翌日、最寄り駅まで行くと駅前ロータリーに黒い高級車が止まっていた。
……絶対あの車だ。
予想通り、近寄ると藤宮専務が下りてきた。
白いTシャツに紺色のカジュアルなジャケット、テーパードパンツにローファーだ。
よくある30代男性の落ち着いたカジュアルな服装なのに、凄く様になっていて車の横に立つと何かの撮影のように見えてしまう。
それだけじゃない。
いつもは前髪を上げてビシッと決めているのに、今日は前髪が下りて軽く整えた程度。
全く雰囲気が違う。一瞬、藤宮専務だとわからなかった。
「お待たせしました」
「いや、俺も来たところだ。乗って」
促されるまま車に乗り込む。フワッといい香りがした。婚活パーティーで抱き寄せられた時と同じ香り。
それだけで胸がキュッとする。
どうしよう……。いつもの藤宮専務と雰囲気が違うから知らない人みたい。凄くドキドキする。
落ち着け、茉白。今日はただ偽装するために会っているだけ。仕事みたいなものなんだから。
そう言い聞かせるが胸の奥がソワソワする。
運転席に座る藤宮専務をチラッと見ると、こちらを見ていて視線が合う。
「な、何か?」
「いつもと雰囲気違うな」
「え……」
「似合ってる」
短く、飾り気がない一言。それだけで胸が熱くなるから不思議だ。格好を褒められるとは思わなかったから余計に嬉しい。
「ありがとうございます。藤宮専務も……、素敵です」
「茉白、名前で呼べ。これはプライベートだからな」
「名前……。綾斗さん……?」
戸惑いながらもそう呼ぶと、綾斗さんは満足そうに口角を上げた。名前を呼び合うだけでも距離が近くなった気がする。
プライベート……か。
仕事みたいなもんだと言い聞かせたばかりなのに、そんなこと言われたら意識してしまうではないか。
「あの、どこへ向かっているんですか?」
話題を変えるように話を振ると、ちょうどどこかの駐車場に入るところだった。
「ここ……」
あちこちに可愛いイルカやペンギンのモニュメントがある。水族館だった。
「デートの定番だろ。写真で見てもどこへ行ったかわかりやすい」
「そうですね」
水族館なんて何年ぶりだろう。
あまり訪れたことがない場所にワクワクしていると、綾斗さんがスマホを取り出し私に顔を寄せた。
「えっ」
「証拠、撮るんだろ?」
そうだけど……。
肩が触れるほど近くに立ち、「もう少し寄れ」と耳元で低く言われる。
……ち、近い。
慣れない距離にドキドキしていると、シャッター音がして綾斗さんは離れた。画面に映った私たちは驚くほど普通のカップルだった。
「悪くないな」
「そう……ですか?」
「嘘には見えない」
その言葉になぜか胸がキュッと締め付けられる。
そっか、私たち普通のカップルに見えるのか。なんだか胸がくすぐったいな。
入場して展示を見ながら歩くうち、会話は自然と増えていった。
「え!? 綾斗さん、ピーマン嫌いなんですか?」
「……そんなに笑うことないだろ」
憮然とする綾斗さん。そんな顔、仕事の時は絶対に見られない。
「すみません、でも可愛くて」
「茉白こそニンジンが嫌いなんだろ? 俺と似たようなものじゃないか」
「お互い子供みたいですね」
クスクス笑うと、綾斗さんもフフっと笑顔を見せた。
あ、こんな風に笑うんだ……。
初めて見る自然な笑顔にドキッとする。上司と部下の関係のままだったら、一生みることがないだろう。
「そういえば、この前テレビで……」
他愛のない会話が続く。
話は尽きず、途切れることがなかった。仕事の話、好きな物、子供の頃の話……。綾斗さんとの会話はとても楽しかった。
私は相手が上司ということを忘れて、自然にこの状況を楽しんでいた。
「あ、綾斗さん、かわうそがいますよ! エサがやれるそうです!」
展示室に小さな丸い窓が付いており、エサを見せるとかわうそが手を出してくれるらしい。
「ほら、餌」
「ありがとうございます」
綾斗さんが餌を買ってくれたので、私はそっとそれを差し出す。すると、小さな手が出てきて受け取ってくれた。
「可愛いっ!」
可愛さに悶えていると、綾斗さんも軽くかがんで目線を合わせ、私の顔の横からかわうそを見つめる。
ドキッとして距離を取ろうとするが、左は壁、右は綾斗さんなので逃げ場がない。すると、フッと綾斗さんが優しい顔になり低い声で囁いた。
「結構可愛いもんだな。ちょこまかキョロキョロした動きが茉白に似てる」
……どういう意味だ。
「そんなこと言われたの初めてです」
「可愛いって話だ」
可愛いっ……!?
ニコッと微笑む綾斗さんがこちらを振り返った。反射的に私も綾斗さんの方を見る。
「あ……」
思った以上に顔が近い。
「ご、ごめんなさい」
咄嗟に体を引くが、隣は壁なのでそのままゴンっと壁にぶつかってしまった。
「痛っ……」
「大丈夫か?」
綾斗さんの大きな手が私の頭を包み込んだ。顔を覗き込む綾斗さんと目が合う。
「……そんなに赤くなるな」
「な、なっていません」
ガラス越しに青く揺れる光が綾斗さんの顔を照らす。色っぽく見えてどこを見ていいのかわからなかった。
顔が近い……。顔をあげたらキスする距離になってしまう。そんなの……。
「恋人としては自然だな」
「恋人なら……、自然ですね……」
綾斗さんが何か言おうと口を開いた時、ピリリリとスマホが鳴った。私のではない、綾斗さんのだ。綾斗さんがパッと体を離し立ち上がり、ポケットから取り出す。
私はこっそりと息を吐いた。そのうち心臓が爆発しちゃうんじゃないだろうか。
「はい、ああ、お疲れ」
表示を見た後、綾斗さんは凛とした声になる。
「それについては、来週の会議で……、ああ、そうだ……」
仕事の電話だろう。スマホから微かに女性の声がする。
綾斗さんの秘書の真田さんかな……。
凄く綺麗な人で、綾斗さんの隣にいても絵になる。ああいう人なら綾斗さんに釣り合うのだろうか
……なんか、胸がじわっと苦い。
「待たせたな」
「お仕事ですか? お忙しいならもう……」
「いや、大丈夫。続きを見に行こう」
「はい」
それだけの一言なのに、置いていかれなかったことにホッとしてしまう自分がいた。



