恋のリハーサルは本番です

初通し稽古。

客席は暗く、舞台だけが照らされている。

まだ何も完成していないはずなのに、空気は本番前のそれだった。

「じゃあ、最初からいこう」

演出家・佐藤の声が、乾いた稽古場に響く。

暗転。

音楽が、流れる。

──始まった。

序盤は、問題なかった。

蓮は、安定している。

役の感情を、冷静にコントロールしている。

翔は、鋭い。

いつも以上に、前に出てくる。

(来てるな……)

佐藤が、内心で思う。

そして。

問題は、中盤。

ヒロインが、二人の間で立ち尽くす場面。

照明が、落ちる。

スポットライト。

舞台中央に、姫野亜理沙。

その背後、少し離れて、蓮と翔。

台詞が、始まる。

翔(低く)

「……俺は、逃げない」

観客はいない。

でも、その言葉は、明らかに舞台の外を含んでいた。

亜理沙の肩が、わずかに揺れる。

(え、これ……)

蓮の台詞。



「……逃げない、だけで」

一拍。

「届くと思ってるのか」

声音が、鋭い。

台本には、ない強さ。

翔の口角が、わずかに上がる。



「だったら、あんたは」

一歩、前に出る。

「待って、失う役か?」

客席が、ざわめいた気がした。

……いないはずなのに。

亜理沙の喉が、鳴る。

(ちょ、これ、聞いていいやつ?)

亜理沙(台詞)

「やめて……」

でも、その声は、芝居じゃなかった。

本音が、滲んでいる。

佐藤が、止めない。

(止めたら、負けだ)

蓮が、踏み出す。

台本にない距離。

翔と、真正面で向き合う。



「選ばれなくてもいい」

静かな声。

「でも」

目が、逸れない。

「何もしないで、終わるのは違う」

翔の呼吸が、乱れる。



「……同感だ」

声が、少しだけ震えた。

亜理沙が、完全に置いていかれる。

(あ、これ、脚本じゃない)
(人間だ)

そして。

ヒロインの台詞。

本来は、選択を保留する言葉。

だが。

亜理沙の口から、出たのは。

亜理沙

「……待てない」

場が、凍る。

佐藤の目が、見開かれる。

(出た)

台本、崩壊。

あかりが、客席で立ち上がった。

「……ごめんなさい!」

思わず、声が出る。

(私が……)
(書いたのに)

佐藤が、手を上げる。

「続けて」

「え?」

「続けろ」

止めない。

誰も。

亜理沙の目に、涙が滲む。

(選べってこと?)
(無理……)

でも、逃げない。

亜理沙

「……私は」

一拍。

「誰かの覚悟を、待つ役じゃない」

完全に、想定外。

蓮の胸が、強く鳴る。

(……あかりの心だ)

翔も、悟る。

(……書いたな)

その瞬間。

舞台は、芝居ではなくなった。

照明が、フェードアウト。

暗転。

「……はい、ストップ」

佐藤の声。

沈黙。

誰も、動けない。

佐藤が、静かに言った。

「……今の」

一拍。

「めちゃくちゃ、良かった」

あかりは、膝に手をつく。

(……戻れない)

初通しで。

この舞台は、
感情ごと、完成してしまった。