恋のリハーサルは本番です

楽屋の蛍光灯は、半分だけ点いていた。
明るすぎるのが、嫌だった。

鏡台の前に置かれた椅子には、もう座らない。

翔は立ったまま、台本を畳む。

何度も開き、何度も書き込み、
それでも今日の舞台では──一文字も役に立たなかった紙。

(……悪くない)

そう思った自分に、少し驚く。

ロッカーの中に、私物のバッグ。

ペットボトルの水は、まだ半分残っている。

キャップを閉め、無言で入れる。

衣装を脱ぐ手つきは、淡々としていた。

感情を整理するための時間は、もういらない。

整理は、舞台の上で終わっている。

(譲らなかった)

それだけで、十分だった。

ドアの外から、遠くの足音。

笑い声。

スタッフの「お疲れさまでした!」という声。

お祭りの後。

でも、ここは違う。

翔は、鏡を見る。

そこに映っているのは、

「負けた男」でも、「振られた男」でもない。

──選んだ男だ。

蓮の呼吸。

あの一瞬の、決断前の揺れ。

(あれを見て)
(引く、という選択肢はなかった)

プロだからこそ、だ。

自分が出ることで、壊れる芝居なら、最初から立たない。

自分が引くことで、生きる芝居なら、迷わない。

それだけのこと。

ノックの音がした。

一度。

間。

二度。

「……どうぞ」

ドアが少しだけ開く。

顔を出したのは、亜理沙だった。

「もう、行くんですね」

「うん」

「……今日の舞台」

彼女は言いかけて、やめる。

代わりに、笑った。

「地獄でしたね。大人の三角関係」

「本番だけの」

「ですね」

亜理沙は、少しだけ真剣な目になる。

「でも、翔さん」

「なに」

「逃げなかった人の顔、してました」

翔は、答えない。

ただ、バッグを肩にかける。

「それで十分だよ」

楽屋を出る直前、ふと足を止める。

(あかりは)

頭に浮かんだ名前を、振り払う。

行き先は、もう決まっている。

書かれなかった台詞は、
舞台の上で、ちゃんと行き先を見つけた。

だから──
翔は、振り返らない。

ドアが閉まる。

静かに。

そして確かに、
ひとつの物語が、ここで幕を下ろした。