「岸谷先輩とだったら、キスしたいですか?」
沢西君の投げ掛けてきた問いに閉口する。分からない。昨日までだったら確実に、イエスと答えただろう。でも今は、もう分からない。私の内部で、感情が入り乱れる。
「分からない」
答えとしては不十分だと感じていたけど。適切な言葉が浮かばず、胸の内をそのままに返した。沢西君は少しの間、何か思考している様子だった。五秒程経ってから「分かりました。次はオレの番ですね」と、さらっと話題を切り替えてくる。
沢西君は何を考えて、さっきの質問をしてきたのだろう。気になったけど。これから答えてもらう内容も凄く知りたかったので、尋ねるタイミングを逃した。
「坂上先輩の質問は……オレが坂上先輩とイチャイチャする時に、ドキドキするかどうかって質問でしたよね? 合ってます?」
「う、うん」
改めて言葉にされると、こそばゆい。
「それって少なからず……オレに興味を持ってくれてるって事で……合ってます?」
「う、うん」
あ、あれ?
「オレの好きな人って……誰か分かってます?」
「ちょっと待って! 私の質問に答えてくれるんじゃなかったっけ? 逆にこっちが答えてるんですけど!」
やっと気が付いて、沢西君に主導権のある流れを止めた。沢西君は目を細めて、ふてぶてしく答えてくる。
「あー。オレの質問、一つだけとは言ってないですよね」
「狡っ!」
「さあ。一つは答えたし。さっきのドキドキについては、実際にキスする時に教えますよ」
「ず、狡っ!」
前言撤回。好青年なんかじゃなかった。
ピッ、ガコォン。
突然……すぐ横の自販機が音を立てたので、跳び上がりそうになる。誰か、飲み物を買ったみたいだ。
沢西君が、やや不機嫌そうな表情で駐車場の外を見ている。
「あの子、今回もいい仕事してるわ」
外の方から呟きが聞こえる。この声は……!
「朔菜ちゃん……?」
思い浮かぶ名を口にする。
自販機の横へ出て来てくれた。缶コーラを、ゴキュゴキュと一気飲みしながら。
「ぷはっ。久々にスッとした!」
コーラを飲み終えたらしい朔菜ちゃんは、私たちに視線を据えてくる。やや、つり目気味の双眸が細められ……見つめられると値踏みされているような心地になる。
「……あいつら。きっとどこかで落ち合って黒幕に報告する筈だから、今日はもう追って来ないと思う」
朔菜ちゃんが私たちへ教えてくれる。『あいつら』というのは……さりあちゃん、姫莉ちゃん、ほとりちゃんの事だろう。
「朔菜ちゃん、さっきの三人と……それから晴菜ちゃんとも知り合いなの?」
尋ねてみる。ゴミ箱にコーラの缶を入れていた朔菜ちゃんの瞳が、私の方へ向く。
「まぁね。古い知り合い」
「もしかして。今日は晴菜ちゃんに頼まれて、付いて来てくれたの?」
この機会を逃すまいと、続け様に問い掛ける。朔菜ちゃんが駐車場の表へ回ったと思ったら、再び自販機の動く音が響く。更にコーラを買ったらしい。それを片手に戻って来た彼女は、意外にもすんなり答えてくれた。
「まぁ、そうかもね。あいつらが動くのは、薄々分かってたし」
「晴菜ちゃんは……」
途中まで言って口籠もる。「本当に、さりあちゃんが言っていたように悪女なの?」と、聞いてしまいたかったけど……やめた。明日、本人に確認するって決めたし。朔菜ちゃんの意見は、あくまで朔菜ちゃんから見た晴菜ちゃんの印象だ。一つの参考にはなるかもしれないけど、ちゃんと自分で見極めたい。
あれっ? そう言えば――。
「朔菜ちゃんと、さりあちゃんが話してた……『聖女』って誰の事? その人が、私を連れて来るよう……あの三人に頼んだのかな?」
一瞬、朔菜ちゃんの動きが軋んだ気がする。しかも私、凝視されている?
「どうする?」
「え?」
突然、朔菜ちゃんに問われた。何の事だろうと戸惑う。
「アンタの家まで付いて行った方がいいかな、私? 大丈夫とは思うけど」
彼女は私を見て言った後……私の隣に立つ沢西君を一瞥していた。
「あー。もう帰って下さい。オレが彼女を、家まで送って行くんで」
「えっ!」
勢いよく顔を向ける。驚いた為、大きめな声が出てしまい駐車場に響いている。ニヤリと細めた目付きで念押ししてくる。
「いいですよね? オレ、今日から彼氏ですし」
「えっと。そこまでしてもらうの悪いよ……」
「オレが行きたいだけなんです。坂上先輩の家って、どんな所なのかなーって気になるので」
「……う、うん分かった」
拒む理由も思い付かなかったので了承した。
「それに……」
「それに?」
「いえ、何でもありません」
沢西君が何か言い掛けていた。気になる。
「じゃー頼んだわ」
朔菜ちゃんが左手にコーラの缶を持った後ろ姿で、右手を挙げ言い残す。彼女は駐車場を出て、左方向へと去った。
「先輩、オレたちも行きましょう」
鞄を持ち直した沢西君が、反対の手を差し出してくる。これは、もしかして……?
「えっと……」
呟いて窺う。提案してくる彼の顔に笑みはなく、真剣な表情に見える。
「手、繋ぎませんか?」
や、やっぱり?
「さっきの朔菜って子。帰ったと思わせて、まだ見張ってると思うんですよね。内巻先輩の仲間っぽかったし。きっと後で内巻先輩に報告する筈だから、ついでにオレたちが仲いいところを見せ付けてやりましょう」
攻めるねぇ。私、そこまで考えてなかったよ。
私から恋人のフリをお願いした訳だけど、こんなに熱心に協力してくれるなんて。少しばかり狡いと思う部分があっても沢西君はいい人だし、味方になってもらってよかった! とても心強いよ。
でも。さっき沢西君に傾きかけた恋心を自覚した経緯があるので、変に意識してしまう。
「はい、お願いします」
テンパる。返事が敬語になった。差し出してくれた手に、自らの手を重ねる。
明るい表情で笑い掛けてくる。
「先輩、もしかして緊張してます?」
彼の楽しそうな雰囲気に納得がいかない。きっと沢西君は、私の事なんて意識していない。だから「手を繋ぐ」なんて事も、軽くこなしてしまえるのだろう。何かに負けた気分で俯く。合間に、僅かに湿度がある。私が緊張しているから。握り合って、駐車場の外へ歩む。言った。
「うん。凄く緊張してるよ」
ガコッ。
「いてっ!」
答えた次の瞬間、大きな物音がした。同時に沢西君が声を上げたので、びっくりして彼を見る。どうやら……足をゴミ箱にぶつけたらしい。
「大丈夫?」
尋ねる。彼はヘラッと笑って見せる。
「大丈夫です」
……そう言っていたのに。沢西君の表情が、どことなく暗い。
普通に歩いていた時は、ちゃんと喋れていた。しかし手を繋いでいる時分は緊張で、何を話したらいいか分からなくなっている。結局……自販機のある駐車場前から歩いて来る間、一言も交わさず最寄りのバス停に到着してしまった。自然と手が離れる。
バスの中でも、一言二言喋っただけ。
バスを降りて、歩道を歩く。また「手を繋ごう」と提案してくれるかも……と、ドキドキしていたけれど。当たり障りのない会話を少しする程度で、沢西君からの誘いはなく……私はそれを寂しく思った。
バス停から自分の家まで、約半分の道のりを過ぎる。上り坂の手前にはパン屋さんがある。差し掛かる頃に振り返った。沢西君と向かい合い提案する。
「あのっ。手、繋いでもいいですか?」
また敬語になる。驚いたような顔で見てくる。恥ずかしがる己の心を抑え、必死になって言葉にする。
「ほら。沢西君も言ってたよね? 知らないところでイチャイチャされるのって、ダメージあるとか。それにこういう事、普段から練習していないと岸谷君の前で実際にして見せる時、うまくできない気がするし。沢西君は大丈夫かもしれないけど、私は自信なくて……」
言い訳を並べる。顔が熱い。これはもう……。
私は彼を好きになっている途中のようだ。確信する。
眼前の相手は……沈黙している。断られた場合のダメージを覚悟した時。
「先輩って真面目なんですね」
目を奪われる。とても楽しそうに笑うから。
「じゃあ、遠慮なく」
元の彼らしい、強かな思惑が含まれていそうなニュアンスで。
挑むような瞳を向けてくる。
手を引かれた。
静かな住宅地が続く。車や人がたまに通るくらいの、細い道路を進んでいる。
次第に暗みを帯びてくる夕空。もう少ししたら家に着くので、沢西君と一緒の時間も……あと僅か。
坂の途中で、彼の足が止まった。
「沢西君?」
横顔を窺う。
「先輩の家って、結構高台にあるんですねー! まさか、こんなに上るとは思いませんでした!」
ニコニコと笑い掛けてくる。手を繋いでいるので、私たちの距離は近い。笑みが解かれた一瞬の間……相手の瞳が私を見ていた。
沢西君の後ろに広がる町並みと空には、まだ明るさが残っている。赤い陽光に焦げたかのように濃く、灰色に。棚引く雲が、意識の端を焼く。世界が夜を迎える準備をしている。
彼がもう一度、笑った。優しい眼差しと朗らかな声音で。
「先輩、ありがとう」
言われて「何に対してのありがとう?」と疑問に思う。目を見返す。
「オレに……復讐の機会をくれて」
手が離れた。彼は微笑んでいるのに。悲しそうな気配がするのは何故だろう。
道の端に佇む背を見つめる。ガードレールの外に広がる景色を眺めているのかもしれない。
「沢西君。そんなに岸谷君の事、恨んでたの?」
尋ねると振り向き、不機嫌そうに細めた目付きを寄越してくる。
「そりゃあ恨んでますよ。オレの好きな人……あいつの事が好きなんだそうです」
軽く睨まれている気がする。
「えっ? そうなんだ。岸谷君ってモテるんだね! ……そっか」
納得した。沢西君の好きな人も、岸谷君が好きだったなんて。だから沢西君は、私に協力してくれたのかも。
「沢西君。私の方こそ……ありがとうね」
目を見ながら言うのが少し恥ずかしいと思い、視線を下へ外す。けど、やっぱり。まっすぐに伝えたくて顔を上げる。
「沢西君が協力してくれたから私……今、笑っていられるんだよ。あの時……第二図書室にいてくれたのが沢西君で、本当によかった!」
目が合う。頬が自然と綻んでしまうのを感じる。
「ごめん先輩」
「えっ」
急に腕を引っ張られる。後方から「シャー」と、自転車の通り過ぎる音が聞こえる。引っ張られた勢いで、沢西君の胸元に掴まってしまった。
「オレ、そんなにいい奴じゃないよ」
心音が速い。
「望みを叶える為なら、悪魔とだって手を組むよ」
胸元に置いてしまった手を、やんわりと外され繋がれる。何事もなかったかのように歩く彼に続く。
我が家の前にある階段の下まで来た。「何かあったら連絡して下さい」と言われ、スマホの連絡先を交換する。解散後、沢西君の姿が見えなくなるまで見送った。

