わたくし、アメリア・ルヴァリエと申します。
名門ルヴァリエ侯爵家の長女でございますの。王都社交界にて“氷の華”と謳われ、微笑めば男性貴族は三歩下がり、眉をひそめれば五歩下がる。所作は完璧、教養も非の打ち所なく、淑女の鑑とも称されておりました。
――ええ、それがとっても、ものすごく、耐え難く、退屈なのでございますわ!
「また婚約話ですの?これで十九件目ですわよ?」
「あ、あの……今回は第二王子殿下とのお見合いですわ。お嬢様のご年齢的にも、そろそろ本決まりに――」
「リリア、あなたは今、とても遠回しに“行き遅れ”と申しましたわね?」
「ひえっ!?そんなつもりではっ」
「よろしい。午後のお茶の時間に、特別に“クワの種類とその用途”についての講義を差し上げますわ」
「お慈悲を~~!!」
あら、申し遅れました。この悲鳴をあげておりますのは、わたくしの忠実なる侍女、リリア・マールトン。彼女の驚異的な順応力と耐久力のおかげで、今日もわたくしの常軌を逸した令嬢ライフが成り立っておりますの。
さて、その日のお見合いの話題は、例によって舞踏会とスキャンダルと、誰が誰と手袋を交わしただの、誰のドレスが去年の流行だのという話ばかり。貴族の会話というものは、まことに“種をまいても実を結ばぬ”とはよく言ったものでございますわね。
「殿下、ご趣味は何かしら?」
「馬術と狩猟、そして……貴族のたしなみ程度に魔法と音楽を」
「まあ素敵。でも、土壌改良についてはいかが?」
「……え?」
「畑のpHを下げるにはどのような方法を用いておられますの?灰の投入?それとも腐葉土?」
「……は?」
「トマト栽培には適度な酸性土がよろしいの。ああ、それとも、殿下はリコピンにご興味が?」
「……だ、誰かこの令嬢を止めろ!!!」
止まるわけございませんでしょう。わたくしの情熱は、トマトとともに熟しておりますのよ。
そうして翌日、わたくしは父である侯爵閣下に申し上げました。
「父上、わたくし、畑に嫁ぎますわ」
「……何と?」
「婚約?社交界?つまらなくて乾燥してヒビが入りそうですの。土の中のミミズのほうがよほど会話が通じますわ」
「ミ、ミミズ……」
「わたくし、自らの手で開墾し、耕し、作物を育て、収穫し、脱穀し、発酵させて……そして、村を興しますわ!」
「お、お前は農民になるつもりか!?」
「違いますわ。開拓令嬢になりますの。肩書きがちょっと可愛いでしょう?」
父は顔面蒼白、母は気絶、兄は遠い目をしてなにかを悟ったようでしたけれど、止めることはできませんわ。なぜなら、わたくしは既に“農業改革計画第十二案”まで作成済み。土地の視察も済ませ、用具と肥料の手配も完了しておりますのよ!
「リリア、準備なさい」
「は、はいっ。ええと……旅装束、テント、鍬……あと種芋と、スコップと、鶏と、肥料と……えっ?鶏!?肥料!?お嬢様ほんとうに行くんですか!?」
「もちろんですわ。赤土の荒地――あの未開の地に、わたくしの理想郷を築き上げますの」
こうして、わたくしは社交界の華から一転、開拓者の道を歩むことを選んだのです。
「荷馬車の車輪、泥で埋もれましたわね……」
「ぬかるみにハマってます!鶏が逃げました!お嬢様、走らないでください!! ドレスがっ!!」
「追いつきなさい、リリア!トマトのためですわ!!」
誰もが振り返る華やかな令嬢は、その日、泥にまみれて地を蹴った。
その姿は――だいたい農民。
けれど、心は自由そのものでしたの。
「……着きましたわね」
「着いてしまいましたね……」
リリアとわたくしは、車輪を二回折りながら、荷馬車を手で押すという伝説的な旅路を経て、ようやく辿り着きました。目的地――“赤土の荒地”。名前の響きがもうすでにグルメではございません。
目の前に広がるのは、風で土ぼこりが舞う赤茶けた大地。草も木も生えておらず、唯一元気なのは、遠くで鳴いている得体の知れない鳥と、わたくしの開拓精神くらいでしょうか。
「お嬢様……あの……何もないんですけど……」
「違いますわ、リリア。これは“何もない”のではなく、“可能性しかない”のですの」
「言い方ァァァァァ!」
ですが、視界を覆うこの無の景色に、さすがのわたくしも、ほんの少しだけ胃のあたりに変な汗が滲みました。
「人の気配がありませんわね」
「そもそも村、ありましたっけ?」
「地図には“カレジア村(消えかけ)”と書かれておりましたわ」
「注釈がすでに不穏なんですよお嬢様!?」
ともあれ、地図を頼りに丘をひとつ越え、獣道を進むと――ありました。
かつて村だったであろう何かが。
「廃屋が五棟、屋根の抜けた納屋が一棟……柵の壊れた畑……あら、でも水路の跡がありますわ!ああ、この苔むした石垣!風情がありますわね!」
「風情じゃないです!腐朽です!そして村人は!?」
「……わたくしのほかに、生き物の気配がしませんわね。あ、でもリリア。あちらに人影が」
「ほんとですか!?よかった、村人が!」
「……あら、動きませんわね。木でしたわ」
「お嬢様ァァァァァァ!!」
そんな寸劇を繰り返しつつも、とうとう一軒の家屋の前に辿り着きました。そこだけはかろうじて煙突から煙が出ており、人の気配がございます。
「失礼いたしますわ~。ごめんあそばせ~。こちら、開拓希望の者ですの~」
「……開拓ぅ?」
襖のような扉をガラッと開けて出てきたのは、ぼさぼさ髪にボロボロのコート、両肩から何かの藁をぶら下げた、いかにも“ご隠居”といった風情の老人でございました。
「なんだてめぇ。貴族か?また税の取り立てか?帰れ帰れ、村は死んだ!」
「まあ!ご挨拶が荒っぽいですわね。わたくし、新しい村長を志してまいりましたの」
「村長だとォ!?この村にゃ人なんざ、もうわしとヤギしかいねぇってのに!」
「ならば結構。人数が少ないぶん、意思決定がスピーディでございますわね!」
「お、お前正気か!?ここは畑もダメ、水も出ねえ、魔物だってちょくちょく出る、ついでに言えば隣の村との境界争いで牛が二頭埋まった曰くつきの場所だぞ!」
「なんと素晴らしい開拓のしがい!」
「おかしい!この嬢ちゃん、根っからおかしい!!」
村唯一の住人である“偏屈じじい(仮名)”との邂逅を経て、わたくしの開拓人生は、ようやく現地人類との初接触という一歩を踏み出しました。
「さあ、まずは拠点作りからですわ!リリア、例の“簡易農業テント”!」
「ご用意しております。お嬢様、まさかと思いますが……これ、自作ですか?」
「ええ、わたくしの設計図通りに仕立て屋に縫わせた特製品。紫外線を防ぎ、風雨に耐え、なおかつフリル付き」
「なんでテントにフリルが必要なんですかああああ!!!」
「乙女心はどんなときでも忘れたくありませんもの」
土にまみれても、わたくしは貴族としての矜持を捨てるつもりはございませんわ。
開拓令嬢――そう、農業と貴族のハイブリッド。それが、わたくしの目指す姿ですの。
「それにしても、ほんとうに人っ子一人いない村だったのですね……」
「大丈夫ですわ。わたくしが耕し、撒き、育てれば、人は集まってまいります」
「作物じゃないんですから……」
「人心もまた、施肥次第ですのよ。わたくし、今後は施政者としての能力も磨いてまいりますわ!」
「万能感!!」
かくして、村人ゼロ、作物ゼロ、水源未確認の開拓ライフが始まりました。
なお、テントを張る際に三度ほど杭で足を打ちましたけれど、それもまた勲章ですわね!
「まずは土地を耕さなければ、何も始まりませんわね」
「ええと……でも、道具が……」
「ご覧なさい、リリア」
わたくしはマントの下から、一振りの鍬を取り出しました。柄は光沢ある黒檀、刃は銀で縁取りされており、中央には家紋が刻まれた純金のエンブレム。その名も――
「“初代クワ子・改”ですわ」
「名前が軽い!しかも“改”って何ですか!?前作があったんですか!?」
「ええ。“初代クワ子・無印”は重量配分が悪く、斜面で二回ほど転びましたの。ですので、バージョンアップいたしましたのよ」
「農業道具を武器みたいに語る貴族初めて見ましたよ……」
「鍬は令嬢の魂と心得なさい」
わたくしはクワ子・改を手に、村の真ん中と思われる空き地へと進みました。そこには雑草すら生えない土が広がっておりましたが――いいえ、むしろ好都合ですわ。
「草むしりをしなくて済みますものね!」
「ポジティブが過ぎる!!!」
さっそく、耕しの儀を執り行います。
「――大地よ、我が鍬を受け入れたまえ。腐葉土に代わる礎となり、苗床に光あれ!」
「お嬢様!?何か詠唱始めました!?鍬を振るだけじゃダメなんですか!?」
「気合ですわ!開拓には精神力が不可欠!」
とりゃー!
ぬっちゃー。
「……泥が跳ねました」
「レースのドレスがぁ……!」
初仕事にしてドレスが泥にまみれましたが、作業着で来なかった自分を呪う暇もなく、次は水の確保に取りかかります。
「リリア、井戸ですわ!井戸を掘りますのよ!」
「ええ!?掘る!?わたしたちで!?」
「ええ、手掘りで。ミミズのように、粘り強く参りましょう」
「どうしてさっきから例えが微妙に地味なんですか!」
そのときでした。
――ガラガラガラッ!
わたくしたちの後ろで、突然どこかの戸が開き、ひとりの人物が現れました。
「うおおおおお!!村に人がいるうううう!!」
「ひっ……ひぃいっ!?だ、誰っ!?」
土色のマントに鍛えられた体。腰には斧、背中には大根(!?)を背負った男が、砂煙を立ててこちらへ駆けてきます。
「やっと!やっと同士が現れたああああ!!」
「誰が同士ですの!?」
「俺も開拓志望でここに来たんだが、三日で全員いなくなって、ずっとひとりで穴掘ってたんだよ!!ようやく仲間が……!」
「……もしかして、あなたがあの“開拓狂いの亡霊”?」
「違うわ!生きてる!!ていうかそう呼ばれてたの!?」
「ふ、ふたり目の村人……!」
「正確には一人と一匹と一令嬢と一侍女ですわ!」
「カウントに品がない!」
彼の名はガストン。元木こりで、森を愛し、そして森に捨てられた男でございました。開拓を志しこの地に来たものの、あまりの過酷さに他の開拓者は去り、彼だけが残ったそうです。
「やる気はある!でも知識はない!」
「ならばわたくしが指導いたしますわ。リリア、農業講義ノート“水編”を!」
「はい、お嬢様。“火・水・風・光”の全4冊ございます!」
「そんな属性魔法の参考書みたいな分類法で農業を!?」
とはいえ、ガストンは力仕事に関してはかなりの使い手。彼の協力により、テントの強化、井戸掘りの下見、そして“仮設の畑”の区画整理が一気に進みました。
「ふふ……これで準備は整いましたわ」
「これからどうします?」
「明日、“第一回カレジア村開拓宣言式”を開催いたしますの!」
「……式って必要ですか?」
「必要ですわ。パーティーと名のつくものにしか人は集まりませんもの!」
そして翌日。
わたくしは村の中心に、即席の演壇(リリアが木箱を三段積んだもの)を設置し、ドレスを着直し、フリルたっぷりの開拓式用帽子(自作)をかぶり、こう高らかに宣言いたしました。
「ここに、カレジア村の復興を開始いたします!」
「おぉぉぉぉぉ!!」
「それで……今、何人ですか?」
「三人と一匹ですわ」
「この調子で行くと“国家”まで百年はかかりますよ!!」
ですがいいのです。始まりとは、かくも小さきもの。
この土地に根を張り、開墾し、汗と泥と、ほんの少しの理想を育てていけば――いつか、ここは“赤土の荒地”ではなく、“希望の大地”と呼ばれるようになりますわ。
わたくしの農地革命は、今ここから始まったのです――
名門ルヴァリエ侯爵家の長女でございますの。王都社交界にて“氷の華”と謳われ、微笑めば男性貴族は三歩下がり、眉をひそめれば五歩下がる。所作は完璧、教養も非の打ち所なく、淑女の鑑とも称されておりました。
――ええ、それがとっても、ものすごく、耐え難く、退屈なのでございますわ!
「また婚約話ですの?これで十九件目ですわよ?」
「あ、あの……今回は第二王子殿下とのお見合いですわ。お嬢様のご年齢的にも、そろそろ本決まりに――」
「リリア、あなたは今、とても遠回しに“行き遅れ”と申しましたわね?」
「ひえっ!?そんなつもりではっ」
「よろしい。午後のお茶の時間に、特別に“クワの種類とその用途”についての講義を差し上げますわ」
「お慈悲を~~!!」
あら、申し遅れました。この悲鳴をあげておりますのは、わたくしの忠実なる侍女、リリア・マールトン。彼女の驚異的な順応力と耐久力のおかげで、今日もわたくしの常軌を逸した令嬢ライフが成り立っておりますの。
さて、その日のお見合いの話題は、例によって舞踏会とスキャンダルと、誰が誰と手袋を交わしただの、誰のドレスが去年の流行だのという話ばかり。貴族の会話というものは、まことに“種をまいても実を結ばぬ”とはよく言ったものでございますわね。
「殿下、ご趣味は何かしら?」
「馬術と狩猟、そして……貴族のたしなみ程度に魔法と音楽を」
「まあ素敵。でも、土壌改良についてはいかが?」
「……え?」
「畑のpHを下げるにはどのような方法を用いておられますの?灰の投入?それとも腐葉土?」
「……は?」
「トマト栽培には適度な酸性土がよろしいの。ああ、それとも、殿下はリコピンにご興味が?」
「……だ、誰かこの令嬢を止めろ!!!」
止まるわけございませんでしょう。わたくしの情熱は、トマトとともに熟しておりますのよ。
そうして翌日、わたくしは父である侯爵閣下に申し上げました。
「父上、わたくし、畑に嫁ぎますわ」
「……何と?」
「婚約?社交界?つまらなくて乾燥してヒビが入りそうですの。土の中のミミズのほうがよほど会話が通じますわ」
「ミ、ミミズ……」
「わたくし、自らの手で開墾し、耕し、作物を育て、収穫し、脱穀し、発酵させて……そして、村を興しますわ!」
「お、お前は農民になるつもりか!?」
「違いますわ。開拓令嬢になりますの。肩書きがちょっと可愛いでしょう?」
父は顔面蒼白、母は気絶、兄は遠い目をしてなにかを悟ったようでしたけれど、止めることはできませんわ。なぜなら、わたくしは既に“農業改革計画第十二案”まで作成済み。土地の視察も済ませ、用具と肥料の手配も完了しておりますのよ!
「リリア、準備なさい」
「は、はいっ。ええと……旅装束、テント、鍬……あと種芋と、スコップと、鶏と、肥料と……えっ?鶏!?肥料!?お嬢様ほんとうに行くんですか!?」
「もちろんですわ。赤土の荒地――あの未開の地に、わたくしの理想郷を築き上げますの」
こうして、わたくしは社交界の華から一転、開拓者の道を歩むことを選んだのです。
「荷馬車の車輪、泥で埋もれましたわね……」
「ぬかるみにハマってます!鶏が逃げました!お嬢様、走らないでください!! ドレスがっ!!」
「追いつきなさい、リリア!トマトのためですわ!!」
誰もが振り返る華やかな令嬢は、その日、泥にまみれて地を蹴った。
その姿は――だいたい農民。
けれど、心は自由そのものでしたの。
「……着きましたわね」
「着いてしまいましたね……」
リリアとわたくしは、車輪を二回折りながら、荷馬車を手で押すという伝説的な旅路を経て、ようやく辿り着きました。目的地――“赤土の荒地”。名前の響きがもうすでにグルメではございません。
目の前に広がるのは、風で土ぼこりが舞う赤茶けた大地。草も木も生えておらず、唯一元気なのは、遠くで鳴いている得体の知れない鳥と、わたくしの開拓精神くらいでしょうか。
「お嬢様……あの……何もないんですけど……」
「違いますわ、リリア。これは“何もない”のではなく、“可能性しかない”のですの」
「言い方ァァァァァ!」
ですが、視界を覆うこの無の景色に、さすがのわたくしも、ほんの少しだけ胃のあたりに変な汗が滲みました。
「人の気配がありませんわね」
「そもそも村、ありましたっけ?」
「地図には“カレジア村(消えかけ)”と書かれておりましたわ」
「注釈がすでに不穏なんですよお嬢様!?」
ともあれ、地図を頼りに丘をひとつ越え、獣道を進むと――ありました。
かつて村だったであろう何かが。
「廃屋が五棟、屋根の抜けた納屋が一棟……柵の壊れた畑……あら、でも水路の跡がありますわ!ああ、この苔むした石垣!風情がありますわね!」
「風情じゃないです!腐朽です!そして村人は!?」
「……わたくしのほかに、生き物の気配がしませんわね。あ、でもリリア。あちらに人影が」
「ほんとですか!?よかった、村人が!」
「……あら、動きませんわね。木でしたわ」
「お嬢様ァァァァァァ!!」
そんな寸劇を繰り返しつつも、とうとう一軒の家屋の前に辿り着きました。そこだけはかろうじて煙突から煙が出ており、人の気配がございます。
「失礼いたしますわ~。ごめんあそばせ~。こちら、開拓希望の者ですの~」
「……開拓ぅ?」
襖のような扉をガラッと開けて出てきたのは、ぼさぼさ髪にボロボロのコート、両肩から何かの藁をぶら下げた、いかにも“ご隠居”といった風情の老人でございました。
「なんだてめぇ。貴族か?また税の取り立てか?帰れ帰れ、村は死んだ!」
「まあ!ご挨拶が荒っぽいですわね。わたくし、新しい村長を志してまいりましたの」
「村長だとォ!?この村にゃ人なんざ、もうわしとヤギしかいねぇってのに!」
「ならば結構。人数が少ないぶん、意思決定がスピーディでございますわね!」
「お、お前正気か!?ここは畑もダメ、水も出ねえ、魔物だってちょくちょく出る、ついでに言えば隣の村との境界争いで牛が二頭埋まった曰くつきの場所だぞ!」
「なんと素晴らしい開拓のしがい!」
「おかしい!この嬢ちゃん、根っからおかしい!!」
村唯一の住人である“偏屈じじい(仮名)”との邂逅を経て、わたくしの開拓人生は、ようやく現地人類との初接触という一歩を踏み出しました。
「さあ、まずは拠点作りからですわ!リリア、例の“簡易農業テント”!」
「ご用意しております。お嬢様、まさかと思いますが……これ、自作ですか?」
「ええ、わたくしの設計図通りに仕立て屋に縫わせた特製品。紫外線を防ぎ、風雨に耐え、なおかつフリル付き」
「なんでテントにフリルが必要なんですかああああ!!!」
「乙女心はどんなときでも忘れたくありませんもの」
土にまみれても、わたくしは貴族としての矜持を捨てるつもりはございませんわ。
開拓令嬢――そう、農業と貴族のハイブリッド。それが、わたくしの目指す姿ですの。
「それにしても、ほんとうに人っ子一人いない村だったのですね……」
「大丈夫ですわ。わたくしが耕し、撒き、育てれば、人は集まってまいります」
「作物じゃないんですから……」
「人心もまた、施肥次第ですのよ。わたくし、今後は施政者としての能力も磨いてまいりますわ!」
「万能感!!」
かくして、村人ゼロ、作物ゼロ、水源未確認の開拓ライフが始まりました。
なお、テントを張る際に三度ほど杭で足を打ちましたけれど、それもまた勲章ですわね!
「まずは土地を耕さなければ、何も始まりませんわね」
「ええと……でも、道具が……」
「ご覧なさい、リリア」
わたくしはマントの下から、一振りの鍬を取り出しました。柄は光沢ある黒檀、刃は銀で縁取りされており、中央には家紋が刻まれた純金のエンブレム。その名も――
「“初代クワ子・改”ですわ」
「名前が軽い!しかも“改”って何ですか!?前作があったんですか!?」
「ええ。“初代クワ子・無印”は重量配分が悪く、斜面で二回ほど転びましたの。ですので、バージョンアップいたしましたのよ」
「農業道具を武器みたいに語る貴族初めて見ましたよ……」
「鍬は令嬢の魂と心得なさい」
わたくしはクワ子・改を手に、村の真ん中と思われる空き地へと進みました。そこには雑草すら生えない土が広がっておりましたが――いいえ、むしろ好都合ですわ。
「草むしりをしなくて済みますものね!」
「ポジティブが過ぎる!!!」
さっそく、耕しの儀を執り行います。
「――大地よ、我が鍬を受け入れたまえ。腐葉土に代わる礎となり、苗床に光あれ!」
「お嬢様!?何か詠唱始めました!?鍬を振るだけじゃダメなんですか!?」
「気合ですわ!開拓には精神力が不可欠!」
とりゃー!
ぬっちゃー。
「……泥が跳ねました」
「レースのドレスがぁ……!」
初仕事にしてドレスが泥にまみれましたが、作業着で来なかった自分を呪う暇もなく、次は水の確保に取りかかります。
「リリア、井戸ですわ!井戸を掘りますのよ!」
「ええ!?掘る!?わたしたちで!?」
「ええ、手掘りで。ミミズのように、粘り強く参りましょう」
「どうしてさっきから例えが微妙に地味なんですか!」
そのときでした。
――ガラガラガラッ!
わたくしたちの後ろで、突然どこかの戸が開き、ひとりの人物が現れました。
「うおおおおお!!村に人がいるうううう!!」
「ひっ……ひぃいっ!?だ、誰っ!?」
土色のマントに鍛えられた体。腰には斧、背中には大根(!?)を背負った男が、砂煙を立ててこちらへ駆けてきます。
「やっと!やっと同士が現れたああああ!!」
「誰が同士ですの!?」
「俺も開拓志望でここに来たんだが、三日で全員いなくなって、ずっとひとりで穴掘ってたんだよ!!ようやく仲間が……!」
「……もしかして、あなたがあの“開拓狂いの亡霊”?」
「違うわ!生きてる!!ていうかそう呼ばれてたの!?」
「ふ、ふたり目の村人……!」
「正確には一人と一匹と一令嬢と一侍女ですわ!」
「カウントに品がない!」
彼の名はガストン。元木こりで、森を愛し、そして森に捨てられた男でございました。開拓を志しこの地に来たものの、あまりの過酷さに他の開拓者は去り、彼だけが残ったそうです。
「やる気はある!でも知識はない!」
「ならばわたくしが指導いたしますわ。リリア、農業講義ノート“水編”を!」
「はい、お嬢様。“火・水・風・光”の全4冊ございます!」
「そんな属性魔法の参考書みたいな分類法で農業を!?」
とはいえ、ガストンは力仕事に関してはかなりの使い手。彼の協力により、テントの強化、井戸掘りの下見、そして“仮設の畑”の区画整理が一気に進みました。
「ふふ……これで準備は整いましたわ」
「これからどうします?」
「明日、“第一回カレジア村開拓宣言式”を開催いたしますの!」
「……式って必要ですか?」
「必要ですわ。パーティーと名のつくものにしか人は集まりませんもの!」
そして翌日。
わたくしは村の中心に、即席の演壇(リリアが木箱を三段積んだもの)を設置し、ドレスを着直し、フリルたっぷりの開拓式用帽子(自作)をかぶり、こう高らかに宣言いたしました。
「ここに、カレジア村の復興を開始いたします!」
「おぉぉぉぉぉ!!」
「それで……今、何人ですか?」
「三人と一匹ですわ」
「この調子で行くと“国家”まで百年はかかりますよ!!」
ですがいいのです。始まりとは、かくも小さきもの。
この土地に根を張り、開墾し、汗と泥と、ほんの少しの理想を育てていけば――いつか、ここは“赤土の荒地”ではなく、“希望の大地”と呼ばれるようになりますわ。
わたくしの農地革命は、今ここから始まったのです――



