カイル邸。
リディアは、屋敷の地下にある研究室にいた。
カイルが、リディアのために用意してくれた部屋だ。
石造りの壁。
小さな窓から、わずかな光が差し込んでいる。
部屋には、実験器具が並んでいる。
ガラスの瓶、蒸留器、乳鉢。
リディアは、机の上に小さなガラス皿を置いた。
その中には、赤い液体が入っている。
エリスの、血液サンプル。
リディアは、この世界の魔法的手法で採取した。
リディアは、前世の知識を総動員した。
血液を、分析する。
リディアは、ガラス皿に薬品を垂らした。
液体の色が、変わる。
青から、緑へ。
リディアは、ノートに記録した。
「魔力濃度——異常に高い」
リディアは、次の薬品を垂らした。
今度は、紫色に変わった。
「魔力の質——不安定」
リディアは、眉をひそめた。
やはり。
エリスの魔力は、量だけでなく、質にも問題がある。
魔力が、体内で暴走している。
それが、エリスの病の根本原因だ。
リディアは、前世の知識で考えた。
これは、自己免疫疾患に似ている。
体が、自分自身を攻撃している。
だが、この世界では、それは「魔力」という形で現れる。
リディアは、ノートに書き込んだ。
「魔力の質的異常——通常の魔力抑制では不十分」
「体質改善が必要——栄養療法、魔力の流れを整える」
リディアは、ペンを置いた。
これで、わかった。
エリスの病が、なぜ8年間も治らなかったのか。
他の薬師たちは、魔力の量だけを見ていた。
だが、問題は質だった。
リディアは、研究室を出た。
階段を上り、応接室へ向かう。
カイルが、そこで待っている。
リディアは、応接室の扉をノックした。
「カイル様、診断結果が出ました」
「入れ」
リディアは、扉を開けた。
カイルは、椅子に座っている。
無表情だが、その目は真剣だ。
リディアは、カイルの前に立った。
「カイル様、エリス様の病の原因が、完全に判明しました」
カイルは、身を乗り出した。
「話せ」
リディアは、ノートを開いた。
そして、説明した。
「エリス様の魔力は、量だけでなく、質にも異常があります」
「質……?」
「はい。魔力が不安定で、体内で暴走しています。それが、エリス様の体を攻撃しているのです」
カイルは、眉をひそめた。
「それは……どういうことだ?」
リディアは、図解を描いた。
「通常、魔力は体内で安定しています。ですが、エリス様の魔力は、不安定です」
リディアは、矢印を描いた。
「不安定な魔力が、体内の臓器や神経を攻撃します。それが、倦怠感や痛みの原因です」
カイルは、図解を見つめた。
「では……どうすればいい?」
リディアは、真剣な顔で答えた。
「魔力抑制だけでは、不十分です」
「不十分……?」
「はい。魔力の質を改善しなければなりません」
リディアは、続けた。
「そのためには、体質改善の栄養療法が必要です」
「栄養療法……?」
「はい。特定の栄養素を補給し、体の機能を正常化させます。それにより、魔力の質も改善されます」
カイルは、しばらく黙っていた。
そして、リディアを見た。
「お前の知識は、一体どこから来ている?」
リディアは、息を呑んだ。
カイルは、疑問を持っている。
リディアの薬学は、この世界の常識とは違う。
カイルは、それに気づいている。
リディアは、慎重に答えた。
「私には……私なりの方法があります」
「私なりの方法?」
「はい。詳しくは、説明できません。ですが——」
リディアは、カイルの目を見た。
「信じてください。私の方法なら、エリス様を必ず治せます」
カイルは、リディアを見つめた。
その目は、鋭い。
だが、同時に、何かを探っているようだった。
カイルは、ため息をついた。
「わかった」
リディアは、驚いた。
「カイル様……」
「お前は、娘を救ってくれている。それは事実だ」
カイルは、立ち上がった。
「お前の知識がどこから来たのか、俺は問わない」
カイルは、リディアに近づいた。
「ただ、娘を救ってくれ。それだけだ」
リディアは、胸が熱くなった。
カイルは、信じてくれた。
疑問を持ちながらも、リディアを信じてくれた。
リディアは、頷いた。
「はい。必ず、治します」
カイルは、わずかに頷いた。
「で、具体的には何が必要だ?」
リディアは、ノートを開いた。
「まず、鉄分を多く含む薬草。赤い実と、緑の葉です」
「それから、ビタミン……いえ、この世界では黄色い花の蜜と、銀の草です」
「これらを、毎日エリス様に摂取していただきます」
カイルは、メモを取った。
「わかった。すぐに用意させる」
リディアは、微笑んだ。
「ありがとうございます、カイル様」
カイルは、リディアを見た。
「お前こそ、ありがとう」
その言葉に、リディアは頬が熱くなった。
リディアは、カイルを見つめた。
今だ。
今、言わなければならない。
リディアは、深呼吸をした。
そして、口を開いた。
「カイル様、お願いがあります」
カイルは、リディアを見た。
「何だ?」
「治療が完了した後……私を、辺境に匿ってほしいのです」
カイルは、眉をひそめた。
「辺境に……匿う?」
「はい」
カイルは、リディアを見つめた。
その目は、鋭い。
「お前、王宮から逃げるつもりか?」
リディアは、頷いた。
「はい」
カイルは、腕を組んだ。
「理由を聞かせろ」
リディアは、唇を噛んだ。
どこまで話すべきか。
セレナの陰謀。
国王の毒殺。
だが、証拠がない。
カイルが信じてくれるだろうか。
リディアは、慎重に言葉を選んだ。
「カイル様、実は……私は、王宮で命を狙われています」
カイルの目が、鋭くなった。
「命を? 誰にだ?」
「宮廷薬師長、セレナ・ヴィオレットです」
カイルは、沈黙した。
リディアは、続けた。
「セレナは、私を警戒しています。私が、彼女の秘密を知っているのではないかと」
「秘密?」
リディアは、頷いた。
「はい。ですが、まだ証拠を掴んでいません」
リディアは、カイルの目を見た。
「証拠を掴むまで、時間が必要です。ですが、王宮にいれば、セレナに始末されてしまいます」
カイルは、眉をひそめた。
「お前、何を知っている?」
リディアは、迷った。
だが、カイルは信頼できる。
前回の人生で、カイルはリディアを守ってくれた。
今回も、きっと——。
リディアは、小声で言った。
「セレナは、国王陛下を毒殺しようとしています」
カイルは、息を呑んだ。
「毒殺……?」
「はい。セレナの秘薬には、依存性物質が含まれています。陛下は、その薬で中毒になっているのです」
カイルは、しばらく黙っていた。
そして、低い声で問いかけた。
「証拠は?」
「まだ、ありません」
リディアは、正直に答えた。
「ですが、必ず掴みます。そのために、時間が必要なのです」
カイルは、リディアを見つめた。
その目は、何を考えているのかわからない。
リディアは、息を潜めた。
信じてくれるだろうか。
それとも、追い出されるだろうか。
時間が、過ぎる。
カイルは、ようやく口を開いた。
「お前が、エリスを救ったなら——」
カイルは、リディアの目を見た。
「俺は、お前を守る。それが契約だ」
リディアは、息を呑んだ。
「カイル様……」
「お前は、俺の娘の命を救った」
カイルの声が、低く、真剣だ。
「ならば、俺はお前の命を守る。それが、相応の報いだ」
リディアは、涙が込み上げるのを感じた。
「ですが……私は、まだエリス様を完治させていません」
「お前は、必ず治すと言った」
カイルは、断言した。
「俺は、お前を信じている」
リディアは、涙が溢れた。
頬を、涙が伝う。
「ありがとうございます……」
リディアの声が、震えた。
「本当に……ありがとうございます……」
カイルは、リディアに近づいた。
そして、リディアの肩に手を置いた。
「泣くな」
カイルの声は、優しかった。
「お前は、強い女だ。泣く必要はない」
リディアは、涙を拭った。
「すみません……」
カイルは、手を離した。
「いつ、辺境に来る?」
リディアは、考えた。
「エリス様の治療が、ある程度進んだら……数週間後には」
カイルは、頷いた。
「わかった。準備をしておく」
「ありがとうございます」
カイルは、リディアを見た。
「お前を守ると約束した。必ず守る」
リディアは、頷いた。
「信じています」
カイルは、わずかに微笑んだ。
それは、リディアが初めて見る、カイルの笑顔だった。
リディアは、胸が温かくなった。
ここが、リディアの居場所だ。
カイルとエリスがいる、この場所が。
リディアは、安堵した。
もう、一人ではない。
カイルが、守ってくれる。
リディアは、微笑んだ。
夜。
王宮は、静寂に包まれていた。
リディアは、廊下を静かに歩いていた。
黒いマントを羽織り、顔を隠している。
足音を立てないよう、慎重に歩く。
目的地は、王宮薬房だ。
リディアは、薬房の前で立ち止まった。
周囲を見回す。
誰もいない。
リディアは、扉の鍵を開けた。
前世の知識で、簡単な鍵は開けられる。
カチリ、と音がした。
リディアは、扉を開けた。
薬房の中は、暗い。
リディアは、小さなランタンを灯した。
わずかな光が、薬房を照らす。
リディアは、薬棚へ向かった。
セレナの秘薬は、特別な棚に保管されている。
リディアは、その棚の前に立った。
鍵がかかっている。
リディアは、再び鍵を開けた。
手が、震えている。
緊張で、心臓が激しく打っている。
もし、見つかったら——。
リディアは、頭を振った。
考えるな。
今は、これをやり遂げるだけだ。
鍵が、開いた。
リディアは、棚を開けた。
中には、小瓶が並んでいる。
赤い液体が、瓶の中で揺れている。
セレナの、美容秘薬だ。
リディアは、一つの瓶を手に取った。
そして、懐にしまった。
リディアは、棚を閉めた。
鍵をかける。
そして、薬房を出た。
扉を閉め、鍵をかける。
リディアは、廊下を急いで歩いた。
自室へ、戻る。
足音が、響かないよう、慎重に。
リディアは、自室にたどり着いた。
扉を開け、中に入る。
鍵をかける。
リディアは、大きく息を吐いた。
成功した。
リディアは、懐から瓶を取り出した。
赤い液体が、ランタンの光を受けて輝いている。
リディアは、机に向かった。
実験器具を取り出す。
ガラス皿、薬品、乳鉢。
リディアは、瓶を開けた。
赤い液体を、ガラス皿に数滴垂らす。
そして、分析を始めた。
前世の知識を、総動員する。
まず、色の変化を見る。
薬品を垂らすと、液体が緑色に変わった。
リディアは、ノートに記録した。
「アルカロイド系——陽性」
次に、別の薬品を垂らす。
今度は、紫色に変わった。
「神経刺激物質——陽性」
リディアは、さらに分析を続けた。
一時間が過ぎた。
リディアは、ペンを置いた。
そして、ノートを見つめた。
「依存性物質の配合——確認」
「赤い蔓草の根——30%」
「月光花の花粉——15%」
「魔晶石の粉末——20%」
リディアは、拳を握った。
やはり。
セレナの秘薬は、依存性薬物だ。
これが、証拠だ。
リディアは、希望を感じた。
これを公にすれば、セレナを告発できる。
国王を、救える。
貴族たちを、依存症から解放できる。
リディアは、微笑んだ。
だが——。
リディアの笑顔が、消えた。
問題がある。
誰に、信じてもらうか? 
リディアは、考えた。
侍医長? 
だが、侍医長はセレナを信頼している。
アルヴィン? 
彼は、セレナの傀儡だ。
国王? 
国王は、昏睡状態に近い。
リディアは、頭を抱えた。
証拠はある。
だが、それを誰に見せればいいのか。
誰が、信じてくれるのか。
リディアは、ノートを見つめた。
前世でも、同じだった。
リディアは、証拠を集めた。
だが、誰も信じてくれなかった。
「証拠不十分」
「信憑性に欠ける」
そう言われて、無視された。
リディアは、唇を噛んだ。
今回は、違う。
今回は、必ず信じてもらう。
だが、どうやって? 
リディアは、考え込んだ。
カイル。
カイルなら、信じてくれるかもしれない。
だが、カイルは辺境の侯爵だ。
王宮での影響力は、限られている。
リディアは、悩んだ。
窓の外を見る。
月が、浮かんでいる。
冷たい、白い光。
リディアは、ため息をついた。
証拠は、手に入れた。
だが、それを使う方法が、わからない。
リディアは、ノートを閉じた。
そして、ベッドに横になった。
目を閉じる。
だが、眠れない。
頭の中で、問題がぐるぐると回っている。
誰に、信じてもらうか。
どうやって、セレナを告発するか。
リディアは、悩み続けた。
夜は、深まっていく。
リディアは、ただ天井を見つめていた。