恋のリハーサルは本番です

照明が、わずかに落ちる。

息を潜めるような暗さの中で、

ヒロインだけが浮かび上がる。

「私は──」

そこで、また沈黙。

通しでは、なかった間。

あかりの喉が、ひくりと鳴る。

(……言わないで)
(まだ)
(その答えは、書いてない)

蓮は、視線を逸らさない。

ヒロインとしてではなく、

一人の人間として、そこに立っている。

「私は」

声が、少しだけ低くなる。

感情を押し殺すときの、蓮の癖。

「……逃げなかった」

ざわ、と客席の奥が揺れた。

(その台詞……)

あかりの脳裏に、昨夜の原稿が蘇る。

削った一文。

書けなかった結論。

(それを……)

翔が、ゆっくりと瞬きをする。

ほんの一瞬、悔しそうに。

でも、次の瞬間には、覚悟を決めた目になる。

彼は、受け取った。

この芝居が、もう“競う場所”ではないことを。

「逃げなかった、か」

翔の声は、静かだった。

対抗心も、煽りもない。

ただ、確認するような一言。

「……そうだ」

蓮は、頷く。

台詞ではなく、意思として。

その瞬間。

亜理沙の役が、息を呑む。

台詞の順番は、まだ先のはずなのに。

でも、彼女は一歩、前に出た。

(亜理沙……?)

「……じゃあ」

少しだけ、声が震える。

それでも、目はまっすぐ。

「選んだんだね」

その一言が、客席を貫いた。

(……うそ)
(その台詞、そんな意味じゃない)

あかりは、立っていられなくなる。

脚本が、完全に崩れている。

でも。

(崩したのは……)
(私だ)

ヒロインが、最後の言葉を紡ぐ。

「本番は」

一拍。

「……一度きりだから」

その瞬間、照明が落ちる。

暗転。
終幕。

拍手が、爆発する。

遅れて、悲鳴に近い歓声。

あかりは、しばらく動けなかった。

手が、震えている。

(……やってしまった)
(役者に、選ばせた)
(そして、役者は……)

舞台袖で、蓮と目が合う。

ほんの一瞬。

笑わない。

誤魔化さない。

ただ、静かに、頷く。

(……ああ)
(これが)
(本番だけが知っている、答え)

幕が、完全に下りる。

物語は終わった。

けれど。

水無月あかりの中で、
別の物語が、今まさに始まろうとしていた。