放課後の商店街は、夕日のオレンジ色がガラスに反射して、やけにキラキラして見えた。
……けど、わたしの心はまったくキラキラしてない。
「29点って、どういうこと……」
プリントをのぞき込むたびに、目と心が痛くなる。
理科だけ、どうしても点が取れない。
「色の実験とかも、いつも失敗しちゃうし……」
しょんぼりと歩いていたら、
ふわぁっと、甘い香りが風に混ざって流れてきた。
バニラでもない、チョコでもない。
もっと透き通ってて、ひんやりしてて、でもどこか温かい……
吸い込まれそうな、不思議な香り。
「……なに、この匂い?」
顔を上げた瞬間、目に飛びこんできた。
《ラボラトリー・スイーツ》
見たことないカフェ。
外観はかわいいパステル系なのに、看板は三角フラスコの形。
窓辺には試験管みたいな小瓶が並んでいて、その中で色のついた砂やドライフルーツがゆらゆら揺れていた。
「ラボ、ラトリー…?実験室……なのにカフェ?どういう組み合わせ?」
さらに近づいてガラス越しにのぞくと――
ビーカー型グラスのきらきら光るドリンク、
ふわっと蒸気みたいな光をまとったカップケーキ、
シフォンケーキからしゅわっと泡が弾けるような幻。
(……え、なにこれ!)
どうしてか目が離せなくて。
そのとき。
カラン、と。
触れていないのに、カフェのドアが開いた。
「……え?」
夕日の光がすっと吸い込まれるみたいに、店内は優しく輝いていた。
そして――
「いらっしゃい、ましろ」
胸が、きゅっと跳ねた。
名前……呼ばれた?
なんで知ってるの…!?
店の奥から、淡い紫色の髪の男の子が歩いてきた。
その髪は光の角度で青にもピンクにも揺れて見えて、まるで宝石みたい。
「迷いこんでくれて、ありがとう。
今日はね、“反応する子”が来るって、なんとなく分かってたんだ」
反応する子……?
全身がふわっと熱くなる。
さっきまで29点に落ち込んでたはずなのに、そんなの全部どこかに消えていった。
「さあ、どうぞ。
君に見せたい“色”があるんだ」
気づいたら、足が自然に店の中へ動いていた。
夕日の世界から、きらきらした甘い光の世界へ。
店内は、まるで小さな実験室みたいだった。
壁にはカラフルな試験管がずらり。
スイーツがのったトレイも、どこか実験器具に似ている。
でも、不思議と学校の実験室みたいな冷たさはなくて……
ふわっと甘い空気が漂っている。
「こっちだよ、ましろ」
少年が指先で示した席に座ると、
彼の髪がストンと肩に落ちて、淡いラベンダー色に揺れた。
(……きれい。なんで髪、こんなに色が変わるの?)
ぼんやり見つめていると、少年が小さく笑った。
「そんなに見られると、ちょっと照れるんだけど」
「ご、ごめん! その……髪、すごくきれいで」
「ふふ、ありがとう。
ぼくの名前は紫苑(シオン)。“色の変化”の擬人化だよ」
「色の変化の……擬人化!?」
びっくりしたけど、この不思議な空間を見ると、なんだか信じてしまう。
「酸性やアルカリ性、温度……いろんな“変わる理由”に反応して、髪や雰囲気の色が揺れちゃう体質なんだ。
君を見てると、どうしてか色が揺れる」
言うと同時に、紫苑の髪はほのかにピンクを帯びた。
(……ちょ、ちょっと待って。それ、反則じゃない?)
頬が、じんわり熱くなる。
すると、テーブルにトン、と何かが置かれた。
「さ、まずはひとつ。
ましろに見せたい“色のスイーツ”……これだよ」
透明なシリンダー型のグラスに入った——
レモンヨーグルトパフェ。
でも普通じゃない。
パフェの底には薄い水色のゼリー、
真ん中は白いムース、
上には淡いレモン色のソース……。
「きれいな色……」
「まだ“途中”だよ。
ここから、本当の姿を見てほしい」
紫苑は小瓶を二つ取り出した。
ひとつはほんのりピンク、
もうひとつは澄んだ青にきらめいている。
「まずは、ピンクのほうをそっと……ここに」
小さなスポイトを渡され、わたしはパフェに滴を落とす。
ぽとん。
一滴落ちた瞬間——
パフェの水色がふわっと広がり、
じわじわピンク色に変わっていく。
「……っ!! ま、まって、なにこれ!? どうして色が……!?」
胸がはじけるみたいに驚いて、思わず紫苑を見る。
紫苑の髪も、同じピンク色に染まってゆらめいた。
「きれいでしょ?
これはね、“酸っぱさ”が強くなるとピンクに変わる反応なんだ」
「酸っぱさ……?」
「うん。レモンの中に入ってる“酸”がね、さっきの液と反応して、色を変えてるんだよ」
わたしの表情を見て、紫苑はほんの少し嬉しそうに目を細めた。
「こういう変化は、ちゃんと理由がある“科学の魔法”なんだ」
魔法……。
でも確かに、魔法みたいにきれい。
「じゃあ次は——青の方も試してみようか」
紫苑が青い小瓶を差し出す。
勇気を出して、スポイトを押した。
ぽとん。
ピンク色に染まったパフェの端が、
すーっと青に変わる。
まるで夜明けみたいに、色がゆっくり広がっていく。
「わあ……! こんなに変わるの?」
「これは“酸っぱさ”が弱くなったサイン。
ぼくの色も……ほら」
紫苑の髪が、ほんの少しだけ青みを帯びる。
なんだろ。
スイーツの色が変わるたびに、胸の奥まで変化していくみたい。
「ましろ」
すっと紫苑がこちらを見る。
「君の中の“苦手”もね。
こうしてゆっくり、変わっていくんだよ」
その声が、パフェの色よりずっと甘くて。
なのに、心にすっと染み込んでいく。
わたしは気づけば、息をのみながら見つめていた。
そのとき。
カラン……と、店の奥で小さな音がした。
「シオンー! お前また勝手に色見せてんの? ずるいぞー!」
「電流パンケーキ、試食してくれよ」
「あ、ぼくの泡スフレ、爆発しそうなんだけど〜!」
(……え? なんか、にぎやか……?)
わたしがそっと首をかしげた瞬間。
紫苑は困ったように笑った。
「紹介は、また今度ね。
あいつら放っておくと、すぐ騒ぐから」
わざと隠してるみたいなその笑顔に、
また胸がぽっと温かくなる。
――このカフェには、
まだまだ知らない“現象”のイケメンたちがいるらしい。
そして、わたしの物語は……
きっとまだ始まったばかりだ。



