久しぶりに詩子と外へ食事に出かけた。三限が休講となり、五限を取っていたので、二限終わりから五限までのあいだ、時間が空いてしまっていたからだ。学食や学内のカフェで昼食を取るよりも、今日は思い切って遠くまで行ってみようという話になった。遠くと行っても、目白駅周辺で大学から徒歩圏内のエリアだが。ひとり暮らしで節約をしていて、普段食費で贅沢をしない言葉にとっては、特別なことだった。
「詩子じゃなければ行かなかったわ」
「ランチくらいで大げさな……。いいじゃん時間あるんだし、ちょっぴり贅沢しても」
大学を出て、目白通りを歩いていても、言葉は何も変わらなかった。ただ真顔で風を切るように歩き続けるだけ。背に流れる長い黒髪が、ひらひらと舞いながら、こぼれるように落ちてゆく。
「ああ寒……。学内はまだ大丈夫かなと思ってたけど、やっぱ外出ると寒いね」
ベージュのダッフルコートを纏った詩子が、自分の体を両腕を交差させて抱きしめる。それを横目でちらと見やると言葉はちいさくため息をついた。
「寒い? 校舎を出れば、外の空気なんてどこも一緒でしょ。詩子のそのギャグのほうが寒いわよ」
「うわつめたっ。気持ちの問題だって! だって学校ってさぁ。森に囲まれてるじゃん。目白通りは森ないじゃん! だからってこと」
「何が『だから』なのかわからないわね」
「くそ~!」
他愛ない会話が心地よかった。そう思えば思うほど、頭の片隅に雫原の影がうっすらと灯ってしまうのは何故だろう。親しい友人といるときくらい、その気負わぬ時間をたのしめばいいというのに。何故、ここにいない想いびとのことが片隅にあるのだろう。いや、いつもそうだ。授業中も、食事中も、読書中も、部屋にひとりでいるときでさえ、かたわらには雫原のことがある。こんな恋は、今まで経験したことがなかった。ひどくあまやかで、ひどく怖い。自分が、どうなってしまうのかがわからなくて。
物思いに耽っているあいだに、隣で詩子が勝手にぺちゃくちゃしゃべっていたらしい。「話聞いてた?」「聞いていない。ごめん」といういつもの会話をしているうちに、目的地に辿り着いた。
「あ~、ここここ! 一度来てみたかったんだよねぇ」
詩子が背を伸ばしてうかがう先に、その店はあった。
ワインレッドの柱が印象的な、シックなでちいさな外観の店だった。店名は「カフェ・アムール」。アムールは、フランス語で愛を意味する男性名。たしか、一年次に取っていたフランス語の授業でそう習った。
「ロマンチスト……」
なんとなくつぶやいていた。
「入ろ入ろ!」
詩子に手を引かれ、店内に足を踏み入れる。
店員数も少なく、店内も狭かった。縦長で丸テーブルが三席と、カウンターが五席ほど置かれているだけだ。ホールの壁と、テーブルが置かれた壁が、向かい合うように鏡が張られている。
パフェが有名な店ということで、ランチそっちのけで詩子はパフェを頼んだ。十二月半ばの季節限定、苺のパフェだった。クレーム・シャンティの上に種類違いの苺が数粒重なって乗っていて、中に白いチョコミントティージェラート、マスカルポーネムース、苺のコンポートなどが層をわけて入っている。見た目も華やかで愛らしく、見ているだけで甘酸っぱい味が口の中に広がってくる。ファミレスのパフェよりも小ぶりだが、無駄なく洗練されていて、上品だった。パフェグラスが模様もなくシンプルだが透明度が高く、層の細かいところまで見ることが出来て、美術品を鑑賞するような気分になれた。
言葉はランチを意識して、サンドイッチを頼んだ。きゅうりがメインでハムのほうが少ないサンドイッチで、バターも濃すぎず、あっさりとしている。爽やかで食べやすく、好みの味だった。
サンドイッチとパフェを向かい合って食べながら、詩子がべらべら話すのを、ただ黙って聞いている。ときおり相槌を打ちながら。話題は流れながれて、休日の話になる。
「言葉は最近、お休みの日何してる? あたしは映画観たり、美術館行くのにハマっちゃってさぁ。武田先生の美術史の講義受けたり、映画のゼミ入ったりしてるからかな。どんどんいろんなもの観たいって気持ちが溢れてくるの。毎日、早く休みの日にならないかなってわくわくしてる」
__わくわくか。私は最近何をしているんだろう。ああ、そうだ。休日になれば、雫原とセックスばかりしている。雫原と出逢う前は、詩子のように美術館に行ったり、映画を観たり、気になる本を読んだり、ひとりでも芸術にふれて充実していたというのに、こんなに変わってしまうなんて__。
「あれ? 言葉大丈夫? 体調悪い?」
虚ろな視界に、覗き込んでくる詩子の顔が見えた。
はっとして顔をあげる。いつの間にかうつむいていた。
「いいえ……。ごめんなさい。生理前かしら。ちょっとぼんやりしていたわ」
「マジか! 言ってくれりゃいいのに。てか気づかなくてごめんね」
このまま帰るかと聞かれたが、せっかくのご飯がもったいないと断り、食事を共にたのしむことになった。
詩子は食べ終わったら余所見せずさっさと帰ろうね、と気遣ってくれる。
優しい友人を持ちながら、彼女といるときでさえ、雫原のことが頭の中にある。
__私は、最低な友人だ。
雫原のことを想うとき、たのしいことや、ときめきだけでなく、なんでこんなにも後ろ暗い気持ちになってしまうのだろう。
言葉はうつうつとしながら、それを清めるかのようにグラスの水を口につけた。
あまくつめたい水は、よどんだ体をしんと冷やして溶けてゆく。
「詩子じゃなければ行かなかったわ」
「ランチくらいで大げさな……。いいじゃん時間あるんだし、ちょっぴり贅沢しても」
大学を出て、目白通りを歩いていても、言葉は何も変わらなかった。ただ真顔で風を切るように歩き続けるだけ。背に流れる長い黒髪が、ひらひらと舞いながら、こぼれるように落ちてゆく。
「ああ寒……。学内はまだ大丈夫かなと思ってたけど、やっぱ外出ると寒いね」
ベージュのダッフルコートを纏った詩子が、自分の体を両腕を交差させて抱きしめる。それを横目でちらと見やると言葉はちいさくため息をついた。
「寒い? 校舎を出れば、外の空気なんてどこも一緒でしょ。詩子のそのギャグのほうが寒いわよ」
「うわつめたっ。気持ちの問題だって! だって学校ってさぁ。森に囲まれてるじゃん。目白通りは森ないじゃん! だからってこと」
「何が『だから』なのかわからないわね」
「くそ~!」
他愛ない会話が心地よかった。そう思えば思うほど、頭の片隅に雫原の影がうっすらと灯ってしまうのは何故だろう。親しい友人といるときくらい、その気負わぬ時間をたのしめばいいというのに。何故、ここにいない想いびとのことが片隅にあるのだろう。いや、いつもそうだ。授業中も、食事中も、読書中も、部屋にひとりでいるときでさえ、かたわらには雫原のことがある。こんな恋は、今まで経験したことがなかった。ひどくあまやかで、ひどく怖い。自分が、どうなってしまうのかがわからなくて。
物思いに耽っているあいだに、隣で詩子が勝手にぺちゃくちゃしゃべっていたらしい。「話聞いてた?」「聞いていない。ごめん」といういつもの会話をしているうちに、目的地に辿り着いた。
「あ~、ここここ! 一度来てみたかったんだよねぇ」
詩子が背を伸ばしてうかがう先に、その店はあった。
ワインレッドの柱が印象的な、シックなでちいさな外観の店だった。店名は「カフェ・アムール」。アムールは、フランス語で愛を意味する男性名。たしか、一年次に取っていたフランス語の授業でそう習った。
「ロマンチスト……」
なんとなくつぶやいていた。
「入ろ入ろ!」
詩子に手を引かれ、店内に足を踏み入れる。
店員数も少なく、店内も狭かった。縦長で丸テーブルが三席と、カウンターが五席ほど置かれているだけだ。ホールの壁と、テーブルが置かれた壁が、向かい合うように鏡が張られている。
パフェが有名な店ということで、ランチそっちのけで詩子はパフェを頼んだ。十二月半ばの季節限定、苺のパフェだった。クレーム・シャンティの上に種類違いの苺が数粒重なって乗っていて、中に白いチョコミントティージェラート、マスカルポーネムース、苺のコンポートなどが層をわけて入っている。見た目も華やかで愛らしく、見ているだけで甘酸っぱい味が口の中に広がってくる。ファミレスのパフェよりも小ぶりだが、無駄なく洗練されていて、上品だった。パフェグラスが模様もなくシンプルだが透明度が高く、層の細かいところまで見ることが出来て、美術品を鑑賞するような気分になれた。
言葉はランチを意識して、サンドイッチを頼んだ。きゅうりがメインでハムのほうが少ないサンドイッチで、バターも濃すぎず、あっさりとしている。爽やかで食べやすく、好みの味だった。
サンドイッチとパフェを向かい合って食べながら、詩子がべらべら話すのを、ただ黙って聞いている。ときおり相槌を打ちながら。話題は流れながれて、休日の話になる。
「言葉は最近、お休みの日何してる? あたしは映画観たり、美術館行くのにハマっちゃってさぁ。武田先生の美術史の講義受けたり、映画のゼミ入ったりしてるからかな。どんどんいろんなもの観たいって気持ちが溢れてくるの。毎日、早く休みの日にならないかなってわくわくしてる」
__わくわくか。私は最近何をしているんだろう。ああ、そうだ。休日になれば、雫原とセックスばかりしている。雫原と出逢う前は、詩子のように美術館に行ったり、映画を観たり、気になる本を読んだり、ひとりでも芸術にふれて充実していたというのに、こんなに変わってしまうなんて__。
「あれ? 言葉大丈夫? 体調悪い?」
虚ろな視界に、覗き込んでくる詩子の顔が見えた。
はっとして顔をあげる。いつの間にかうつむいていた。
「いいえ……。ごめんなさい。生理前かしら。ちょっとぼんやりしていたわ」
「マジか! 言ってくれりゃいいのに。てか気づかなくてごめんね」
このまま帰るかと聞かれたが、せっかくのご飯がもったいないと断り、食事を共にたのしむことになった。
詩子は食べ終わったら余所見せずさっさと帰ろうね、と気遣ってくれる。
優しい友人を持ちながら、彼女といるときでさえ、雫原のことが頭の中にある。
__私は、最低な友人だ。
雫原のことを想うとき、たのしいことや、ときめきだけでなく、なんでこんなにも後ろ暗い気持ちになってしまうのだろう。
言葉はうつうつとしながら、それを清めるかのようにグラスの水を口につけた。
あまくつめたい水は、よどんだ体をしんと冷やして溶けてゆく。



