数日後、ルミエールはテオに付き添われ、領都の商業ギルドを訪れていた。
 目的は、ルミが生成した「宝石」の鑑定だ。
 呪いを浄化して生まれたサファイアや、ミエルの悪意から作ったルビー。それらがただの「排泄物」なのか、それとも価値あるものなのかを知る必要があった。
 ギルドの鑑定士、老練なドワーフのガンツは、ルーペを目に当てて宝石を覗き込むなり、震え出した。
「……おい、嬢ちゃん。こいつは一体どこで手に入れた?」
「えっと……私が作りました」
「作ったぁ!?」
 ガンツは大声を上げた。
「信じられん……! 不純物が一切ない。魔力伝導率はミスリル以上。こんな『賢者の石』みてぇな宝石、国宝級だぞ!」
 国宝級。
 ルミは目をぱちくりさせた。
 ただの「悪意の塊」が? 私が食べた後の「残りカス」が?
「買い取らせてくれ! 言い値でいい!」
 ガンツの鼻息が荒い。
 テオが、ニヤリと笑ってルミの肩を抱いた。
「聞いたか、ルミエール。君の力は、すごい価値があるんだ」
 ルミは、自分の手を見つめた。
 この手は、ゴミを生み出すだけだと思っていた。
 でも、それが誰かの役に立ち、価値を生むなら。
「……テオ様。私、働きたいです」
 ルミは、まっすぐにテオを見上げた。
「いつまでも、ただ守られているだけじゃ嫌なんです。自分の力で稼いで、この領地に恩返しがしたい」
 それは、ルミが初めて示した、明確な「自立」への意志だった。
 テオは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しく微笑んだ。
「ああ。君ならそう言うと思ったよ。……分かった。屋敷の離れを改装して、君の工房を作ろう」

 それから、ルミの職人生活が始まった。
 屋敷の離れに作られた工房で、ルミは日々、宝石の加工(といっても、悪意を結晶化して形を整えるだけだが)に励んでいた。
 材料となる「悪意」は、ガスパール副団長が定期的に供給してくれた(彼はルミの工房に来ては、「怪しい」「信用できない」と小言を言ってくれる貴重な栄養源だ)。
 ある日の昼下がり。
 コンコン、と工房のドアがノックされた。
「ルミエール、入ってもいいか?」
 テオだ。
 彼の手には、大きなバスケットが握られている。
「……差し入れだ。根を詰めすぎると体に毒だぞ」
 テオが広げたバスケットの中には、歪な形のおにぎりと、焦げた卵焼きが入っていた。
「これ……テオ様が?」
「あ、ああ。ロザリーに教わってな。……その、味は保証しないが」
 天下の辺境伯、騎士団長が、自ら厨房に立って作ったというのか。
 ルミは、焦げた卵焼きを口に運んだ。
 ジャリッ。
 殻が入っている。塩味も強すぎる。
 客観的に見れば、失敗作だ。
 だが。
『味覚データ:塩分過多。炭化部分あり。……感情データ:幸福』
 ルミの胸が、温かいもので満たされていく。
 悪意のない料理は、魔力にはならない。
 でも、今のルミには、それが何よりも美味しく感じられた。
「……美味しいです」
 ルミが微笑むと、テオは耳まで赤くして頭をかいた。
「そ、そうか。なら、また作る」
 その様子を見ていたパフが、「きゅ〜」と呆れたように鳴いた。
 ——ご主人様、完全に餌付けされてるきゅ。

 その日の夕方。
 ルミは、工房の窓から、剣の稽古をするテオの姿を眺めていた。
 夕日を浴びて、汗を流す彼の姿は、神々しいほどに美しい。
 ドクン。
 胸が鳴る。
 最近、テオを見ると、思考回路がおかしくなる。
 顔が熱くなり、視線を逸らせなくなる。
 『解析不能。システムエラー。……ウイルス感染の疑い』
 ルミが胸を押さえて困惑していると、掃除に来ていたロザリーが、くすりと笑った。
「お嬢様。それは『恋』ですよ」
「……こい?」
「はい。誰かを特別に想い、その人の笑顔を見るだけで幸せになる。……素敵な魔法です」
 恋。
 物語の中でしか聞いたことのない言葉。
 私が、テオ様に、恋?
 ——あり得ない。私は、心を壊された欠陥品だ。そんな私が、誰かを愛するなんて。
 でも。
 工房を早く切り上げて、屋敷に戻りたいと思うのはなぜ?
 彼の不器用な料理を、また食べたいと思うのはなぜ?
 ルミは、窓ガラスに映る自分の顔を見た。
 そこには、頬を染め、切なげな目をした、一人の「少女」がいた。
『……これが、恋』
 それは、悪意よりもずっと甘く、そして少しだけ苦しい、不思議な味だった。