恋のリハーサルは本番です

夜だった。



編集を終えたあかりは、デスクの上にスマートフォンを伏せたまま、しばらく動かなかった。



部屋の明かりはスタンドライトだけ。



窓の外では、遠くの車の音が、波のように途切れては続いている。



メールの件名は、短かった。



──「from 翔」



開くまでに、少し時間がかかった。



怖かったわけじゃない。



でも、読めば何かが終わる気がしていた。



深呼吸して、画面に触れる。



文章は、翔らしく淡々としていた。



飾らない言葉。



弱さも、強がりも、どちらも隠していない。



一行ずつ、目で追う。



(……そっちは、空が高いんだ)



情景が、すぐに浮かぶ。



舞台の天井ではなく、遮るもののない空。



そこに立っている翔の姿が、想像できてしまう。



「……ばかだな」



小さく呟く。



何が、とは言わない。



落ちてばかりのオーディション。



通じない言葉。



それでも後悔していない、と書いてある。



(譲らなかった、って……)



舞台の上で見た、あの半歩。



引かなかった背中。



それが、ここにつながっている。



画面をスクロールする指が、少し震えた。



もし、あのとき引き止めてくれていたら

僕は行かなかったかもしれない。



あかりは、そこで一度、読むのをやめた。



胸の奥が、きゅっと縮む。



(……言えなかった)



引き止める言葉も、

行かないでほしい気持ちも。



全部、書けなかった。



それでも──

翔は行った。



自分で選んで。



背中を押してくれたこと──

何も言わずに、ただ見送ってくれたことに、感謝しています。



あかりは、目を閉じる。



(そんなつもりじゃなかった)



でも、彼はそう受け取った。



最後の行まで、読み終えたとき、

涙は出なかった。



代わりに、胸の奥に、静かな重みが残る。



(……もう、戻らない)



それは寂しさじゃない。



確認だった。



あかりは、スマートフォンをそっと伏せ、椅子の背にもたれた。



机の上には、映画の脚本。



修正指示の付箋。



蓮の名前。



翔が選んだ場所。



蓮が立つことになる場所。



そして、自分が書くべき場所。



それぞれが、違う。



でも、どれも──本番だ。



あかりは、パソコンを開く。



新しいファイルを立ち上げる。



タイトルの下に、カーソルが点滅する。



(もう、逃げない)



誰かの背中に預けて、

誰かの選択に甘えて、

書けなくなることはしない。



「……ありがとう、翔」



声に出して、そう言った。



送信はしない。



返事も、今は書かない。



代わりに、あかりはキーボードに指を置く。



書けなかった台詞の、その先を。



幕の外へ出た物語の、続きを。



夜は静かだった。



でも、確かに動き出していた。



それぞれの場所で。