顔隠しの林

「わぁぁあああぁぁぁああっ!!!」



悲鳴が鼓膜を揺らす。

林原之(はやしばらの)中学校の裏手にある雑木林の入り口で、彼はうつ伏せに倒れていた。

あたりは真っ赤な血で染まっている。



山崎(やまざき)……っ」
と、彼の名前を呼んで恐るおそる近づいた中山 龍樹(なかやま たつき)は、彼の顔を覗き込んだかと思うと、その場で胃の中のものを吐き出した。



私、時田 史花(ときた ふみか)を振り返り、「来るな!」と強い口調で言い、こう続けた。






「山崎の、顔がないんだ……っ!!!」











……その放送があったのは、昼休みの時間だった。

林原之中学校の二年B組の教室で、私と沢田 世奈(さわだ せな)と龍樹という、幼馴染みの三人組で机を寄せ合い、給食を食べていた。



「今日でしょう? 林原之中学放送部の、レア放送」

「レア放送って言っても、放送部の部室に眠っていた昔のカセットテープを流すってだけだろ?」

「懐かしい音楽とか流れるのかな? 昭和歌謡とか、平成初期の音楽とか?」



世奈と龍樹が食べながら話していると、教室に設置されているスピーカーから雑音が流れた。



「始まったんじゃん?」
と、私が言うと、ふたりとも黙って頷く。



(なんだかんだ、楽しみにしてるじゃん)
と、内心可笑(おか)しく思っていると、スピーカーからの雑音が女性の声に変わる。



『……一席(いっせき)、お付き合いを願いまして……、《顔隠(かおかく)しの林》というお話なんですが……』



「何か始まったね」
と、思わず呟いてしまう。



龍樹に「史花、静かにっ」と言われてしまった。



『……与太郎(よたろう)にはいい人がいねぇんだよな。大家(おおや)さんも心配しているって話さ』



(与太郎? 大家さん?)



突然始まったこれは、何かの物語の朗読なんだろうか?

朗読にしては、何だか読み方が……。



『いっちょ、与太郎のお嫁さんでも探してやろうぜ。……あぁ、俺には当てがあるんだ。林のそばに住む女でさ、一風変わった女だけど、気立てのいい女らしいぜ。……そいつぁいいと、八五郎(はちごろう)熊五郎(くまごろう)は林へ出かけました』



「落語なのかな? それにしては、すっごく棒読みだけど」
と、世奈。



「なんで落語って思うの?」



龍樹の質問に、
「だって登場人物の名前。与太郎とか八五郎とか……、落語ではお決まりの登場人物の名前だよ」
と、答える世奈。



(そういえば世奈はおじいちゃんっこで、結構渋い趣味が多いっけ)



『……与太郎は晴れて女と夫婦(めおと)となり、林のそばに住んで三人の子どもに恵まれた。幸せな生活だったが、ひとつ、与太郎には気がかりなことがあった。……おいらの奥さん、ずっとお面をつけてやがんだ。奥さんだけじゃねぇよ、子ども達も。それに、おいらにもお面をつけさせるんだ。まるで、顔を隠していなくちゃならねぇみたいに』



(この話、なんか……ホラー?)



不気味な女の棒読みは、気味の悪さを倍増させた。

教室内もしんっとして、みんな不安そうに放送を聴いていた。



『……おい、与太郎。おめぇさん、ずっとお面なんかつけて、ちょいとおかしいぜ。もうそのお面、取ってみたらどうだい? おめぇさんの奥さんだって、その(つら)見たら自分のお面も取るかもしれねぇじゃねぇか』



(大丈夫かな、与太郎……)



不安な気持ちがどんどん膨らんでしまう。



『……相違(ちげ)ぇねぇ。よし、おいら、今日はお面を取って帰るとする。……八五郎の言葉を信じて与太郎はお面を取って家に帰ると、素顔の旦那を見た女は、悲鳴をあげた』



(えっ?)



「悲鳴、あげんの?」
と、龍樹が呟く。



「ちょっとこの話、不気味じゃない? こんな演目、本当に落語にあるの? 落語って笑える話ばっかりなんじゃないの?」



たまらず私が世奈に尋ねると、
「怖い話も確かにあるよ。それに、古典落語って言われる昔から伝わるお話もあるけれど、新作落語とか創作落語って言われるものもある。名前の通り、誰かが新しく創作したものだよ。これもそうじゃないかなぁ?」
と、世奈も首を傾げて言う。



『……与太郎の顔を見た子ども達は皆、与太郎に飛びついた。お面からよだれを垂らし、子ども達は乱暴な手つきで(みずか)らのお面を取る』



(なんか、この先を聴きたくないかも……)



『……そこで与太郎は初めて子ども達の顔を見た。どういうわけか、皆、のっぺらぼうのように顔のない子どもだった。……ぎゃあーっと与太郎が悲鳴をあげると同時に、子ども達は与太郎の顔をむしゃむしゃと食べ始めた。顔がなくなり、動かなくなった与太郎の代わりに……』



そこで雑音が入り、教室内では皆が「えっ?」と声をあげて顔を見合わせた。



『ーーーただ今をもちまして、放送部のレア放送は終了致します』
と、スピーカーからは聴き慣れた声がした。



学年主任の袴田(はかまだ)先生の声だった。



「えっ? こんな中途半端なまま?」
と、龍樹が不満気に口を尖らす。



「この話、怖いもん。絶対にホラーじゃん。校内放送で流して良い内容じゃないって判断されたのかもね」



私の言葉に世奈も頷いて、
「『顔隠しの林』ってタイトル、どこかで聞いたことがある気がするんだよね。どこだったかなぁ?」
と、給食の残りを食べた。




それからは、レア放送の話でもちきりだった。

クラスメイトの山崎くんなんか、給食で使ったハンカチでお面のように顔を隠しておどけていた。



(バカなことをしているなぁ)
と、冷めた目で見ていたけれど、それだけ私達の心に残る放送だったんだろうなとも思った。



午後の授業が始まり、先生が教室内をざっと見渡してこう言った。



「あれ? 山崎さんは?」



確かに山崎くんの席には、誰もいない。



「あいつ、めちゃくちゃふざけてたから、恥ずかしくなったんじゃねーの? きっと今頃、どこかで真っ赤な顔をして後悔してるって」

「あぁ、『顔隠しの林』に影響受けてたもんな」

「何だっけ、与太郎?」



ゲラゲラと笑う男子達。

先生は咳払いして、
「ちょっと学級委員長の時田さん」
と、私を見た。



「先生は山崎さんを探すので、みんなにこのプリントを配っておいてください。その間、自習にします」

「はい」



私は教卓の前まで行ってプリントを受け取り、みんなに配り始めた。



先生が教室を出て行ってから、
「オレらでも探そうぜ」
と、龍樹が私に言う。



「えー、自習って言われたじゃん」

「でも、山崎のことが気になるじゃん。こんな時こそ、そばにいてやらなくちゃ」

「も〜っ! 龍樹のお節介が始まったぁ」



ブーブーと文句を言う私の腕を引っ張り、龍樹は世奈も呼んだけど、マイペースな世奈は「私、行かなーい」と、はっきり断った。






「どこにいると思う?」

「『顔隠しの林』にだいぶ影響を受けている感じだったから、学校の裏手の雑木林に行ったとか? ほら、与太郎の奥さんって林のそばに住んでたじゃん? でも、そんなわけないよね? わざわざ行かないか」

「いやー、あり得るんじゃん? 誰かに迎えに来てほしいとか思って、わざと雑木林にいるのかも」



昔からそうだ。

龍樹はひとりでいる子を放っておけない、面倒見の良い奴だ。

髪を明るい茶色に染めたりピアスをしていたりするから、一見不良に思われるけど、本当は誰よりも優しかったりする。



(あっ、今って、龍樹とふたりきりだ……)



ちょっとだけ鼓動が速くなったけど、私は平静を装う。



「先生達も来るかな?」
と言って、龍樹と中学校の裏門からすぐの林へ向かって歩いていると、何かが横たわっているのが見えた。



「えっ、何あれ」

「……人だ! 誰かが、倒れている!」



龍樹と目を合わせて、私達は小走りで林の入り口へ急ぐ。



「山崎!」



私より視力の良い龍樹が、倒れているのは山崎くんだとわかったらしく、走る速度を速め、先に山崎くんのもとへ辿り着いた。



「わぁぁあああぁぁぁああっ!!!」



龍樹の悲鳴が鼓膜を揺らす。

私も倒れている人が山崎くんだとわかる距離まで近づいたけど、驚いて足を止めてしまった。

彼の着ている制服は真っ赤な血で染まっている。

何とも言えない、血の匂い。



「山崎……っ」
と、山崎くんに恐るおそる近づいた龍樹は、彼の顔を覗き込んだかと思うと、その場で胃の中のものを吐き出した。



私を振り返り、「来るな!」と強い口調で言い、こう続けた。






「山崎の、顔がないんだ……っ!!!」






「えっ?」

「た、食べられたあとみたいに、顔がないんだ……!」



龍樹の声が震えている。

そのことで決して冗談ではなく、本当に顔がないんだとわかると、私の体も震えた。



「た、多分……もう、死んでいると思う。せ、先生を呼ばなくちゃ」



龍樹の言葉に私は頷く。

これは私達では解決できない。

明らかに、大人のきちんとした対応が必要だ。



「山崎……、ちょっと待ってろよ」
と、龍樹がまだ震える声で、山崎くんに声をかけた。



そして少しふらつく足取りで私のところへやって来ると、
「史花、誰かを呼んでこよう」
と、言った。



その声が涙でくぐもっていたけれど、私は黙って頷くしかできなかった。




校舎に戻ると、袴田先生が校内を見回っているところで、
「先生!!」
と、ふたりでかけ寄った。



「なんだ、どうしたんだ!? 授業は?」

「先生、それどころじゃないんです!! 山崎くんが!山崎くんが……!」

「山崎さん? 確か教室にいないからって、先生達が探しているんじゃなかったか?」

「だから、その山崎が! 裏の雑木林の入り口で死んでいるんだよ!!」



龍樹の言葉に、
「……えっ?」
と、袴田先生が信じられないといった表情をして、まじまじと私達を見る。



「い、いっぱい血が出てて……! か、顔が……!!」



龍樹はそこで言葉を切った。

ただ事ではないと判断したのか袴田先生は他の先生を呼び、集まった先生達と私達は再び裏門を通り、雑木林まで走る。



「こっち!」
と、龍樹が先導する。



雑木林の入り口に近づくと、私はあることに気づいた。

龍樹も同じだったようで、足を止めた。



「どうしたんだ!? 山崎さんは!?」
と、袴田先生が尋ねる。






「先生ぇ……、山崎、いなくなっている」






龍樹のかすれた声。



山崎くんがさっき倒れていた場所。

確かにこの辺りだったはず。






だけど山崎くんは……。






……いない。









「……なんで?」
と、私と龍樹は辺りを見渡す。



山崎くんがいない。

それどころか、さっきまで血で染まっていた地面に生えている草も、そんな事実がなかったかのように、きれいな緑色でそよそよと風になびいている。



「なんで!? 山崎は生きていたってこと?」

「でも、それだったらあの時の山崎くんのあの血は? 顔は?」



訳がわからない。

私達が混乱していると、先生達が、
「あっ!! 山崎さん!!」
と、声をあげた。



振り返ると、私達の後ろにいる先生達の背後に、誰かが立っていた。



「何をしているんですか?」
と、呑気な声を出したその人は、間違いなく山崎くんだった。






(顔がある……)






「何って……!! 山崎さん、いなくなったから探していたんじゃないか!! どこか怪我したりしていないか?」



袴田先生の言葉に、山崎くんはニコニコと笑ってから、右手で自分の顔を撫でた。



「?」



何か、違和感を感じた。



山崎くんの口元が光っていて、それがよだれであるとわかった時、私は寒気がした。



(与太郎の顔を食べた子ども達みたい……)



「教室に戻りましょう?」
と、山崎くんは言う。



相変わらず嬉しそうに笑って。

よだれを拭くこともなく。