黎明の麒麟ー凌暁と雪蘭の伝説ー

清めの儀を終えて寝殿に戻った頃には、
天啓の空は静かに深い藍色へと沈みつつあった。

寝殿には、
神官が置いていった香がゆるやかに漂っている。
麒麟の降臨を願うための“心を整える香”らしく、
甘く優しい香りが胸の奥まで染み込んでいった。

雪蘭が布団に膝をつこうとした時、
ふと背後から声がかかった。

「雪蘭。」
振り向くと、
凌暁が珍しくためらいを見せないまっすぐな眼でこちらを見ている。
「……どうかしましたか?」
「今日、一日。
 神官たちに問い詰められて、ずいぶん疲れただろう。」
雪蘭の心が、ふっと柔らかく揺れた。
「いえ……もう大丈夫です。」
「強いな、お前は。」

そう呟く声は、いつもより低くて、どこか甘い。
雪蘭の胸がじんわり熱くなる。

布団に入ると、
ふたりの間にはいつも通り、
一応の“距離”があった——はずだった。

しばらく静寂が流れる。

雪蘭は横向きで眠ろうとしたが、
胸の奥でざわつく何かが眠りを遠ざける。
その気配に気づいたのか、
凌暁がゆっくりと声を発した。
「……雪蘭。」
「はい?」
「眠れないのか?」
「……すこしだけ。」
「……なら、こちらへおいで。」

どきん、と心臓が跳ねた。

凌暁が自分の腕を差し出している。
表情はいつもの落ち着いたものなのに、
雪蘭に向ける視線だけがどこか熱い。
雪蘭がこくんと頷き、
凌暁の布団の中にその身を滑らせたその瞬間、
凌暁が静かに雪蘭の肩を引き寄せ、
そっと腕の中に抱き寄せた。

「……っ……」
雪蘭の頬が一瞬で熱を帯びる。

凌暁の胸の鼓動が、耳元ではっきり聞こえる。
それは戦場で鳴らす太鼓ではなく、
温かく、ゆっくりとした人の音だった。