あれから、数十年の歳月が流れた。

季節は巡り、政(まつりごと)は変わり、人々の暮らしは静かに、しかし確かに前へと進んでいた。
あの激動の時代を知らぬ者たちが成人を迎え、かつての争乱を語り継ぐ者は年老い、今や歴史書の頁(ページ)こそが、記憶の証人となっていた。

それでも、王国は歩みを止めてはいなかった。
春の陽射しに包まれた王都の中央広場では、今年も恒例となった市民議会の模擬選挙が賑やかに催されていた。

芝生の上には、若き学生たちが力を合わせて設営した簡易ブース。
布と木材で組まれた素朴な投票所には、手作りの政策ポスターが貼られ、子どもたちの描いた未来都市の絵が風に揺れていた。
色とりどりの旗がはためき、笑い声が交差し、まるで春祭りのような明るさが広場を包んでいる。

並んで投票用紙を手にする子どもたちのそばには、かつて戦火の時代を生き抜いた老人たちが腰を下ろしていた。
彼らの顔には深い皺が刻まれていたが、その眼差しは静かで、どこか安堵に満ちていた。

「昔はね、王様が全部決めてたんだよ」

そう語る老人の声に、少年が目を丸くする。

「えー、ほんと? でも今は、みんなで決めるんでしょ?」

無邪気な問いかけに、老人はしばらく空を見上げ、やがて微笑を浮かべてうなずいた。

「そうだよ。今は、そうだ」

そんなやり取りが、当たり前のように交わされる時代。
それこそが、かつての誰かが命を賭して目指した、未来の証だった。

一方、地方の片隅にある小さな村の診療所では、古びた壁に掲げられた一枚の肖像画が静かに人々の視線を集めていた。
それは、いまや伝説ともなりつつある王女──アウレリア・セラフィーナ・ヴァレリア。

画中の彼女は笑ってはいなかった。
王冠も纏わず、ただ横顔のまま、どこか遠くを静かに見つめていた。
眼差しには威厳と、少しの哀しみ、そして確かな決意が宿っていた。

「この国の礎を築いた人だよ」

そう語ったのは、この地に長く仕える村医師。
白衣の袖をまくった年配の男の声に、診察を待つ若い患者がこくりとうなずいた。

「知ってる。教科書に載ってた。……たしか、”民の声を聴いた王女”って」

歴史は語られ、語りは制度に姿を変え、制度はいつしか人々の暮らしの中に根づいていた。
それは目には見えなくとも、確かに息づく文化となり、日常となっていた。

そして──

とある静かな地方都市の、小さな図書室。
陽が傾き始めた午後のひととき、本棚の合間に漂う紙と木の匂い。
古びた帳面を手に取ったのは、ひとりの若者だった。

タイトルは「アウレリア王政記録帳」。
複製された写本のひとつであり、記録として編まれた王政の年譜と施策、数々の改革の詳細が細やかな筆致で綴られている。

その最後の頁──
インクの色が微かに異なり、筆跡も明らかに違っていた。
後世の誰かが、そっと書き添えたらしい。

『彼女が残したものは、国ではない。信じる力だった』

その一文を読んだ若者は、ふと口元に笑みを浮かべた。
それは歓喜でも、嘲笑でもない。
ただ静かな敬意と、どこか自分もまた誰かの背を追う一人なのだという、ささやかな覚悟をにじませた笑みだった。

やがて帳面は音もなく閉じられ、埃を払うようにその表紙をなでながら、若者は立ち上がった。

図書室の窓の外には、春の風が穏やかに吹いていた。
木々がそよぎ、光が差し込み、枝先に芽吹いた若葉が陽に透けて輝いている。

未来は、いまもなお編まれ続けていた。
名もなき人々の手で、静かに、誠実に──。