文学女子は、春に溶ける


 広い大志(たいし)の背中が濡れている。汗と、乱れた吐息によって湿った空気のせいだった。
 大志の背中には、腰まで届くほどに大きな刺青(いれずみ)が掘られている。黒一色の太いラインと、体の曲線に沿った反復模様。トライバルタトゥーだ。大蛇が背中に張り付いたようなそんなデザイン。
 肩に乗せた亜裕子(あゆこ)のふくらはぎが、一瞬びくりと動いたので、男は脚を肩からおろすと、そっとゆびとゆびのあいだを舐めた。
 亜裕子はつまさきをぴんと伸ばし、首をそらして、その快楽に耐えている。

「我慢するんじゃねえ。声を聴かせろ」

 亜裕子の膣の中に沈めたペニスを、ぐっとさらに奥へ進めると、愛液が出口からあふれ、つながりを生ぬるく濡らした。
 ペニスの先が膣のくぼみにくっぽりと埋まる感覚を味わった時、亜裕子は大きく喘いで赤い舌を立て、涙をこぼした。

「一緒に……、()かせて、くださィっ!!」

 小動物が断末魔をあげるような、高く掠れた声だった。ちいさくはなく、はっきりと音の粒が降ってくる。
 大志はその淫靡な悲鳴を体中で堪能すると、乳首を立ててよろこんだ。
 自然と口角があがり、気持ちが最大限に高揚する。
 刺青に汗がこぼれ、おさまっていたはずの古傷がじくじくとうずきだす。小首をかしげ、訪れてくる快楽を流しながら、やがてやってくる大きなオーガズムを待っていた。
 亜裕子を見下ろすと、荒い息を吐きながら、頬を真っ赤に染めている。まるで熟れた林檎のようだ。
 たまらず大志は太い腕を伸ばすと、体の上で揺れる亜裕子の胸に手を伸ばした。強く摑むと、うす紅の乳首が立って手のひらの中で主張しているのがわかった。

「あァっ!」

 平手打ちされたかのように、短く大きな声で亜裕子は鳴いた。腹の底から出したので、亜裕子の膣はいっそう大志のペニスを強く摑み、濡れてからんで離さない__

 
 タン!

 気付けば、原稿の横、仕事机の上に叩きつけるように万年筆を置いていた。
 雫原は鼻から息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そうしなければ今の己を保てなかった。
 額にはうっすらと汗をかき、ゆるく流れる前髪の細い線を貼り付けていた。
 目は血走り、長い間睡眠をとっていないというのに、変に疲労感がなかった。それなのに、切れ長の目の舌には灰色の隈を描いている。

「違う、これじゃない……、こんなんで読者が抜けるか!」

 頭を掻きむしり、原稿をぐしゃぐしゃに丸めると、あらぬ方向へと放り投げる。
 最近は嗅覚もにぶってきていた。何を食べても、美味しいと思えない。割とすきだった冬の透明な空気も、今は寒さでゆびを冷やしてうっとうしいだけだ。
 動きを止めると、額やこめかみに一気に汗が流れ落ちてきた。
 羽織っていた深緑の半纏(はんてん)の暑さが嫌になり、投げ捨てるように脱いだ。
 顔をあげると、ようやく落ち着いてくる。かっと感情が熱くなってしまった後は、たいてい気持ちがくらいほうへと落ちてしまう。ひさしぶりの感覚だった。仕事でこんなに感情的になったのは。スランプということばと縁がないほどに、ただ淡々と仕事を続けてきたはずなのに。
 まぶたを閉じると、浮かんだのはひとりの女の白い顔だけだった。

「言葉……」

 苦しそうに両手を握り締め、うなだれる。
 年が明け、1月の中にいる。
 12月に東雲と会った後、意を決して言葉に自ら連絡を入れたが、メールも電話も届かなかった。
 雫原はLINEを行っていないので、それ以外の連絡手段を知らない。交換した連絡先はすべて無意味だった。
 なぜ。なぜ急に__。理由がわからなかった。いや、心当たりは彼女と出会った中である、抱いたときの泉のような瞳が、何を訴えていたのか。会っていないときの彼女をどれだけ不安にさせていたのか。会ったとき、自分はひとりよがりに彼女を抱いていただけだったではないか。
 
(関係を絶たれたのは、俺に原因がある……)

 原稿が投げられて空いた机の箇所に、うつ伏せに上半身を倒す。腕を組み、額をつける。
 
(もう、永遠にあの女と遭うことは叶わないのか)

 閉じたまぶたの裏、くらやみの中で雪のように静かに発光する言葉がいた。背中に手を回し、腰のあたりで右手のゆびさきを左手のゆびさきでつまんで繋げている。こちらを振り返るようなその様子は、眉を寄せ、何かを訴えるようで切なげだった。
 雫原が彼女に声をかけようとするが、その前に言葉はさっと前を向き、舞い上がる黒髪を押さえようともせずに、前へ前へと歩き去ってゆく。
 頭をふり、まぶたを開ける。
 息を吐き、もう一度原稿の束を取り、思うがままに文章を書いてみる。
 後背位やアナル責め、粘液音など、自分が得意ではない書き方をしてみたり、逆に自分が得意なねっとりとした前戯を長々と書いてみたりしたが、筆はどれも途中で止まってしまい、乗ることはなかった。

「これじゃない……。こんな表現じゃない……!」

 ひとりだというのに、声に出して思いを吐露していた。
 万年筆を原稿の横に置き、身を反らして前髪を掻き上げる。
 下卑た笑いが浮かんだ。

「ははっ、小説で恋愛の話ばかり書いてきたというのに、自分の恋愛に関しては、なんでこんなに上手くいかないんだろうな」

 自嘲(じちょう)のことばをひとり吐くも、受け止めるものはおらずただ孤独が深まるばかりだった。