この世界では、生まれたときに座右のことわざを授かる。
「岩の上にも三年」「塵も積もれば山となる」「七転び八起き」など良い意味のことわざもあれば。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」「二度あることは三度ある」「身から出た錆」などあまり良くない意味、あるいは悪い意味のことわざもある。
それは、この世界の人々の基本の型をつくり、時に力となり、人生を導く羅針盤となる。
座右のことわざを持たないものは世界人口の一割以下。
つまりは、ほとんどの人は当たり前のように、ことわざとともに生き、ことわざとともに死ぬ。
しかし、一割以下であっても、ごく僅かにことわざを持たないものはいる。
ことわざを持たない者。
それは、不完全な人間としてみなされることもあれば、何かが欠けていると軽蔑されることもある。
そして、私、霞野 言は―――その少数派の一人だった。
昨日降った雨の跡を、雲の間から差した太陽が照らす。
制服の裾が、風に揺れた。
私は、ことわざ学園の前に立っていた。
『言葉は力なり』
と金色の文字が朝の眩しい光に照らされている。
私はその言葉に思わず目を伏せ、ぼそっと吐き出すように声を出す。
「私には、ないのに」
その自分の言葉で、ここに来ることになったきっかけの出来事を思い返させた。
『すみません、こちらの手違いで本来入学する予定とは違う学校に転入手続きをしてしまいました。ですが、霞野さんの名前で申請は通ったので、きっと大丈夫だと思います』
転入の書類をもらいに母と役所に行ったときに、役所の人にそう告げられた言葉。
母も私も呆然とし、顔を見合わせた。
その後いくつもの質問をしたけど、分かったことは少ない。
私が行くのは、国立のことわざ学園という場所。
ことわざ学園はことわざを持つものだけが入学できるのは大前提。
それに加え、そのことわざ試験とやらにも合格しなければならないそうで。
しかも、国立さながら偏差値はめちゃくちゃいいらしく、私が入れるレベルの場所ではあるものの私にあっていなすぎた。
役所の人が言うに、資料が混ざってしまっていたらしい。
ことわざ学園に転入する予定だった子が辞退したんだけど、それが私が転入する予定だった学校の子が辞退したことになってしまっていたらしい。
それで、私がことわざ学園に転入することになってしまったそうだ。
資料は辞退した子として通っているらしく、もう決まってしまったことだから取り消しは不可能らしい。
『一応資料は通っていますし、霞野 言さんという名前で申請されているので大丈夫だと思います』
役所を後にするときに、励ましのように役所の人に言われたことが頭の中に過る。
いやいや、大丈夫なんかじゃないよ……。
私にはことわざなんてないのに………。
不安が心に募るまま、私はことわざ学園の門をくぐり、足を踏み入れた。
「はあ」
ため息を吐きながらも、学園の地図を見て職員室へ向かう。
けれど、学園内は想像以上に広かった。
中世の城のような豪華な校舎内。
みんな同じような教室に見えて、今自分がどこにいるのかが少し分からなくなるけれど、地図を頼りに職員室に行くために足を進める。
「あれ?……ここ、どこ?」
しかし、方向オンチな私はいつの間にか人気のない静かな回廊に迷い込んでしまっていた。
辺りを見回しても静かで誰もいない。私の足音だけが廊下に響いていた。
まるで、世界に私だけが一人ぼっちで取り残されてしまったような錯覚に陥る。
地図を見て四苦八苦しながら、足を進めていると―――
カツン、という乾いた足音が廊下に響いた。
驚いて肩を揺らし、顔を上げる私。
丁度すぐそこの角を一人の男子生徒が曲がってきていた。
「こんなところで何してるんだ?」
思わず息を呑む。
整った顔立ち。鋭く突き刺すような瞳。冬の湖のように透き通った肌。艶々と光を反射してなびく綺麗な黒髪。彫刻のように無機質で、けれど繊細な顔立ち。
そして、存在感と黒い光を放つ胸元のことわざバッジ。
彼は私の側まで来ると、その鋭い瞳で私を捉えた。
無言で私を見下ろす彼の威圧感に、私は少し後退る。
こ、答えないと……。
彼の圧に、私は口を開いた。
「あ、あの……迷ってしまって…職員室に行きたいんですけど……」
私がそう言うと、「分かった。ついてこい」と言い、歩き出す彼。
私はテンポの良い会話に落ち着きをもらいながら、彼の後ろを歩いていった。
ふと曲がり角を曲がるときに、彼が振り返り私の方を見る。
視線は動き、私の胸元に落とされた。
「……空札、何だな」
彼はポツリと呟く。
短く、低い声。
私はその後「なんでないの?」「めずらしいね」という言葉が続くと思い、身構える。
けれど、彼は何も言ってこなかった。
「は、はい」
私は動揺しつつも、そう返事し足を進める。
目の前にある普通の人よりも強く光る黒。一言一句。
もし普通の人ならば、みんなそれに威圧されるはずなのに、私には靴の音だけが静かなこの空間が心地よく感じた。
「ここだ」
暫く歩くと、あれは豪華に装飾された扉の前で立ち止まった。
扉の少し上には、職員室と書かれたプレートもある。
「……じゃ、俺はこれで」
「あ」
彼はそう言って、私がお礼を言う間髪を入れずに踵を返して去っていった。
ここからは、一人なんだ……。
さっきまで一緒にいた人がいなくなった不安と、彼と一緒にいる居心地の良さに名残を感じる。
遠ざかっていく威厳のある真っ黒な背中に、不安を紛らわすように強い力で指が白くなるほど強くバッジを握りしめた。
行かなきゃ……。
「岩の上にも三年」「塵も積もれば山となる」「七転び八起き」など良い意味のことわざもあれば。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」「二度あることは三度ある」「身から出た錆」などあまり良くない意味、あるいは悪い意味のことわざもある。
それは、この世界の人々の基本の型をつくり、時に力となり、人生を導く羅針盤となる。
座右のことわざを持たないものは世界人口の一割以下。
つまりは、ほとんどの人は当たり前のように、ことわざとともに生き、ことわざとともに死ぬ。
しかし、一割以下であっても、ごく僅かにことわざを持たないものはいる。
ことわざを持たない者。
それは、不完全な人間としてみなされることもあれば、何かが欠けていると軽蔑されることもある。
そして、私、霞野 言は―――その少数派の一人だった。
昨日降った雨の跡を、雲の間から差した太陽が照らす。
制服の裾が、風に揺れた。
私は、ことわざ学園の前に立っていた。
『言葉は力なり』
と金色の文字が朝の眩しい光に照らされている。
私はその言葉に思わず目を伏せ、ぼそっと吐き出すように声を出す。
「私には、ないのに」
その自分の言葉で、ここに来ることになったきっかけの出来事を思い返させた。
『すみません、こちらの手違いで本来入学する予定とは違う学校に転入手続きをしてしまいました。ですが、霞野さんの名前で申請は通ったので、きっと大丈夫だと思います』
転入の書類をもらいに母と役所に行ったときに、役所の人にそう告げられた言葉。
母も私も呆然とし、顔を見合わせた。
その後いくつもの質問をしたけど、分かったことは少ない。
私が行くのは、国立のことわざ学園という場所。
ことわざ学園はことわざを持つものだけが入学できるのは大前提。
それに加え、そのことわざ試験とやらにも合格しなければならないそうで。
しかも、国立さながら偏差値はめちゃくちゃいいらしく、私が入れるレベルの場所ではあるものの私にあっていなすぎた。
役所の人が言うに、資料が混ざってしまっていたらしい。
ことわざ学園に転入する予定だった子が辞退したんだけど、それが私が転入する予定だった学校の子が辞退したことになってしまっていたらしい。
それで、私がことわざ学園に転入することになってしまったそうだ。
資料は辞退した子として通っているらしく、もう決まってしまったことだから取り消しは不可能らしい。
『一応資料は通っていますし、霞野 言さんという名前で申請されているので大丈夫だと思います』
役所を後にするときに、励ましのように役所の人に言われたことが頭の中に過る。
いやいや、大丈夫なんかじゃないよ……。
私にはことわざなんてないのに………。
不安が心に募るまま、私はことわざ学園の門をくぐり、足を踏み入れた。
「はあ」
ため息を吐きながらも、学園の地図を見て職員室へ向かう。
けれど、学園内は想像以上に広かった。
中世の城のような豪華な校舎内。
みんな同じような教室に見えて、今自分がどこにいるのかが少し分からなくなるけれど、地図を頼りに職員室に行くために足を進める。
「あれ?……ここ、どこ?」
しかし、方向オンチな私はいつの間にか人気のない静かな回廊に迷い込んでしまっていた。
辺りを見回しても静かで誰もいない。私の足音だけが廊下に響いていた。
まるで、世界に私だけが一人ぼっちで取り残されてしまったような錯覚に陥る。
地図を見て四苦八苦しながら、足を進めていると―――
カツン、という乾いた足音が廊下に響いた。
驚いて肩を揺らし、顔を上げる私。
丁度すぐそこの角を一人の男子生徒が曲がってきていた。
「こんなところで何してるんだ?」
思わず息を呑む。
整った顔立ち。鋭く突き刺すような瞳。冬の湖のように透き通った肌。艶々と光を反射してなびく綺麗な黒髪。彫刻のように無機質で、けれど繊細な顔立ち。
そして、存在感と黒い光を放つ胸元のことわざバッジ。
彼は私の側まで来ると、その鋭い瞳で私を捉えた。
無言で私を見下ろす彼の威圧感に、私は少し後退る。
こ、答えないと……。
彼の圧に、私は口を開いた。
「あ、あの……迷ってしまって…職員室に行きたいんですけど……」
私がそう言うと、「分かった。ついてこい」と言い、歩き出す彼。
私はテンポの良い会話に落ち着きをもらいながら、彼の後ろを歩いていった。
ふと曲がり角を曲がるときに、彼が振り返り私の方を見る。
視線は動き、私の胸元に落とされた。
「……空札、何だな」
彼はポツリと呟く。
短く、低い声。
私はその後「なんでないの?」「めずらしいね」という言葉が続くと思い、身構える。
けれど、彼は何も言ってこなかった。
「は、はい」
私は動揺しつつも、そう返事し足を進める。
目の前にある普通の人よりも強く光る黒。一言一句。
もし普通の人ならば、みんなそれに威圧されるはずなのに、私には靴の音だけが静かなこの空間が心地よく感じた。
「ここだ」
暫く歩くと、あれは豪華に装飾された扉の前で立ち止まった。
扉の少し上には、職員室と書かれたプレートもある。
「……じゃ、俺はこれで」
「あ」
彼はそう言って、私がお礼を言う間髪を入れずに踵を返して去っていった。
ここからは、一人なんだ……。
さっきまで一緒にいた人がいなくなった不安と、彼と一緒にいる居心地の良さに名残を感じる。
遠ざかっていく威厳のある真っ黒な背中に、不安を紛らわすように強い力で指が白くなるほど強くバッジを握りしめた。
行かなきゃ……。


