船から降りて港近くの公園まで歩く間、藤宮専務はずっと手をつないだままだった。
離してくれる気配もないし、私は戸惑いながらも声をかけた。
「あの、藤宮専務……、手を……」
「ああ、すまない」
ハッとしたように藤宮専務は手をパッと放してくれた。手のひらに残る温もりが少し名残惜しい。
……なんて思っていない。思っていないったら。
「無理矢理連れ出して悪かったな」
謝っておきながら全く申し訳なさそうな様子がない。相変わらずクールな表情だ。
そういえば、この人が動揺したり焦ったりするところを見たことがない。いつも完璧でサイボーグのようだと思っている。
「おかげであの場所から抜け出すことができた。礼を言うよ」
「あの……、そんなに嫌ならなぜ来たんでしょうか?」
そもそも来なければいいものを……。
そう思ったら大きなため息が落ちてきた。
「椎葉に……、友達に無理やり連れてこられたんだ。彼女に振られたのは俺の責任だから……らしい」
「え? 藤宮専務の責任ですか」
「椎葉の彼女が勝手に俺に惚れちゃったんだ」
「それは……」
修羅場になりそうだ。
しかも、’勝手に’を強調するあたり、藤宮専務とお友達がライバル関係というわけではなさそう。
女性が一方的に藤宮専務に恋してしまったということか。イケメンは大変だね……。
「俺に乗り換えようとしたからきっぱり断ったけどね」
うんざりしたような冷たい目をする。
ああ……、大変だったんだろうな。まぁ、このルックスにスペックだもんね。あらゆるところから女性が寄ってくるだろう。
「今日は椎葉がしつこくてね。あそこで椎葉に彼女ができるまで付き合わされそうな勢いだったから、正直、桃瀬がいてくれて助かった」
「抜け出すには好都合でしたね」
そう言うと、藤宮専務は深く頷いた。
「ああいう場は好きじゃないしな。で? 桃瀬は事情があったのに良かったのか?」
そう聞かれて、「あ~……、まぁ……」と苦笑いをする。
恥ずかしい話だが、別に隠すことではないか。
「実は婚約者を探していまして」
「婚約者?」
何を言ってるんだ? という顔している。うん、私もそう思う。
本当、何言ってるんだろう……。何してるんだろう……。
「泣くなよ」
「泣いてませんよ」
思わず俯いた私に、藤宮専務は呆れたように言った。
「自分の情けなさに辟易しているだけです」
「何があったんだ?」
「……先月、祖母の新盆があったので実家に帰ったんです」
私の実家は地方の田舎町にある小さな温泉街。温泉の規模は小さく、最近ではお客さんも閑散としている古い街だ。
実家はそこで小さな旅館を経営していた。家は兄夫婦が継いでいるが……。
「両親は28歳にもなって独身なのはみっともない、お見合いをしろってしつこくて」
「……耳が痛い話だな」
32歳独身の藤宮専務にも刺さるのか嫌そうな表情をした。
わかります、その気持ち。すみません、うちの両親、田舎の人なんで価値観が古いんです。女の幸せは結婚だと思っているんです。
大きく頷いてから、私は少し言いよどむ。
「それで……、無理やりお見合いをセッティングされそうだったので、つい言っちゃったんです……」
「言った? 何を」
「……婚約者がいるって」
「ああ〜……、なるほど」
ああ、大見栄を切ったあの時の私を黙らせたい。
どうしてあんなことを言ってしまったのか。売り言葉に買い言葉だったとはいえ、気軽に言っていいことではなかった。
もし、今魔法使いが現れて一つだけ願いを叶えてくれると言ったら、私は確実にあの瞬間に時を戻してもらうだろう。
藤宮専務は呆れたのか黙り込んでしまった。
ですよね、言葉もないですよね。本当、自分の浅はかさを恨みます。
「もしかして、近いうちに連れて来いって言われたのか?」
「さすが藤宮専務! まさにその通りです! 来月連れ帰る約束をしてしまいました」
「凄い」とパチパチ拍手をしたら「いらん」と一蹴されてしまった。
「それで婚活か。あながち、こういう高級パーティーでいい男捕まえられたら、さらに親に見栄を張れる……とかか?」
「見栄というか……。できのいい兄が家を継いで鼻高々の両親に、私を認めさせたいというか……」
言葉尻が小さくなる。自分で言っていて酷いなと自覚してきた。
4つ上の兄はとても優秀で、跡継ぎとしてそれは大事に大事に育てられた。
半面、私は兄ほど優秀でもないし秀でたものがあるわけでもない。女だからという理由で後回しにされることもあった。
奇跡的に藤宮グループに入社した時は大変喜ばれたが、適齢期になると結婚はまだかと言われる始末。
父親に腰掛で入ったんだろうと言われ大喧嘩したのである。
そして、お見合いをセッティングされそうになり、咄嗟に言ったセリフが『婚約者がいる』である。
すると、藤宮専務がポツリと呟いた。
「温泉か……。桃瀬の実家がある温泉地の名前は聞いたことがある。……いいな、たまにはゆっくりしたい」
「有名地から少し離れているので廃れ気味ですけどね。いい町ですよ。一度遊びに来てください」
「じゃぁ、行こうか」
「え?」
藤宮専務は私を振り返ってニコッと微笑んだ。
「俺が一緒に帰省してやるよ、婚約者として」
え……、今、なんて? 婚約者? 藤宮専務が?
「……ええええっ!? 専務がですか!?」
「そう。今日、助けてもらったし。そのお礼として」
「いやいや、今日のは私も助けてもらいましたし、別になんてことないですから! その対価が婚約者のフリって流石に大き過ぎます!」
急に何を言うかと思えば!
いくらなんでも藤宮専務に婚約者の代わりを頼むわけにはいかない。
まるで旅行へ行くかのような口調で提案してきた藤宮専務に全力で拒否をする。しかし、藤宮専務は引かなかった。
「今日助けてもらったお礼だ。気にするな」
「します! それに今日のお礼に婚約者のふりして親に紹介って……、専務の利益は何一つないですよね? むしろ不利益を被るだけじゃ……」
「いつも仕事で助けてもらっているし、これくらいは構わないさ」
「ええっ!?」
コンビニに付き合う程度の軽さで答える藤宮専務が怖くなってきた。
どうして? どう考えたってこんなの面倒ははず。親に紹介するんだよ? 婚約者として。本当にわかっているのかな……。
まさか……。
「面白がっていませんか?」
「そんなことはない」
「いい暇つぶしができた……とか?」
「俺はそんなに暇ではない」
「ただで温泉が入れるから……とか?」
「そんなセコクない」
「ならどうして!?」
まったく理解できずに混乱してくる。すると、藤宮専務は真っすぐ私を見つめて言った。
「俺はトップに立つ人間として、目の前で困っている部下を見捨てるような真似をしたくないだけだ」
「専務……」
一瞬胸がときめいてしまった。
言っていることはとても素敵だ。しかし正直、どうも胡散臭さは拭えない。
「まぁ、要は人に借りを作るのが嫌いってだけだ」
「借り……」
貸し借りでこんなこと頼んでいいのだろうか。
でも、時間がないのも事実。だったら、一日だけ婚約者のフリをして助けてもらうのも……ありか…?
「親に紹介した後、また何か言われたら別れたことにすればいい。傷心の娘に結婚しろと突く様な親じゃないだろ?」
「そこは……はい。たぶん、しばらくはそっとしておいてくれると思います」
「その間に本物の恋人を作ればいいだろう」
確かにその通りだ。
必要なのは、来月親に紹介するその時だけ。一度紹介したら、しばらくは帰省しない。本物の恋人を作る猶予ができる。
「今日は本当に助かった。その礼として一日、婚約者のフリをしてやろう」
「藤宮専務……」
藤宮専務は私にスマホを出させ、あっという間に連絡先を交換した。そしてスマホを軽く掲げる。
「よろしくな」
「……っ、よ、よろしくお願いします」
見たことがない穏やかな笑顔で微笑まれ、不覚にも胸がどきんと高鳴ってしまった。
こうして私たちは一時的な偽の婚約者同士となったのである。
離してくれる気配もないし、私は戸惑いながらも声をかけた。
「あの、藤宮専務……、手を……」
「ああ、すまない」
ハッとしたように藤宮専務は手をパッと放してくれた。手のひらに残る温もりが少し名残惜しい。
……なんて思っていない。思っていないったら。
「無理矢理連れ出して悪かったな」
謝っておきながら全く申し訳なさそうな様子がない。相変わらずクールな表情だ。
そういえば、この人が動揺したり焦ったりするところを見たことがない。いつも完璧でサイボーグのようだと思っている。
「おかげであの場所から抜け出すことができた。礼を言うよ」
「あの……、そんなに嫌ならなぜ来たんでしょうか?」
そもそも来なければいいものを……。
そう思ったら大きなため息が落ちてきた。
「椎葉に……、友達に無理やり連れてこられたんだ。彼女に振られたのは俺の責任だから……らしい」
「え? 藤宮専務の責任ですか」
「椎葉の彼女が勝手に俺に惚れちゃったんだ」
「それは……」
修羅場になりそうだ。
しかも、’勝手に’を強調するあたり、藤宮専務とお友達がライバル関係というわけではなさそう。
女性が一方的に藤宮専務に恋してしまったということか。イケメンは大変だね……。
「俺に乗り換えようとしたからきっぱり断ったけどね」
うんざりしたような冷たい目をする。
ああ……、大変だったんだろうな。まぁ、このルックスにスペックだもんね。あらゆるところから女性が寄ってくるだろう。
「今日は椎葉がしつこくてね。あそこで椎葉に彼女ができるまで付き合わされそうな勢いだったから、正直、桃瀬がいてくれて助かった」
「抜け出すには好都合でしたね」
そう言うと、藤宮専務は深く頷いた。
「ああいう場は好きじゃないしな。で? 桃瀬は事情があったのに良かったのか?」
そう聞かれて、「あ~……、まぁ……」と苦笑いをする。
恥ずかしい話だが、別に隠すことではないか。
「実は婚約者を探していまして」
「婚約者?」
何を言ってるんだ? という顔している。うん、私もそう思う。
本当、何言ってるんだろう……。何してるんだろう……。
「泣くなよ」
「泣いてませんよ」
思わず俯いた私に、藤宮専務は呆れたように言った。
「自分の情けなさに辟易しているだけです」
「何があったんだ?」
「……先月、祖母の新盆があったので実家に帰ったんです」
私の実家は地方の田舎町にある小さな温泉街。温泉の規模は小さく、最近ではお客さんも閑散としている古い街だ。
実家はそこで小さな旅館を経営していた。家は兄夫婦が継いでいるが……。
「両親は28歳にもなって独身なのはみっともない、お見合いをしろってしつこくて」
「……耳が痛い話だな」
32歳独身の藤宮専務にも刺さるのか嫌そうな表情をした。
わかります、その気持ち。すみません、うちの両親、田舎の人なんで価値観が古いんです。女の幸せは結婚だと思っているんです。
大きく頷いてから、私は少し言いよどむ。
「それで……、無理やりお見合いをセッティングされそうだったので、つい言っちゃったんです……」
「言った? 何を」
「……婚約者がいるって」
「ああ〜……、なるほど」
ああ、大見栄を切ったあの時の私を黙らせたい。
どうしてあんなことを言ってしまったのか。売り言葉に買い言葉だったとはいえ、気軽に言っていいことではなかった。
もし、今魔法使いが現れて一つだけ願いを叶えてくれると言ったら、私は確実にあの瞬間に時を戻してもらうだろう。
藤宮専務は呆れたのか黙り込んでしまった。
ですよね、言葉もないですよね。本当、自分の浅はかさを恨みます。
「もしかして、近いうちに連れて来いって言われたのか?」
「さすが藤宮専務! まさにその通りです! 来月連れ帰る約束をしてしまいました」
「凄い」とパチパチ拍手をしたら「いらん」と一蹴されてしまった。
「それで婚活か。あながち、こういう高級パーティーでいい男捕まえられたら、さらに親に見栄を張れる……とかか?」
「見栄というか……。できのいい兄が家を継いで鼻高々の両親に、私を認めさせたいというか……」
言葉尻が小さくなる。自分で言っていて酷いなと自覚してきた。
4つ上の兄はとても優秀で、跡継ぎとしてそれは大事に大事に育てられた。
半面、私は兄ほど優秀でもないし秀でたものがあるわけでもない。女だからという理由で後回しにされることもあった。
奇跡的に藤宮グループに入社した時は大変喜ばれたが、適齢期になると結婚はまだかと言われる始末。
父親に腰掛で入ったんだろうと言われ大喧嘩したのである。
そして、お見合いをセッティングされそうになり、咄嗟に言ったセリフが『婚約者がいる』である。
すると、藤宮専務がポツリと呟いた。
「温泉か……。桃瀬の実家がある温泉地の名前は聞いたことがある。……いいな、たまにはゆっくりしたい」
「有名地から少し離れているので廃れ気味ですけどね。いい町ですよ。一度遊びに来てください」
「じゃぁ、行こうか」
「え?」
藤宮専務は私を振り返ってニコッと微笑んだ。
「俺が一緒に帰省してやるよ、婚約者として」
え……、今、なんて? 婚約者? 藤宮専務が?
「……ええええっ!? 専務がですか!?」
「そう。今日、助けてもらったし。そのお礼として」
「いやいや、今日のは私も助けてもらいましたし、別になんてことないですから! その対価が婚約者のフリって流石に大き過ぎます!」
急に何を言うかと思えば!
いくらなんでも藤宮専務に婚約者の代わりを頼むわけにはいかない。
まるで旅行へ行くかのような口調で提案してきた藤宮専務に全力で拒否をする。しかし、藤宮専務は引かなかった。
「今日助けてもらったお礼だ。気にするな」
「します! それに今日のお礼に婚約者のふりして親に紹介って……、専務の利益は何一つないですよね? むしろ不利益を被るだけじゃ……」
「いつも仕事で助けてもらっているし、これくらいは構わないさ」
「ええっ!?」
コンビニに付き合う程度の軽さで答える藤宮専務が怖くなってきた。
どうして? どう考えたってこんなの面倒ははず。親に紹介するんだよ? 婚約者として。本当にわかっているのかな……。
まさか……。
「面白がっていませんか?」
「そんなことはない」
「いい暇つぶしができた……とか?」
「俺はそんなに暇ではない」
「ただで温泉が入れるから……とか?」
「そんなセコクない」
「ならどうして!?」
まったく理解できずに混乱してくる。すると、藤宮専務は真っすぐ私を見つめて言った。
「俺はトップに立つ人間として、目の前で困っている部下を見捨てるような真似をしたくないだけだ」
「専務……」
一瞬胸がときめいてしまった。
言っていることはとても素敵だ。しかし正直、どうも胡散臭さは拭えない。
「まぁ、要は人に借りを作るのが嫌いってだけだ」
「借り……」
貸し借りでこんなこと頼んでいいのだろうか。
でも、時間がないのも事実。だったら、一日だけ婚約者のフリをして助けてもらうのも……ありか…?
「親に紹介した後、また何か言われたら別れたことにすればいい。傷心の娘に結婚しろと突く様な親じゃないだろ?」
「そこは……はい。たぶん、しばらくはそっとしておいてくれると思います」
「その間に本物の恋人を作ればいいだろう」
確かにその通りだ。
必要なのは、来月親に紹介するその時だけ。一度紹介したら、しばらくは帰省しない。本物の恋人を作る猶予ができる。
「今日は本当に助かった。その礼として一日、婚約者のフリをしてやろう」
「藤宮専務……」
藤宮専務は私にスマホを出させ、あっという間に連絡先を交換した。そしてスマホを軽く掲げる。
「よろしくな」
「……っ、よ、よろしくお願いします」
見たことがない穏やかな笑顔で微笑まれ、不覚にも胸がどきんと高鳴ってしまった。
こうして私たちは一時的な偽の婚約者同士となったのである。



