時は少し遡る。

神殿の奥深く、誰も近づかぬ「静寂の間」。
蓮音はひとり、膝を抱えて震えていた。
――また、聞こえない。神の声も、祈りの反響も、かつて自分を満たしていた霊のざわめきすら。

幼い頃は確かにその声が聞こえていた。
神殿中が驚くほど強大な霊力を持ち、
神の寵児と言われた。
だがあの日――神殿の堕落に染められた日を境に、
蓮音の霊力は急激に衰え始めた。

神殿長からは「隠しておけ」と命じられた。
神殿を長年支えてきた権威が崩れぬように。
そして蓮音自身もまた、
禁忌の穢れに手を染めてしまったから。
霊力の弱まりを悟られる訳にはいかなかった。
だからこそ、
雪蘭の存在は蓮音にとって最大の脅威だった。
初めて彼女を見たときから
雪蘭が乙女であることは蓮音も気づいていた。
“穢れなき器”――
神の加護を最も受けることができる、
神殿が最も重んじる存在。

蓮音が失ってしまったすべてを、
雪蘭はたやすく持っている。
「……あの子だけは、絶対に消さないと。」
声は震え、焦燥に濁っている。

神殿の腐敗はもう隠しきれない。
神獣の加護が戻らなかった理由も、
神の声が誰にも届かない理由も、
すべて“穢れ”を孕んだ神殿自身のせいだ。

蓮音はわかっていた。
だが認めるわけにはいかなかった。
認めた瞬間、
自分はただの“力を失った女”になる。
――それだけは、絶対に嫌。