ねえ、運命のひとっていると思う?
カシアスお兄さまは
『アメリはいつまで経っても可愛いおチビちゃんだね』
なんて笑うけど……。
私はいると思うの、運命のひと。
だって私は。
♢
「アメリお嬢様!いつまで眠っていらっしゃるんですか?」
聞き覚えのない声が響いて、私はパチっと目が覚めた。
目の前には呆れた顔の女性。知らない顔だ。
「……誰」
「お嬢様ったら!またおふざけになって」
年は二十歳そこそこだろうか?
メイド服を着た女性は、腰に手を当て唇を尖らした。
(いやいや、ほんと誰なのよ)
私は及川莉子、大学3年生だ。
昨日はバイトが遅くなって、いつもと違う時間の電車を待っていた。
私はゆるりと記憶を辿って行く。
ホームに立ってふと斜めを見たら、目の前で不審な動きをしてるおじさんがいたんだ。
前に立つ女の人に合わせたように動き、特に足の動きがおかしくて自然と靴に目が行った。すると、つま先にキラッと光る何かが見えて。
盗撮かも?って気がついて、それで私は、
「あの……」
ってつい声をかけてしまったんだけど、おじさんはビクッとした後に振り向いて私を見た。
真っ青な顔で。
気づいた時には突き飛ばされて、耳を劈くような警笛と、眩しすぎる閃光の中にいた。
「……私、死んだのね」
「まだ夢の中にいらっしゃるのですね」
メイド服を着た女性は、慣れたように私の言葉をいなす。
「そうみたい」
部屋を見渡してみると、そこは西洋風の部屋だった。
ペールピンクを基調とした壁紙に、温かみのあるブラウンの家具。カフェテーブルの天板には、小花があしらわれた素焼きのタイルが配置されていて、なんとも可愛らしい。
日本にいたはずの私が、こんなところにいるわけないでしょ?
死んだか、夢の中にいるとしか考えられない。
あ、あとは転生か!
WEB小説愛好家の私は、
(まさかね……)
とケタケタ笑ってしまった。
だって、ありえないでしょ。
けれど……、
「お嬢様……ご主人様や奥様、それからカシアスさまも食堂でお待ちですよ」
「カシアス……」
カシアス、その名前には聞き覚えがあった。
『悲しみを飲み込む銀色の竜は、薔薇色の乙女を娶る』
通称『銀の薔薇』は、最近人気のWEB小説である。
銀色の竜と喩えられたのは、アルディ伯爵家の一人息子のカシアス・ドゥ・アルディ。
この物語の主人公で、銀の髪とアイスグレーの瞳を持つ大層なイケメン、それがカシアスだ。
彼にはアメリという妹がいるのだが、この彼女があまりにも不幸な体質だった。
子供の頃に誘拐されかかったり、舞踏会に出れば事件に巻き込まれたり。
そして挙げ句の果てには、新婚早々相手の男に殺された、最強に運のないカシアスの妹……。
カシアスは最愛の妹の死で一時期闇落ちするんだけど、聖女に転生してきた一人の少女によって救われ幸せになる、という話だ。
……たぶん。
たぶんというのは、まだストーリーが完結してないから。
本当なら今日が更新日だったのに、もう永遠に見られないんだわ。
「カシアス・ドゥ・アルディ、一体どんなイケメンなのかしら」
「食堂に行けば会えますよ」
呆れ果てた、という声でメイドは肩をすくめる。
「え……」
まさか本当に?
私はバサっと柔らかな掛け布団を跳ね除けると、ベッドから飛び出した。
「もう、お嬢様!」
部屋の角にある姿見に向かって一目散に走り、息を整えてから顔を上げる。
キラキラと光る銀の髪、象牙のような滑らかな肌に、上気を帯びた薄紅色の頬、そしてアルディ伯爵家特有のアイスグレーの瞳を持った少女が、鏡の中で目を丸くしていた。
それも、ただの少女じゃない。
「美少女だわ……」
「……お医者様をお呼びした方がいいかしら」
後ろから困惑したようなメイドの声が聞こえる。
もし本当に、『銀の薔薇』の主人公の妹に転生したのだとしたら、私はこのメイドの名前を知っている。
「お医者様は結構よ。やっと目が覚めたわ、マリー」
♢
二十歳になる直前で命を落とすはずのアメリだが、さっき鏡の中で見た少女にはまだ幼さがみえた。
と、すればまだ時間があるように思える。
不幸を呼ぶ体質の私だけど、死なないルートはないのかしら。
そんなことばかり考えて食事をしていた為、アメリの家族は無表情な娘に不安を覚えたのだろう。
暫くはみんな無言で食事を口に運んでいたが、やはり最初に言葉を発したのは兄のカシアスだった。
「僕の可愛い小鳥、今日は美しい声を聞かせてくれないのかな?」
(ひえ!)
リアルで聞くと、恥ずかしくて顔を覆いたくなるセリフだわ。
でも、長いまつ毛に彩られたその甘やかな瞳で見つめられたら、
「大丈夫ですわ……お兄さま」
と答えるのが精一杯だ。
「もし、なにか困った事があればすぐに言うんだよ。僕も、父上母上もいつだってアメリの味方なんだから」
「ありがとうございます」
『銀の薔薇』の中ではアメリは脇役。
だからそれほど細かく、アメリの行動や思考は書かれてなかったはず。
ただわかっているのは、何かと不幸を呼ぶ妹のことを、カシアスは常に心配し守ろうとしていた、ということ。
幼い頃に、自分の目の前で妹が攫われそうになればトラウマにもなるか……。
その時、突然アメリの記憶が私の頭の中に流れ込んできた。
まるで切り刻んだ映画のフィルムを見せられてる感じ。
膨大な映像が次々と私の中に吸い込まれ、上手に呼吸ができない。
「あっ、ああ……」
♢
そこは広い庭園だった。おそらく伯爵家の庭だろう。
薔薇が咲き誇り、優しい風が春の花々を揺らしている。
私たちはまだ幼く、頼りない姿だ。
五つほど離れた兄が私に花冠を作り被せてくれた。
幸せそのものな兄妹の風景、だった、はずなのに……。
無粋な足音が近づいてきたかと思うと、突然知らない男たちが現れた。
びっくりして固まっていた私は、いとも容易く腕を掴まれてしまう。
(やだ!いたい!)
「おにいちゃま!たすけて!」
「アメリを離せ!」
恐らく当時の兄は九つ。
無力な子供にできることなんて何もなかった。
暴漢に突き飛ばされて、背中からばたりと倒れる。
私は声が枯れるほど叫んだ。
「おにいちゃま!おにいちゃま!」
「おい!ガキを黙らせろ!」
男のひとりが私を小脇に抱え、大きくゴツゴツした手のひらで私の口を塞ごうとした時……。
「ぎゃっ!」
私を抱えてた男は悲鳴をあげ、体がふわりと宙に浮く。
(おちちゃう!こわい!)
私は次に来る痛みを想像して、瞳をギュッと閉じた。
……けれど私は地面に落下などしなかった。
細い腕が私を支えて、受け止めたからだ。
恐る恐る目を開けると、私の下敷きになっていたのは、兄と同じくらいの年齢の少年だった。
「危なかったな」
彼は、
「ケガはない?」
とぐずぐず泣きじゃくる私を立たせてくれる。
「サイテーだな、こんな小さい子を泣かせて」
自分も子供のくせに、大人びたことを口にする少年だ。
少年が辺りを見回すのを真似ると、既に意識がない男たちが倒れていた。
「あらかた片付いたぞ」
いつの間にいたのだろう。
甘く苦いようなフレグランスの香りがふわっと漂ったかと思うと、その人は現れた。
さっきの怖い人たちとは違う、優しくて温かい大人の声。
私はほっとして力が抜ける。
「叔父上、カシアスとこの子を頼みます。俺は伯爵様を呼んできます!」
少年が走り去ると、叔父上と呼ばれた人は私の視線に合わせて跪いてくれた。
「お嬢ちゃんのお兄ちゃんも無事だよ。気を失ってるだけだ」
「……げんきになる?」
「ああ、なるよ。お嬢ちゃんが頑張って大きな声で叫んでくれたからね」
そのひとの優しい榛色の瞳が、
『大丈夫だよ』
と告げていた。
「っ!」
そこからは、わあんわあん、と大きな声をあげて泣いた記憶しかない。
父が来ても母が来ても泣き止まなかった私に、叔父上と呼ばれた人は、小さなキャンディをくれた。
困った事があれば訪ねておいで、と。
「私はお父上の友人の……という者。首都で探偵をしているんだ」
♢
アメリの記憶の同期が終わったようだ。
まだ瞳の奥で映像が揺れてるが、やがて落ち着くだろう。
初めてのことだけど、なぜか私には確信があった。
「アメリ……?」
呼ばれて顔を上げると、その場にいる全員が私を心配そうに見ていた。
これを尋ねたら、更に心配させてしまう気がする。
でも幼い私たちを助けてくれたあの人なら、もしかすると今度も力になってくれるかもしれない。
「お父さま、私が誘拐されかかった時に助けてくださった探偵さん。彼のお名前が知りたいです」
優しく温かい、榛色の瞳を持つ探偵さん。
私は彼に会わなくちゃいけない。
この最強に不幸体質な私の行き着く先を、変えてくれるかもしれない運命のひとに。
カシアスお兄さまは
『アメリはいつまで経っても可愛いおチビちゃんだね』
なんて笑うけど……。
私はいると思うの、運命のひと。
だって私は。
♢
「アメリお嬢様!いつまで眠っていらっしゃるんですか?」
聞き覚えのない声が響いて、私はパチっと目が覚めた。
目の前には呆れた顔の女性。知らない顔だ。
「……誰」
「お嬢様ったら!またおふざけになって」
年は二十歳そこそこだろうか?
メイド服を着た女性は、腰に手を当て唇を尖らした。
(いやいや、ほんと誰なのよ)
私は及川莉子、大学3年生だ。
昨日はバイトが遅くなって、いつもと違う時間の電車を待っていた。
私はゆるりと記憶を辿って行く。
ホームに立ってふと斜めを見たら、目の前で不審な動きをしてるおじさんがいたんだ。
前に立つ女の人に合わせたように動き、特に足の動きがおかしくて自然と靴に目が行った。すると、つま先にキラッと光る何かが見えて。
盗撮かも?って気がついて、それで私は、
「あの……」
ってつい声をかけてしまったんだけど、おじさんはビクッとした後に振り向いて私を見た。
真っ青な顔で。
気づいた時には突き飛ばされて、耳を劈くような警笛と、眩しすぎる閃光の中にいた。
「……私、死んだのね」
「まだ夢の中にいらっしゃるのですね」
メイド服を着た女性は、慣れたように私の言葉をいなす。
「そうみたい」
部屋を見渡してみると、そこは西洋風の部屋だった。
ペールピンクを基調とした壁紙に、温かみのあるブラウンの家具。カフェテーブルの天板には、小花があしらわれた素焼きのタイルが配置されていて、なんとも可愛らしい。
日本にいたはずの私が、こんなところにいるわけないでしょ?
死んだか、夢の中にいるとしか考えられない。
あ、あとは転生か!
WEB小説愛好家の私は、
(まさかね……)
とケタケタ笑ってしまった。
だって、ありえないでしょ。
けれど……、
「お嬢様……ご主人様や奥様、それからカシアスさまも食堂でお待ちですよ」
「カシアス……」
カシアス、その名前には聞き覚えがあった。
『悲しみを飲み込む銀色の竜は、薔薇色の乙女を娶る』
通称『銀の薔薇』は、最近人気のWEB小説である。
銀色の竜と喩えられたのは、アルディ伯爵家の一人息子のカシアス・ドゥ・アルディ。
この物語の主人公で、銀の髪とアイスグレーの瞳を持つ大層なイケメン、それがカシアスだ。
彼にはアメリという妹がいるのだが、この彼女があまりにも不幸な体質だった。
子供の頃に誘拐されかかったり、舞踏会に出れば事件に巻き込まれたり。
そして挙げ句の果てには、新婚早々相手の男に殺された、最強に運のないカシアスの妹……。
カシアスは最愛の妹の死で一時期闇落ちするんだけど、聖女に転生してきた一人の少女によって救われ幸せになる、という話だ。
……たぶん。
たぶんというのは、まだストーリーが完結してないから。
本当なら今日が更新日だったのに、もう永遠に見られないんだわ。
「カシアス・ドゥ・アルディ、一体どんなイケメンなのかしら」
「食堂に行けば会えますよ」
呆れ果てた、という声でメイドは肩をすくめる。
「え……」
まさか本当に?
私はバサっと柔らかな掛け布団を跳ね除けると、ベッドから飛び出した。
「もう、お嬢様!」
部屋の角にある姿見に向かって一目散に走り、息を整えてから顔を上げる。
キラキラと光る銀の髪、象牙のような滑らかな肌に、上気を帯びた薄紅色の頬、そしてアルディ伯爵家特有のアイスグレーの瞳を持った少女が、鏡の中で目を丸くしていた。
それも、ただの少女じゃない。
「美少女だわ……」
「……お医者様をお呼びした方がいいかしら」
後ろから困惑したようなメイドの声が聞こえる。
もし本当に、『銀の薔薇』の主人公の妹に転生したのだとしたら、私はこのメイドの名前を知っている。
「お医者様は結構よ。やっと目が覚めたわ、マリー」
♢
二十歳になる直前で命を落とすはずのアメリだが、さっき鏡の中で見た少女にはまだ幼さがみえた。
と、すればまだ時間があるように思える。
不幸を呼ぶ体質の私だけど、死なないルートはないのかしら。
そんなことばかり考えて食事をしていた為、アメリの家族は無表情な娘に不安を覚えたのだろう。
暫くはみんな無言で食事を口に運んでいたが、やはり最初に言葉を発したのは兄のカシアスだった。
「僕の可愛い小鳥、今日は美しい声を聞かせてくれないのかな?」
(ひえ!)
リアルで聞くと、恥ずかしくて顔を覆いたくなるセリフだわ。
でも、長いまつ毛に彩られたその甘やかな瞳で見つめられたら、
「大丈夫ですわ……お兄さま」
と答えるのが精一杯だ。
「もし、なにか困った事があればすぐに言うんだよ。僕も、父上母上もいつだってアメリの味方なんだから」
「ありがとうございます」
『銀の薔薇』の中ではアメリは脇役。
だからそれほど細かく、アメリの行動や思考は書かれてなかったはず。
ただわかっているのは、何かと不幸を呼ぶ妹のことを、カシアスは常に心配し守ろうとしていた、ということ。
幼い頃に、自分の目の前で妹が攫われそうになればトラウマにもなるか……。
その時、突然アメリの記憶が私の頭の中に流れ込んできた。
まるで切り刻んだ映画のフィルムを見せられてる感じ。
膨大な映像が次々と私の中に吸い込まれ、上手に呼吸ができない。
「あっ、ああ……」
♢
そこは広い庭園だった。おそらく伯爵家の庭だろう。
薔薇が咲き誇り、優しい風が春の花々を揺らしている。
私たちはまだ幼く、頼りない姿だ。
五つほど離れた兄が私に花冠を作り被せてくれた。
幸せそのものな兄妹の風景、だった、はずなのに……。
無粋な足音が近づいてきたかと思うと、突然知らない男たちが現れた。
びっくりして固まっていた私は、いとも容易く腕を掴まれてしまう。
(やだ!いたい!)
「おにいちゃま!たすけて!」
「アメリを離せ!」
恐らく当時の兄は九つ。
無力な子供にできることなんて何もなかった。
暴漢に突き飛ばされて、背中からばたりと倒れる。
私は声が枯れるほど叫んだ。
「おにいちゃま!おにいちゃま!」
「おい!ガキを黙らせろ!」
男のひとりが私を小脇に抱え、大きくゴツゴツした手のひらで私の口を塞ごうとした時……。
「ぎゃっ!」
私を抱えてた男は悲鳴をあげ、体がふわりと宙に浮く。
(おちちゃう!こわい!)
私は次に来る痛みを想像して、瞳をギュッと閉じた。
……けれど私は地面に落下などしなかった。
細い腕が私を支えて、受け止めたからだ。
恐る恐る目を開けると、私の下敷きになっていたのは、兄と同じくらいの年齢の少年だった。
「危なかったな」
彼は、
「ケガはない?」
とぐずぐず泣きじゃくる私を立たせてくれる。
「サイテーだな、こんな小さい子を泣かせて」
自分も子供のくせに、大人びたことを口にする少年だ。
少年が辺りを見回すのを真似ると、既に意識がない男たちが倒れていた。
「あらかた片付いたぞ」
いつの間にいたのだろう。
甘く苦いようなフレグランスの香りがふわっと漂ったかと思うと、その人は現れた。
さっきの怖い人たちとは違う、優しくて温かい大人の声。
私はほっとして力が抜ける。
「叔父上、カシアスとこの子を頼みます。俺は伯爵様を呼んできます!」
少年が走り去ると、叔父上と呼ばれた人は私の視線に合わせて跪いてくれた。
「お嬢ちゃんのお兄ちゃんも無事だよ。気を失ってるだけだ」
「……げんきになる?」
「ああ、なるよ。お嬢ちゃんが頑張って大きな声で叫んでくれたからね」
そのひとの優しい榛色の瞳が、
『大丈夫だよ』
と告げていた。
「っ!」
そこからは、わあんわあん、と大きな声をあげて泣いた記憶しかない。
父が来ても母が来ても泣き止まなかった私に、叔父上と呼ばれた人は、小さなキャンディをくれた。
困った事があれば訪ねておいで、と。
「私はお父上の友人の……という者。首都で探偵をしているんだ」
♢
アメリの記憶の同期が終わったようだ。
まだ瞳の奥で映像が揺れてるが、やがて落ち着くだろう。
初めてのことだけど、なぜか私には確信があった。
「アメリ……?」
呼ばれて顔を上げると、その場にいる全員が私を心配そうに見ていた。
これを尋ねたら、更に心配させてしまう気がする。
でも幼い私たちを助けてくれたあの人なら、もしかすると今度も力になってくれるかもしれない。
「お父さま、私が誘拐されかかった時に助けてくださった探偵さん。彼のお名前が知りたいです」
優しく温かい、榛色の瞳を持つ探偵さん。
私は彼に会わなくちゃいけない。
この最強に不幸体質な私の行き着く先を、変えてくれるかもしれない運命のひとに。

