各務課長が「君の時間を十分ください」と言った結果

「好きだよ、実花子」

 耳のすぐそばでささやいた甘い声に、ゾクンと背中が痺れる。顎をすくわれ顔を上げると、すぐそこに整った顔がある。切れ長の奥二重に囲まれた瞳には、観覧車の中で見たのと同じ、熱の宿った甘やかな瞳がきらめいていた。

 近づいてくる顔にそっとまぶたを下ろそうとしたとき。

「どなたかいらっしゃいますかー?」

 離れたところから聞こえた声にビクンと背中が跳ねて、弾かれるように体を後ろに引いた。

 そうだった……! ドアを開けていたんだったわ!

 私は閉めても大丈夫だと言ったけれど、各務さんが気を使ってストッパーで半分開けておいてくれたのだ。

 立ち上がった課長が入り口へ歩いていく。すぐに会話が聞こえてきた。どうやら声の主は管理人さんのようで、ゲストルームのドアが半開きになっていたため、中を確認に来たようだった。

 管理人さんが来なかったら今頃……。

 直前の出来事を思い出した瞬間、ギャー!と叫びそうになった。奥歯を噛みしめてどうにかやり過ごしたけれど、顔が赤くなるのは止められない。パタパタと手のひらで顔をあおいでいると、ドアがパタンと閉る音がして各務さんが戻ってきた。
 急にふたりきりで部屋にいるのが落ち着かなくなる。

「私、そろそろ失礼しますね」

 言いながら椅子から腰を上げると、課長がすぐにポケットから車の鍵を取り出した。

「送っていくよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ。駅もすぐそこですし」

 まだそんなの遅い時間ではない。なんなら残業するときより早いくらいだ。なにより、今はこの煮えそうな頭をひとりになって冷ましたい。

 出口に向かって足を踏み出したところで、すばやく手を取られた。
 
「もう少し一緒にいたいんだ」

 ストレートな甘い言葉に、喉から「ぐぉっ」と変な声が出た。課長のいきなりの変化にどう反応していいかわからない。ドキマギして挙動不審になりかけている。