「ちょっと待って――」

 詳しい事情を尋ねようとしたとき、高らかなヒール音がこちらに近づいてきた。
 足音の主は私より少し年下と思える女性。明るめの茶色いロングヘアを巻き髪にし、見るからにハイブランドとわかる洋服を身につけている。
 彼女は私達の前で足を止めるなり、バンッと大きな音を立ててテーブルに両手をついた。

「これはいったいどういうことかしら」

 地をはうような低い声が降ってきた。かわいらしい容姿とは裏腹に、細い眉はきつく寄せられ、目には怒りの火が燃えている。

『いったいどういうことか』――私もぜひとも教えていただきたい。

 隣をちらりと見ると、同じタイミングで課長もこちらを向いた。目が合った途端、ふわりと柔らかく微笑まれる。甘やかな笑顔に、ドキッと心臓が大きく跳ねた。

 次の瞬間、伸びてきた手に肩を引き寄せられた。思わず飛び出かけた小さな悲鳴は、ギリギリで喉に押し留められたけれど、頬が熱くなるのは避けられない。手すら握った記憶のない相手と、いきなり体の左側半分を密着させているのだ。平常心でいろという方が無理というもの。
 そんな私などお構いなしで、課長は女性へ向き直った。

「園田(そのだ)さん。私はきちんと申し上げたはずです、『付き合っている恋人がいるからあなたとのお見合いはお断りいたします』と。あなたがなかなか納得してくださらないので、わざわざ彼女に来てもらったんですよ。なあ、実花子」

 いきなり名前を呼び捨てられて、心臓が大きく跳ねた。彼は私の肩を引き寄せながら耳もとに口を寄せる。

「俺に合わせて」

 ささやかれた瞬間、変な声が飛び出しそうになった。
 私だけに聞こえるようにという意図だろうけれど、聞き慣れない『俺』という一人称を吐息と共に耳に吹き込まれて、心臓がバクバクと音を立てはじめる。無言のまま首を縦に振るだけで精いっぱいだ。