翌日の朝一。晴菜ちゃんの机の前に立つ。授業の準備をしていた彼女が顔を上げ、私を見た。思い切って聞く。
「あのね……こんな事を言ったら凄く嫌な気分にさせてしまうかもしれないけど、ごめんね……その……晴菜ちゃんが私に友達ができるのを邪魔してるって話を聞いたんだけど……」
もごもごと口にする私へ、静かに眼差しを注いでくる。僅かな間の後で――彼女は破顔した。
「まっさかあ! 誰がそんな事言ったの?」
「えっと……」
「明ちゃん」
不意に……晴菜ちゃんと目が合わなくなった。下を向く彼女の、ボソボソと何か呟く声が耳に届く。
「明ちゃんは、ほかに友達ができたら……」
「え?」
「ううん、何でもない」
晴菜ちゃんは、いつものようにニッコリ笑って違う話題を振ってきた。引っ掛かるものはあったけど、それ以上聞けなかった。
休み時間中。次の授業が別の教室である為、移動している。後方から、誰かが晴菜ちゃんを呼んでいる。呼んだのは晴菜ちゃんの友達らしい女子で、晴菜ちゃんは「ごめん明ちゃん、先に行ってて」と、その子と廊下の反対方向へ戻った。
先に行ってようと前を向いた時、前方から来たらしい女子生徒とぶつかった。私よりやや背が高く、体付きは細い子で……長く真っ直ぐな黒髪が印象的だった。左肩の上で一つに結ばれている。謝り合いながら別れて、再び廊下を進む。
目的の教室の手前で、違和感に気付く。右ポケットを探る。何か入っている。取り出して見てみると、小さく折り畳まれたメモだった。
まさか……さっきぶつかった子が、私に何か伝えたくて入れてきた?
恐る恐る広げて、メッセージを読む。
『放課後、内巻さんに内緒で第一図書室裏に来てほしい』
放課後になり、第一図書室裏へ足を運ぶ。隣に沢西君もいる。
昨日、他校の子に追いかけられた事もあり……昼休みにスマホからメッセージを送っていた。僅か十秒程で返事が来て驚いた。「オレも行きます」と書いてあって、ホッとした。
二階建ての別棟を眺める。この建物の丸々が第一図書室になっている。元々の第一図書室は、既に取り壊された旧校舎にあった。旧校舎が建て替えられる際、急遽……間に合わせで私たちの教室がある校舎に第二図書室が作られた。新しい校舎が建ち……もう一棟別に、この第一図書室ができてからまだ日も浅い。ここへ来る前……出入口付近を通り過ぎた。多くの生徒が行き交っていた。
足音が聞こえ振り返る。休み時間中、廊下でぶつかった女子生徒が立ち止まる。彼女は沢西君を見て、一瞬ハッとするように顔を強張らせた。しかし彼を連れて来た事については言及されなかった。
少し硬い表情で紡がれる言葉に、耳を傾ける。
「来てくれてありがとう、坂上さん。私は田美丘(たみおか)ありす。一年の時、同じクラスだったけど……きっと憶えてないよね?」
フフッと微笑む田美丘さんに謝る。
「ごめん。薄らそうだったような気がするけど、喋った事はなかったよね?」
田美丘さんは頷いた後、ハッキリとした声で言った。
「内巻さんの、あなたへの執着は異常だよ」
「一年の時……坂上さんに数回、話しかけようとした事があったんだけど……その度に内巻さんや彼女の仲間に阻まれていたの。初めは坂上さんに対するいじめなんじゃないかって思って、邪魔されても諦めずに近付こうとしてた。でもダメだった。彼女はこの学校の……例えるならスクールカーストの頂点……いいえ違う。スクールカーストを組織してるって言ったら近いのかもしれない。大半の女子は、彼女に従ってる」
田美丘さんは深刻な表情で瞼を伏せた。彼女の話は続く。
「内巻さんは、ほかの子が坂上さんと親しくならないように……仲間に指示を出して邪魔していたみたい」
眉を寄せる。
「ほ……本当に? 私……昨日まで晴菜ちゃんが、そんな事してるって疑いもしなかったよ。それにスクールカーストを組織してるとかって……晴菜ちゃんから一言も聞いてないよ?」
「でしょうね」
苦笑された。
「彼女、結構悪名高いから。密かに坂上さんは有名人なんだよ。悪女に囚われている深窓のお姫様だってね。いじめを疑っていた私は、真実を探ろうとした。……聞く?」
田美丘さんはスカートの右ポケットに手を入れ、何かを引っ張り出している。
「内巻さんを突っつけば、ボロが出るかなと思ったの」
そう言って田美丘さんが見せてくれたのは、小さなペンケースくらいの大きさのボイスレコーダーだった。彼女はそれを慣れた手付きで操作し、音声が再生される。
『前も注意したよね?』
晴菜ちゃんの声だ。いつもの明るい口調。だけど今まで聞いた事がない程の敵意が込められているような感じがして、ゾクッとする。
『明ちゃんに勝手に喋りかける人は、人の話を聞かない協調性のない人なの。だからほかの人も、その人の話を聞かなくなるよね。だってあなたも聞いてくれないんだもん。フフッ』
……何かおかしなところ、あっただろうか? 楽しそうな晴菜ちゃんの笑い声に、薄ら背筋が寒くなる。
「さすがに、これ以上はヤバいと思って。挑発するのをやめて大人しく引き下がったんだけど……。何だか負けたような悔しい気持ちが残ってしまって。だから坂上さんに、この話をしてるのは……ちょっとしたリベンジなの。最近、見張りが妙に手薄なのよね……。でも。そのおかげで今日、あなたと話ができた」
田美丘さんはそこまで言い終えると、チラッと沢西君を見た。あっ、説明するのを忘れていた。
「こちらは沢西君。昨日、他校の女子に追いかけられたり……学校帰りに色々あって。一人じゃ心細かったから、付いて来てもらったんだ」
「……そう」
田美丘さんが小さく呟く。彼女は僅かに表情を曇らせ、沢西君から視線を外す。その目は、真っ直ぐに私を見つめてくる。
「坂上さんとは、本気で友達になりたかったんだ。……読んでる本の好みが、合いそうな気がしたの。今日、内巻さんについて知らせたのは……。彼女に屈して、これ以上の関わりを諦める私の罪滅ぼし的な……ただの自己満足のお節介。私じゃ内巻さんの事、解決できなかったから。…………実は別の日……内巻さんがほかの人に、あなたの話をしてる場面に遭遇した事があって。あっちは私に気付いてないみたいだったけど。…………これも聞く?」
田美丘さんの問いに、唾を飲み込む。怖気付きながら返事をする。
「き、聞くよ」
再生された音声は、中々に衝撃だった。
『仲、取り持ってもいいけど気付かなかった?』
晴菜ちゃんの声だ。
『私、聡ちゃんの事好きなんだよ』
『何……言ってるんだ?』
話している相手は岸谷君だ。心臓がドクドクと音を増す。胸元に右手を置いて、落ち着けようと試みる。緊張で掌に汗をかいている。その間も、二人の会話は続いている。
『私にもチャンスを頂戴? キスしてもいいなら明ちゃんとの事、応援する。手伝う。心変わりしてくれたらいいなっていう作戦なんだけど、明ちゃんが大好きな聡ちゃんでも自信ないかぁ。揺らいじゃうよね』
『挑発には乗らない』
『明ちゃんが何でいつも私と一緒にいてくれるのか、分かる?』
『それはお前が――……!』
『フフフッ。今の私は、あなたと明ちゃんを永遠に引き離す事だってできるのよ? 話さえできなくなってもいいの? 明ちゃんに何を望んでいるのか知らないけど。安心して私を好きになってくれていいんだよ』
呆然と立ち尽くし聞いていた。田美丘さんが再生を止め、私と向かい合う。
「真相は分からないけど、私が知っているのはこんな感じ。あともう一つは…………ううん、何でもない」
「まだ何か知ってるの? 田美丘さんお願い! ほかにも知ってる事があったら、教えてほしい」
田美丘さんの手を両手で握り、頼んだ。
私は晴菜ちゃんの事を、分かっていなかった。もっと分かろうとしていたら、何か違っていただろうか。
田美丘さんは困惑しているような、少し悲しげな顔で言い含めてくる。
「ごめんね。本当はもう一つ、知ってる事があるんだけど……今は話せない」
「そう……だよね。ごめんね、変な事に巻き込んじゃって」
考え至って申し訳なく思う。第一図書室の出入口がある方向から、ほかの生徒の喋り声が響いている。私たちの声も、誰かに聞こえているかもしれない。
田美丘さんは「力になれなくてごめんね」と言い残し、私たちへ背を向け歩き出す。
「ありすちゃん」
思い切って呼び掛ける。田美丘さんの足が止まった。
「……って、呼んでいい? 今度、好きな本を教えて」
嫌がられませんようにと、祈りながら口にする。振り返った彼女は、私へニッと笑った。
「分かった。……明ちゃん!」
二人で手を振り合う。ありすちゃんが校舎の方へ走って行くのを見送った。
「よかったですね」
沢西君が話し掛けてくる。嬉しくて頬が緩む。もしかしたら。晴菜ちゃん以外の友達が……できたのかもしれない。
「オレたちも帰りましょう」
言われて頷いたところでハッとする。……忘れてた!
「沢西君ごめん。今日、一緒に帰れない。塾があるんだった」
塾がある日は、晴菜ちゃんとも別々に帰っていた。学校近くにあるバス停と、塾の方向も違うし。
沢西君は気にしていない様子で「ああ」と呟いている。その薄い反応を見て「一緒に帰りたかったのは、私だけだったんだ。当たり前か……」と、内心気落ちする。
あれ、何だろう。呆れている時の目付きを向けられている。
「オレも同じ塾に行ってるの、知らなかったんですか? 喋った事はなくても、見かけた事くらいはあるんじゃないかって思ってたのに……。坂上先輩の視界にも入ってなかったんですね」
彼はわざとらしく溜め息をついて、首を横に振っている。
「ご……ごめんね。全然、知らなかったよ」
二人して塾へ歩いている道すがら……右隣の沢西君が、まだ拗ねた様子だった。機嫌を直してほしくて謝ったのに。相手の肩が、更に落ちたように見える。
学校を出て大通りの方へ行かず、商店街方面の道を辿っている。マンションやビル、民家の並ぶ通りの歩道を進む。
沢西君が横目を向けてきた。
「悪いと思ってるなら、誠意を見せて下さい」
「誠意?」
「オレ、先輩ともっと……仲良くなりたいと思ってるんですよ」
びっくりして思わず、足を止めてしまった。沢西君も立ち止まって、こちらを向いてくる。
「さっき聞いた内巻先輩と岸谷先輩の会話。二人がキスする仲なのは、理由があるみたいでしたよね。岸谷先輩は内巻先輩に『坂上先輩との仲を、引き裂かれたくなかったら』といった具合に脅されていた。…………先輩はそれを知って、どう思いましたか?」
「……っ!」
指摘されて息を呑む。口元に手を当てる。動揺して、言葉が出てこない。
「やっぱり、岸谷先輩に未練がありますよね? そんな事情があるなら、尚更」
沢西君は呟いて、どこか元気がなさそうに笑った。
沢西君ごめん。
心の中だけで白状する。
私……岸谷君の事、全然考えてなかったよ。

