数日後。
リディアは、薬草園にいた。
体は、回復してきている。
だが、心は回復していない。
リディアは、薬草園の隅に座り込んでいた。
膝を抱えて。
白い根草が、風に揺れている。
青い花弁が、陽光を浴びている。
美しい、景色。
だが、リディアの目には何も映らない。
証拠が、全て失われた。
何週間もかけて作った論文。
セレナの罪を証明する、唯一の資料。
全て、灰になった。
リディアは、膝に顔を埋めた。
「前世でも……」
リディアの声が、小さく震える。
「今世でも……」
リディアは、目を閉じた。
「私は、誰も救えない……」
リディアの声が、絶望に沈む。
「真実を、証明できない……」
涙が、頬を伝う。
前世の記憶が、蘇る。
製薬会社の会議室。
告発資料を握りしめた自分。
冷たい視線。
拒絶の言葉。
「君の研究は、会社の利益を損なう」
「証拠不十分だ」
「黙っていろ」
そして、左遷。
孤独。
絶望。
リディアは、震えた。
また、同じだ。
何も変わっていない。
足音が、近づいてくる。
リディアは、顔を上げた。
領民の老婆が、立っている。
「リディア様」
老婆の声が、優しい。
「お元気ですか?」
リディアは、笑顔を作った。
虚ろな、笑顔。
「ええ……大丈夫です」
老婆は、リディアの手を取った。
「あなたのおかげで、私の孫が元気になりました」
老婆の目が、感謝に満ちている。
「本当に、ありがとうございます」
リディアは、頷いた。
「良かったです……」
リディアの声が、か細い。
老婆は、去っていった。
リディアは、再び膝を抱えた。
感謝されるほど、苦しい。
私は、何も成し遂げていない。
セレナは、まだ王宮にいる。
被害者たちは、まだ苦しんでいる。
私は、何もできていない。
リディアは、自己嫌悪に苛まれた。
午後。
エリスが、薬草園にやってきた。
「リディア先生!」
エリスの声が、明るい。
リディアは、振り返った。
エリスが、笑顔で駆けてくる。
健康そうな、顔。
「一緒に、お花摘みしよ!」
エリスが、リディアの手を取る。
リディアは、笑顔を作った。
虚ろな、笑顔。
「ええ……」
エリスと一緒に、花を摘む。
エリスは、楽しそうに笑っている。
「リディア先生、大好き!」
エリスが、リディアに抱きつく。
リディアは、エリスを抱きしめた。
だが、心は痛い。
私には、この資格がない。
こんなに優しくされる資格が。
リディアは、涙をこらえた。
夕方。
カイルが、薬草園を訪れた。
「リディア」
カイルの声が、優しい。
リディアは、振り返った。
カイルが、立っている。
心配そうな、顔。
「大丈夫か?」
カイルが、リディアの肩に手を置く。
リディアは、頷いた。
「ええ……大丈夫です」
リディアの声が、作り笑いだ。
カイルは、リディアの目を見た。
「嘘をつくな」
カイルの声が、低い。
リディアは、目を逸らした。
「本当に……大丈夫です……」
カイルは、リディアを抱きしめた。
「無理をするな」
カイルの声が、温かい。
リディアは、カイルの胸に顔を埋めた。
温かい。
優しい。
でも、苦しい。
こんなに優しくされるほど、苦しい。
私には、その資格がない。
リディアは、涙をこらえた。
夜。
リディアは、一人薬草園に戻った。
月が、昇っている。
星が、輝いている。
美しい、夜空。
リディアは、薬草園の中央に座り込んだ。
そして、泣いた。
声を上げて。
「どうして……」
リディアの声が、夜に響く。
「どうして、私は……」
涙が、止まらない。
「何もできないの……」
リディアは、地面を叩いた。
「前世でも……今世でも……」
リディアの声が、絶望に満ちている。
「私は、何も変えられない……」
リディアは、空を見上げた。
星空が、無情に輝いている。
冷たく。
遠く。
美しく。
リディアは、涙で視界が霞んだ。
「誰か……」
リディアの声が、か細い。
「誰か……教えて……」
リディアは、膝を抱えた。
「私は、どうすればいいの……」
風が、吹いた。
薬草が、揺れる。
リディアの髪が、風に舞う。
だが、答えは返ってこない。
星空は、ただ静かに輝いているだけ。
リディアは、一人泣き続けた。
夜が、深まっていく。
翌日。
リディアは、研究棟に閉じこもっていた。
机の上に、薬草が散らばっている。
乳鉢。
薬瓶。
実験器具。
だが、リディアの手は動かない。
ただ、ぼんやりと机を見つめている。
調合を、しようとした。
薬草を、手に取った。
だが、手が震えた。
何のために、作るのか。
誰のために、作るのか。
わからなくなった。
リディアは、薬草を机に置いた。
そして、椅子に深く座り込んだ。
目を閉じる。
前世の記憶が、フラッシュバックする。
製薬会社の研究室。
告発資料を作る自分。
薬害事件の証拠を、集める自分。
だが。
誰も、信じてくれなかった。
上司は、冷たく言った。
「証拠不十分だ」
「会社の利益を考えろ」
「黙っていろ」
同僚たちも、目を逸らした。
「あいつは、問題児だ」
「出世を諦めたのか」
「関わらない方がいい」
孤独。
絶望。
そして。
左遷。
リディアは、目を開けた。
涙が、溢れる。
「また、同じだ……」
リディアの声が、震える。
「告発しても……」
リディアは、机に突っ伏した。
「誰も、信じない……」
リディアの涙が、机を濡らす。
「証拠がなければ……何も変わらない……」
リディアは、拳を握りしめた。
「前世と、同じ……」
リディアの声が、絶望に沈む。
時間が、過ぎていく。
リディアは、動けない。
何もできない。
ただ、机に突っ伏している。
扉を、ノックする音。
「リディア先生?」
エリスの声だ。
明るい、声。
リディアは、顔を上げた。
涙を、拭う。
「……何?」
リディアの声が、冷たい。
扉が、開く。
エリスが、顔を覗かせた。
「先生、一緒にお昼ご飯食べよ?」
エリスの笑顔。
無邪気な、笑顔。
リディアは、目を逸らした。
「今日は……一人にして」
リディアの声が、拒絶している。
エリスの笑顔が、消えた。
「……先生?」
エリスの声が、不安そうだ。
「一人に、して」
リディアの声が、強くなる。
エリスは、立ち尽くした。
そして、小さく頷いた。
「……わかった」
エリスの声が、悲しそうだ。
エリスは、扉を閉めた。
静かに。
足音が、遠ざかっていく。
リディアは、顔を覆った。
「ああ……」
リディアの声が、自己嫌悪に満ちている。
「何を、やっているの……」
リディアは、震えた。
「優しい子を……」
リディアの涙が、止まらない。
「傷つけてしまった……」
リディアは、机に突っ伏した。
「私は……最低だ……」
リディアは、泣き続けた。
自己嫌悪。
罪悪感。
無力感。
全てが、リディアを押し潰す。
時間が、過ぎていく。
部屋が、暗くなっていく。
夕方。
扉の外で、足音が止まった。
重い、足音。
カイルだ。
扉を、ノックする音。
リディアは、返事をしなかった。
沈黙。
やがて、カイルの声が聞こえた。
扉越しに。
「リディア」
カイルの声が、低く響く。
「無理に、笑わなくていい」
カイルの声が、優しい。
リディアは、顔を上げた。
扉を、見つめる。
「俺は、ここにいる」
カイルの声が、静かに響く。
「お前が、泣きたければ泣けばいい」
カイルの声が、温かい。
「お前が、休みたければ休めばいい」
カイルの声が、続く。
「俺は、ここにいる」
リディアは、涙が溢れた。
「カイル……」
リディアの声が、震える。
「俺は、どこにも行かない」
カイルの声が、誓いのように響く。
「お前が、立ち上がるまで」
カイルの声が、優しい。
「俺は、ここで待っている」
リディアは、扉に向かって歩いた。
よろめきながら。
扉に、手をつく。
「カイル……」
リディアの声が、か細い。
扉の向こうで、カイルが答えた。
「ああ」
カイルの声が、近い。
「俺は、ここにいる」
リディアは、扉に額をつけた。
涙が、流れる。
「ありがとう……」
リディアの声が、小さい。
扉の向こうで、カイルの気配がする。
温かい、気配。
リディアは、扉に寄りかかった。
カイルも、扉の向こうで同じようにしているのだろう。
二人は、扉を挟んで静かに寄り添っていた。
沈黙。
だが、孤独ではない。
リディアは、少しだけ心が軽くなった。
窓の外、夕日が沈んでいく。
部屋が、オレンジ色に染まる。
リディアは、扉に寄りかかったまま目を閉じた。
カイルの気配を、感じながら。
夜。
リディアは、研究棟から自室に戻った。
部屋は、静かだ。
机の上に、前世ノートが置いてある。
リディアは、ノートを見つめた。
何ヶ月も書き続けた、ノート。
前世の記憶。
化学知識。
セレナへの復讐計画。
全て、このノートに記されている。
リディアは、ノートを手に取った。
ページを、めくる。
自分の筆跡。
必死に書いた、証拠。
だが、今は何の意味もない。
リディアは、ノートを閉じた。
そして、机の引き出しにしまった。
「もう……」
リディアの声が、小さく震える。
「戦うのを、やめよう……」
リディアは、椅子に座った。
「ここで、静かに暮らせばいい」
リディアの声が、諦めに満ちている。
「カイルも、エリスもいる」
リディアは、窓の外を見た。
「領民たちも、私を必要としている」
リディアの声が、自分を納得させようとしている。
「それで、いいじゃないか……」
リディアは、目を閉じた。
「セレナのことは……」
リディアの声が、途切れる。
「忘れよう……」
リディアは、深く息を吐いた。
「王宮のことも……」
リディアの声が、弱々しい。
「全て、忘れよう……」
窓の外で、風が強くなってきた。
嵐だ。
リディアは、窓を開けた。
冷たい風が、部屋に吹き込む。
薬草園が、見える。
嵐の中で、花が揺れている。
激しく。
白い根草の花が、散っていく。
青い花弁が、風に舞う。
リディアが、大切に育てた花たち。
全て、嵐に散らされていく。
リディアは、その光景を見つめた。
花が、散る。
希望が、散る。
夢が、散る。
リディアの心も、同じだ。
荒廃している。
嵐に、晒されている。
リディアは、窓を閉めた。
そして、ベッドに向かった。
よろめきながら。
「私は……」
リディアの声が、震える。
「ただの、臆病者だ……」
リディアは、ベッドに倒れ込んだ。
枕に、顔を埋める。
「前世でも、逃げた……」
リディアの声が、自己嫌悪に満ちている。
「今世でも、逃げる……」
リディアは、拳を握りしめた。
「何も、変わっていない……」
涙が、溢れる。
「私は、何も変えられない……」
リディアの涙が、枕を濡らす。
「誰も、救えない……」
リディアの声が、絶望に沈む。
外では、嵐が激しくなっている。
雷が、鳴る。
稲光が、部屋を照らす。
雨が、窓を叩く。
激しい、雨。
リディアは、枕を抱きしめた。
「ごめんなさい……」
リディアの声が、か細い。
「ごめんなさい……エリス……」
リディアの涙が、止まらない。
「ごめんなさい……カイル……」
リディアは、震えた。
「ごめんなさい……前世の私……」
リディアの声が、途切れる。
「私は……弱い……」
リディアは、泣き続けた。
声を、殺して。
誰にも、聞こえないように。
嵐の音が、リディアの泣き声をかき消す。
雷。
雨。
風。
全てが、激しい。
リディアの心も、嵐の中にある。
希望が、見えない。
光が、見えない。
ただ、暗闇だけ。
リディアは、疲れ果てていた。
心も。
体も。
全てが、重い。
涙で、枕が濡れている。
リディアは、目を閉じた。
「もう……疲れた……」
リディアの声が、小さく呟く。
「休みたい……」
リディアの意識が、遠のいていく。
眠りが、訪れる。
だが、安らかな眠りではない。
絶望に満ちた、眠り。
リディアの頬を、涙が伝い続ける。
眠りながらも、泣いている。
外では、嵐が吹き荒れている。
薬草園の花が、全て散っていく。
リディアが育てた、希望の花たち。
全て、嵐に奪われていく。
部屋の中。
リディアは、枕を抱きしめたまま眠っている。
涙に濡れた、顔。
苦しそうな、表情。
時折、小さく呟く。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい……」
窓の外、稲光が部屋を照らす。
一瞬、リディアの顔が浮かび上がる。
絶望に、満ちた顔。
そして、また闇に戻る。
嵐は、一晩中続いた。