虐げられ令嬢は恋を知る~今さら執着されても遅いですよ元婚約者様~

 いつものように仕事をこなすネルの髪には、ヴィクトルがくれた髪飾りが光っていた。

「あれ?ネルなんか雰囲気違うね」
「そう、ですか?」
「うん。なんかいい事でもあったのかな?」

 バーノンに声をかけられ、照れるように顔を俯かせた。それと同時に、バンッ!と勢いよく扉が開かれた。

「ネル!!」

 そこに居たのは、目を吊り上げた婚約……オーウェンの姿があった。

 形相しい顔つきにネルは「ヒュッ」と息を飲み、手を強く握りしめ震える体を抑えようとしていた。

「……ここに隠れてなさい。出てきては駄目だよ」

 ネルの様子に気付いたバーノンが、優しく手を握りながら伝えると、オーウェンの前に出て行った。

「そう声を荒らげるものじゃありませんよ」
「うるさい!司書如きが指図するな!僕はネルに用があるんだ!早く呼んでこい!」

 冷静に対応するバーノンとは対象的に、オーウェンは苛立ちで周りが見えていないようだった。

(この状態で会わせるのはマズイな)

 大方、ヴィクトルとの噂話が彼の耳に入ったのだろう。

(だから忠告していたのに…)

 こういう状況になるのを分かっていたから私はヴィクトル()にネルを近付けたくなかった。
 彼女がこれ以上、傷付くのを見るは耐えられなかったからだ。

「彼女はここにはいませんよ」

 バーノンは小さく息を吐くと、素知らぬ顔で伝えた。

「なんだと!?では何処にいる!?」
「部外者の方にはお教え出来ません」
「貴様ッ!僕が誰か分かっていて言ってるのか!?」

 怒鳴つけ、胸ぐらを掴まれてもバーノンの顔色は変わらない。

「いくら婚約者だろうと、規則は規則。お取引を」
「ッ!!」

 冷淡に要件だけを伝えると、オーウェンは「チッ」と舌打ちをしながらバーノンを乱暴に突き飛ばした。

 すぐにドスドスと大きな足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

「痛たたた…」
「大丈夫ですか!?」

 突き飛ばされたら衝撃で打ったのか、腰を抑えながら立ち上がるバーノンの元へネルが駆け寄ってきた。

「すみません。私のせいで」
「大した事ないよ。彼に君を会わせる方が危険だ」

 服に付いた埃を叩きながら、周りに目を向けた。他人のいざこざは好奇心と興味の格好の的となり、周囲の視線を奪ってる。

「ほら皆さん、注意がそがれてますよ。よそ見をしない」

 注意を逸らすように手を叩きながら諌めると、蜘蛛の子を散らすように持ち場へ戻って行った。

「さあ、君も仕事に戻りなさい」

 これ以上の心配は無用とばかりに背中を押された。


 ***


 その日のネルは散々だった。初歩的ミスはするし、小さな段差に躓いて本をばら蒔いたし……元はと言えばオーウェンがやって来てから調子がおかしくなった。

「はぁ」

 所詮は言い訳に過ぎない。

 自分の不甲斐なさを嘆きながら、寮へ戻るところだった。この時、完全に気落ちしていて周囲の危険を察する事が出来なかった。

「ネル!ようやく見つけたぞ……!」

 ガサッと茂みから現れたのは、殺気だった形相のオーウェンだった。ネルはオーウェンの顔を見た瞬間、顔を青ざめた。まさかこんな時間まで探しているとは思いもしなかった。

(逃げなきゃ)

 そう頭では分かっているのに、足が竦んでしまって動けない。

「こい!」

 逃げる間もなく、腕を掴まれ人気ない場所へと連れて行かされた。地面に投げ捨てるように乱暴に投げつけられ、ふらつきながら上半身を起こした。

「お前、最近団長に色目使っているんだってな?婚約者がいる身で随分勝手なことをしてるな」

 冷静に言っているように聞こえるが、目の奥が怒りで燃えている。

(……自分だってそうじゃない)

 自分の事を棚に上げてとはよく言ったもので、この男にはその言葉がぴったりだ。

「団長がお前ごときに本気になると思ってんのか?金も魅力も可愛げもないお前を?」

 ……そんなこと言われなくても自分が一番分かってる。

「っていうか。団長ってのはこんな女に手を出すほど女に困ってんのかね?かっこいいだの抱かれたいだの言われてる癖に、こんな女しか捕まえられないなんて大したことねぇな!つーか、僕の方が上?」

「あはは!」と高々に笑うオーウェンに、ネルは黙っていられなかった。

「ヴィクトル様を悪く言わないで!」
「あ゛?」
「私の事はいくら馬鹿にしてもいいけど、ヴィクトル様を悪く言うのは許さない」

 いつもの弱々しいネルの姿はなく、強気な発言でオーウェンを睨みつけた。初めて自分に逆らってきたネルに一瞬気圧されたが、すぐにカッと怒りが湧き上がった。

「なに口答えしてんだよ!」

 バシッ!と大きな音ともに、ネルはその場に倒れた。

「お前は僕のモノなんだよ!這いつくばってご主人様の機嫌を取れよ!どうせお前に選択肢何かねぇんだ!黙って僕に従え!」

 倒れているネルを容赦なく蹴りつける。痛みと恐怖で体を丸めて少しでも衝撃を減らそうとするが、それ以上はどうすることも出来ずジッと耐えるしかない。

「あ?なんだ?」
「痛ッ!」

 髪留めに気が付いたオーウェンは髪を鷲掴みにすると、髪留めを乱暴に奪い取った。

「これはなんだ?もしかして団長からのプレゼントか?」

 見せつけるようにネルの目の前に持っていくと「返して!」と飛びついてきた。

「おっと」

 この男が簡単に返す訳がない。オーウェンはニヤッと口元を吊り上げ下卑た笑みを浮かべた。

「へぇ?これがそんなに大事か?」
「やめて!」

 髪留めを力強く握りしめ、すぐにでも壊せるという意図が読み取れる。

「それを返して!」
「なんだ?こんなものがそんなに大事か?」
「当たり前よ!貴方よりもずっと大事なものよ!」
「ッ!」

 自分が傷けられることを覚悟の上で牙を向けてくるネルの姿に、オーウェンはギリッと歯を食いしばった。

「はっ、お前は僕のモノだと言っただろ!そんな奴にこんなものは不要だ!」
「──やめて!」

 髪留めを地面目掛けて叩きつけようと、腕を大きく振りかぶった。
 ネルが慌てて奪い返そうと飛び掛かったが、無情にも髪留めはオーウェンの手から地面に向かって放たれた。

「駄目!」

 泣きながら手を伸ばすが、到底間に合う距離じゃない。髪留めが大事なのは当然だが、ヴィクトルから贈られたものを壊したくない思いで一杯だった。

(間に合わない──)

 絶望で目の前が真っ暗になりかけた時、パシッと地面に当たる寸前の所で受け止めてくれた手が見えた。

「声がして来てみれば……」

 射殺しそうなほど鋭い眼光をオーウェンに向けているのはヴィクトルだった。