恋のリハーサルは本番です

稽古場は、妙に静かだった。

台本のページをめくる音が、やけに大きく響く。

誰も、昨日の夜のことを口にしない。

桜井蓮は、いつも通りの顔で立っている。

水無月あかりは、いつも通りに台本を見ている。

高峰翔は、少し離れた場所で、二人を視界に入れている。

(……重いな)

その空気を、真っ先に切ったのは──

演出家・佐藤だった。

「はい、通し前の確認な」

佐藤は、全員を見渡す。

一瞬、あかりに目を留める。

次に、蓮。

最後に、翔。

「……今日の芝居」

少し、間を置いて。

「正直、きれいすぎる」

ぴし、と空気が張る。

「安全。整理されてる。
 でもな」

佐藤は、台本を軽く叩いた。

「昨日までと、違うだろ」

誰も、答えない。

あかりの指が、わずかに強く台本を掴む。

佐藤は、ため息をついた。

「別に、詮索しない。
 何があったかも聞かない」

そして、はっきり言う。

「でも──」

「私情が、芝居を良くしてる」

一瞬、空気が止まる。

「恋でも、嫉妬でも、後悔でもいい。
 今、全員、何か抱えてる」

視線が、蓮に向く。

次に、翔。

最後に、あかり。

「それを“仕事だから”で消すな」

佐藤は、少し笑った。

「芝居ってのはな、
 感情を整理してからやるもんじゃない」

「ぐちゃぐちゃのまま、舞台に持ってくもんだ」

あかりが、思わず顔を上げる。

「……でも」

声が、かすれる。

「私情で書いたら、台本が壊れます」

佐藤は、即答した。

「壊せ」

静かだが、強い。

「壊して、作り直せ。
 今のお前のままで」

あかりは、言葉を失う。

佐藤は、蓮を見る。

「お前もだ。
 きれいに演じるな」

蓮は、息を吸う。

「……感情、制御できなくなるかもしれません」

「上等」

佐藤は、即答した。

「それが、観たい」

最後に、翔。

「お前は?」

翔は、口角を上げる。

「逃げませんよ。
 最初から」

佐藤は、満足そうに頷く。

「よし」

手を叩く。

「じゃあ、通しやるぞ」

「私情、全部持ってこい」

「舞台上で、隠すな」

稽古場に、再び緊張が満ちる。

蓮は、あかりを見ない。

でも、感じている。

(……逃げ道、消されたな)

あかりは、台本を閉じる。

(……書き直すしか、ない)

翔は、ゆっくり息を吐く。

(ここからだ)

演出家の一言で。

舞台は、もう。

“安全な場所”ではなくなった。