論だけど、この生クリームもふわっと溶けるようだし、フルーツの蜜漬けもとてもきれいだわ」

 フロリアンは蜜でキラキラと輝く苺を口に運んだ。
「甘くて美味しい〜!」
 小さな王女の頬が綻ぶ。

「フロリアンさま、エデルガルト嬢の一番得意なスイーツはクッキーだそうですよ」

 うっとりとパンケーキを味わうフロリアンに、アルフレートが密告すれば、

「クッキーですって?それはいつ食べられるのかしら?」

テーブルの向こうから身を乗り出し、真顔で尋ねてくるフロリアンはまるで普通の少女のようだ。

「本日は時間が足りませんでしたので、またいつか日を改めて」
 エデルガルトは曖昧に答えたが、アルフレートはそれを許さない。

「フロリアンさま、私もスイーツを作りたくなりました。王女宮のパティシエに習いたいのですが、時々刺繍の会ではなく、スイーツ作りの会を開催するのはいかがでしょう?」

「シャルロッテ!」
 
 慌てるエデルガルトを見て何かを察したのか、はたまたアルフレートが提案した言葉で察知していたのか、フロリアンは、笑いを堪えるように口元を押さえた。

「素敵な会ね。私も作れるようになるかしら」

 小さな王女の決定のお陰で、スイーツ作りの大義名分ができた。
 これこそがアルフレートのエデルガルトへの提案だった。
 いくら常識を重んじるアーレンベルク公爵でも、フロリアン王女に「淑女らしくない」とは、口が裂けても言えないだろう。

 フロリアンの言葉を聞いたエデルガルトはしばらく固まっていたが、やがて美しい群青色の双眸から涙が溢れ出した。

「あ……ありがとうございますっ」
「ふふ、今日のパンケーキの作り方、私にも教えて頂戴ね」
「はい……っ」

 なおも止まらないエデルガルトの涙に、アルフレートがそっとハンカチを差し出す。
 
「エデルガルト嬢、あまーいパンケーキが塩味になっちゃいますよ」
「まあ、シャルロッテ嬢ったら!」

 泣きながら微笑むエデルガルトに、アルフレートは胸の奥にくすぐったさを感じていた。

「ありがとう、あなたのお陰よ」

 普段はあまり表情を変えないエデルガルトの笑顔を見て、くすぐったさは甘いざわめきに変わる。

(いつもそんな風に笑っていたらいいのに)

 アルフレートは小さく願う。

 まだ無自覚の……、生まれたばかりの胸のざわめきは、他の誰にも感じたことのない初めての感覚だった。