放課後の校舎は、静かだった。

人の気配が消えた廊下を、私は一人で歩いていた。

窓の外では、灰色の雲が低く垂れこめている。

「……大丈夫。ちょっとだけなら」
自分に言い聞かせるように呟く。

柊くんのあの声が、まだ耳の奥に残っていた。


“お願いだから、今日は行かないで”


どうしてあんなに悲しそうに言うんだろう。

屋上へ続く扉を開けた瞬間、冷たい風が頬を打った。

春の風なのに、どこか冬の匂いがした。
空は暗く、遠くで雷のような音が響いた。

そのとき——

「水瀬!」
背後から声が飛んできた。

振り返ると、息を切らした柊くんが駆け上がってくる。

「なんで……来たんだよ!」

「えっ……どうしてそんな怒ってるの?」

私は戸惑って、思わず一歩後ずさる。

その瞬間、足元で“コツン”と音がした。
何かが転がる。

それは、彼のポケットから落ちた懐中時計だった。

カチリ——。

針が、一瞬だけ動いた。

午後五時四十分。
そして、止まった。

風が強くなり、雨が降り出す。

桜の花びらが、渦を巻くように舞い上がった。

「……また、この時刻」

彼の唇がそう動いた。

次の瞬間、
視界が光に包まれて——世界が、音を失った。