雲の花嫁

「かつてはね、空の民と地の民は交流があったんだ。……ただ、地上は争いが絶えない。僕らは諍いを好まないから」


 クロードはユイの手を引きながら、穏やかに語った。
 雲の上を歩くには不思議な感覚がいる。
 柔らかく沈むようでいて、確かな足場がある。だが一歩でも踏み外せば、底知れぬ青空へと落ちてしまうような気がして、ユイの心臓は高鳴った。
 だからなのか、クロードはどこへ行くにもユイの手を決して離さなかった。

 一度だけ、彼は低く囁いた。


「ユイの手は温かいね」


 ――それが本音なのかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんわり熱を帯びた。


「わたくしも、争いは好みません。……父は、そのために亡くなりましたから」


 小さくこぼした声に、クロードが振り返り、深い蒼の瞳でユイを見つめた。


「その分、母が愛してくれました。……けれど母は時折、一人で泣いていました。争いなんて、好きな人はきっといません」

「……ユイ、見てご覧」


 クロードに導かれ、ユイは雲の合間から地上を覗き込む。
 そこに広がっていたのは、生まれ育った静かな山村ではなく、輝く海と、そのほとりに広がる大きな街だった。
 太陽の光を跳ね返す波。
 赤や青に彩られた屋根の群れ。
 行き交う人々の姿。
 まるで絵巻物のようにきらめく景色に、ユイは息を呑んだ。


「まあ……なんて、美しい。人も、あんなにたくさん……!」

「たしかに人は争う。けれど、そればかりではない。……僕も、知ってはいるのだけどね」

「クロード様は、あの風景を美しいとお思いですか?」

「うん。美しい自然と、それに寄り添う地上の民の営み――僕はそれを、美しいと思う」

「では、わたくしと一緒ですね」


 ユイは静かに微笑み、クロードの手をそっと握り直した。

 たしかに景色は美しかったが、あまりの高さに心は怯み、大きな手に縋りたくなった。
 クロードは何も言わずに、ユイの手をさっきよりも少しだけ強く握る。
 白い雲は、二人の足元で柔らかく漂っていた。


 二人は手を取り合い、雲の彼方を共に巡った。
 雲さえ連なれば、クロードはどこへでも歩み、やがて歩法を身につけたユイもまた、彼と共に幾多(いくた)の世界を巡り歩いた。