怜司にキスされかけた帰り道――。
紗菜は自室のベッドに倒れ込み、胸に手を当てた。
(……だめ……落ち着いて……)
(怜司さん、あんな顔で……あんな距離で……)
触れられた頬がまだ熱い。
額を合わせられたときの、指先が絡むような呼吸。
体温。
声。
思い出すたび、身体がふるえてしまう。
(この気持ち……なに……?)
考えればすぐにわかる。
わかりたくないのに、わかってしまう。
――好き。
言葉を胸の中で転がした瞬間、息が詰まった。
まさか、契約で始まった関係なのに、本気で恋をしてしまうなんて。
(でも……“契約”なんだよね)
半年経てば、終わる。
怜司にとって自分は“用意された代替”にすぎない。
そう思うと、さっきの甘さが嘘みたいに胸が痛んだ。
(私が好きになったって……意味ない……)
涙がにじみ、目元をぬぐおうとしたその時――。
コン、コン。
ノックの音。
「紗菜、起きてるか」
怜司の声だった。
涙をこらえたまま扉を開けると、怜司が立っていた。
シャツのボタンを少し外し、仕事帰りの疲れた姿が妙に色っぽい。
「……さっきのこと、気にしてるか?」
紗菜はかすかに首を振る。
本当は気にしすぎて眠れそうにないのに。
怜司は、そんな紗菜を見つめて小さく笑った。
「無理はするな。お前は……すぐ顔に出る」
紗菜は頬を押さえた。
その仕草を見た瞬間、怜司の目がすっと細くなった。
「……泣いたのか?」
紗菜は慌てて否定する。
「違います! ちょっと疲れてただけで……」
「紗菜」
怜司の声が、さっきよりずっと低い。
腕が伸び、紗菜の腰をそっと引き寄せる。
「俺の前で、強がるな」
(……泣いちゃう……)
胸の奥が甘く締めつけられた。
その瞬間だった。
廊下の向こうから、ヒールの硬い音が響く。
会長――怜司の母が歩いてきたのが見えた。
「……怜司、少しよろしい?」
怜司の手が紗菜の腰から離れる。
紗菜は一歩下がり、慌てて姿勢を正した。
会長は相変わらず冷静で、視線は紗菜に向けられたままだった。
「桜井さん。あなた……“契約の内容”、周囲に漏らしたことは?」
「えっ……? いえ、そんな……!」
「今日、いくつか問い合わせがあったわ。
“御堂怜司の婚約は契約であるらしい”と」
(そんな……誰にも言ってないのに……)
怜司が険しい顔になる。
「舞か」
その名前を聞いた瞬間、紗菜の背筋がぶるっと震えた。
舞――あの完璧な女性。
さまざまな媒体とも繋がりがあると噂される人。
会長は重い声で続ける。
「桜井さんが軽率だとは言わない。
でも、契約であることが表に出れば、怜司にとっても不利になる。
あなたは何も悪くない……ただ、覚悟が必要よ」
“覚悟”。
その言葉が重く落ちる。
紗菜はぎゅっと拳を握った。
「……わかっています。私のせいで迷惑をかけたくないです」
怜司の眉が深く寄る。
「紗菜のせいじゃない。母さん、紗菜を責めるな」
会長はふっと小さく息を吐いた。
「……怜司。あなたがそう言うならいいわ」
立ち去る会長の背中が見えなくなった瞬間――。
「紗菜」
怜司は紗菜を引き寄せた。
今度は迷いがなく、強く。
「……苦しい思いをさせて悪かった」
「私のせいじゃ……ないのに……」
「違う。俺のせいだ。
お前をこの世界に連れてきたのは、俺だ」
紗菜は怜司の胸元を握りしめ、震える声で呟いた。
「……怜司さん、私……本当に、迷惑じゃないですか……?」
怜司の腕が強く締まる。
「迷惑なはずがない。
お前がいなかったら……俺はもっと壊れていた」
耳元で落ちる声が甘くて、切なくて、涙があふれた。
怜司は紗菜の頬に手を添え、親指で涙を拭う。
その仕草が優しすぎて、鼓動が乱れる。
「……紗菜。
お前を守るのは、俺の役目だ」
声が震えていて、
今にもキスしそうなほど顔が近い。
でも……
怜司はあと少しのところで、静かに目を閉じた。
「……今日はやめておく。
こんな顔のお前に……触れたら、止まれなくなる」
紗菜は胸が焼けるように熱くなった。
(止まれなくなるって……どういう意味……?)
(怜司さん……私のこと……)
これ以上考えると、本当に涙が溢れそうで、紗菜はそっと目を閉じた。
怜司の腕の中で聞こえる鼓動。
それが紗菜の鼓動と重なっていく。
偽りの契約婚。
だけど――。
ここにある感情だけは、偽れなかった。
紗菜は自室のベッドに倒れ込み、胸に手を当てた。
(……だめ……落ち着いて……)
(怜司さん、あんな顔で……あんな距離で……)
触れられた頬がまだ熱い。
額を合わせられたときの、指先が絡むような呼吸。
体温。
声。
思い出すたび、身体がふるえてしまう。
(この気持ち……なに……?)
考えればすぐにわかる。
わかりたくないのに、わかってしまう。
――好き。
言葉を胸の中で転がした瞬間、息が詰まった。
まさか、契約で始まった関係なのに、本気で恋をしてしまうなんて。
(でも……“契約”なんだよね)
半年経てば、終わる。
怜司にとって自分は“用意された代替”にすぎない。
そう思うと、さっきの甘さが嘘みたいに胸が痛んだ。
(私が好きになったって……意味ない……)
涙がにじみ、目元をぬぐおうとしたその時――。
コン、コン。
ノックの音。
「紗菜、起きてるか」
怜司の声だった。
涙をこらえたまま扉を開けると、怜司が立っていた。
シャツのボタンを少し外し、仕事帰りの疲れた姿が妙に色っぽい。
「……さっきのこと、気にしてるか?」
紗菜はかすかに首を振る。
本当は気にしすぎて眠れそうにないのに。
怜司は、そんな紗菜を見つめて小さく笑った。
「無理はするな。お前は……すぐ顔に出る」
紗菜は頬を押さえた。
その仕草を見た瞬間、怜司の目がすっと細くなった。
「……泣いたのか?」
紗菜は慌てて否定する。
「違います! ちょっと疲れてただけで……」
「紗菜」
怜司の声が、さっきよりずっと低い。
腕が伸び、紗菜の腰をそっと引き寄せる。
「俺の前で、強がるな」
(……泣いちゃう……)
胸の奥が甘く締めつけられた。
その瞬間だった。
廊下の向こうから、ヒールの硬い音が響く。
会長――怜司の母が歩いてきたのが見えた。
「……怜司、少しよろしい?」
怜司の手が紗菜の腰から離れる。
紗菜は一歩下がり、慌てて姿勢を正した。
会長は相変わらず冷静で、視線は紗菜に向けられたままだった。
「桜井さん。あなた……“契約の内容”、周囲に漏らしたことは?」
「えっ……? いえ、そんな……!」
「今日、いくつか問い合わせがあったわ。
“御堂怜司の婚約は契約であるらしい”と」
(そんな……誰にも言ってないのに……)
怜司が険しい顔になる。
「舞か」
その名前を聞いた瞬間、紗菜の背筋がぶるっと震えた。
舞――あの完璧な女性。
さまざまな媒体とも繋がりがあると噂される人。
会長は重い声で続ける。
「桜井さんが軽率だとは言わない。
でも、契約であることが表に出れば、怜司にとっても不利になる。
あなたは何も悪くない……ただ、覚悟が必要よ」
“覚悟”。
その言葉が重く落ちる。
紗菜はぎゅっと拳を握った。
「……わかっています。私のせいで迷惑をかけたくないです」
怜司の眉が深く寄る。
「紗菜のせいじゃない。母さん、紗菜を責めるな」
会長はふっと小さく息を吐いた。
「……怜司。あなたがそう言うならいいわ」
立ち去る会長の背中が見えなくなった瞬間――。
「紗菜」
怜司は紗菜を引き寄せた。
今度は迷いがなく、強く。
「……苦しい思いをさせて悪かった」
「私のせいじゃ……ないのに……」
「違う。俺のせいだ。
お前をこの世界に連れてきたのは、俺だ」
紗菜は怜司の胸元を握りしめ、震える声で呟いた。
「……怜司さん、私……本当に、迷惑じゃないですか……?」
怜司の腕が強く締まる。
「迷惑なはずがない。
お前がいなかったら……俺はもっと壊れていた」
耳元で落ちる声が甘くて、切なくて、涙があふれた。
怜司は紗菜の頬に手を添え、親指で涙を拭う。
その仕草が優しすぎて、鼓動が乱れる。
「……紗菜。
お前を守るのは、俺の役目だ」
声が震えていて、
今にもキスしそうなほど顔が近い。
でも……
怜司はあと少しのところで、静かに目を閉じた。
「……今日はやめておく。
こんな顔のお前に……触れたら、止まれなくなる」
紗菜は胸が焼けるように熱くなった。
(止まれなくなるって……どういう意味……?)
(怜司さん……私のこと……)
これ以上考えると、本当に涙が溢れそうで、紗菜はそっと目を閉じた。
怜司の腕の中で聞こえる鼓動。
それが紗菜の鼓動と重なっていく。
偽りの契約婚。
だけど――。
ここにある感情だけは、偽れなかった。



