約束した時間の三十分前に着いた。ショッピングモール一階の、出入口付近で明を待つ。
壁を背にしてバス停を眺める。ボーッとしていた。昨日は一睡もしていない。近頃、忙しくて爆睡する日も多かったのだが。今日は明と会えるのが楽しみ過ぎて寝付けなかった。
まだ時間もあるからと、肩に掛けていたボディバッグから本を取り出す。読み掛けの文庫本を持って来た。このところ読書する時間を作れていなかったから、ちょうどいい。
ページを開いた時、バスが停車したのを見た。期待した通り、バス停へ降り立つ人の中に明を見付ける。
いつもと髪型が違う。普段は後ろで一つの三つ編みにしているのに、今日は下ろしている。ウェーブになっていて頗る可愛い。オレの着ているジャンパーと同じ色合いのジャンパーの下に、水色のトレーナーと濃い緑色のスカートという出で立ちで……辺りをキョロキョロと見回している仕草も。
その可愛さに、バス停の周辺にいた男どもも目を奪われている。
「凄い可愛過ぎる……オレの彼女が可愛過ぎる……くっ!」
寝ていないテンションで暴走してしまいそうな予感がする。
欲望を鎮めようと本に視線を向ける。心を落ち着けてから明と話そう。深呼吸しつつ、ページを読む。しかし。
文字が頭に入って来ない……!
それもその筈だ。本が逆さになっていた。
「春夜君お待たせ!」
暖かい日溜まりのような声だと思う。
「あっ、明。えっ? 今日……何か……えっと髪……」
テンパってしまい、今気付いた体で聞く。
「あ、うん。今日は変えてみたんだけど、どうかな?」
「凄くいいです。かわ……何でもないです」
「可愛い」と言い掛けて、咄嗟に誤魔化す。思い至ったからだ。
オレ……最近「可愛い」って言い過ぎ? もしかして明に「褒め言葉、それだけ?」と、呆れられていないか? 今は大丈夫だったとしても、未来では……?
悪寒がする。
今日は「可愛い」を封印して、別の言葉で表現できないかやってみよう。
寝ていない日はヤバい。普段、気になっている事を口にしてしまった。明がオレの事をどう思っているのかとか、岸谷先輩についても。
「すみません、つい言い過ぎてしまって。『もう気にしてないです』って、言っておきながら……。この話は、もうしません。最近、疲れていて暗く考えがちでした。今日、明と会えるのを励みにしていました。凄く楽しみだったんです。もし明が嫌じゃなければオレと……イチャイチャしてほしいです」
口走って目が覚める。『イチャイチャしてほしいです』。
オレーー! 内に秘めている願望も漏れてる! もっと……こう……オブラートに包みたかったのに……。
今日は……ある目的があって、このショッピングモールへ来た。クリスマスに、彼女へプレゼントを渡したい。
何がいいかなと、結構な時間を使って考えた。そして決めた。指輪を贈る。
我ながら重いなと思うけど、変更する気はない。
先週には事前の下調べの為、一人でここへ来た。明の指輪のサイズが分からなくて、再び彼女を連れて来店すると宝飾店の店員さんに約束した。
雑貨や洋服などをキラキラした目で見て回る明は、控え目に言ってもかわ……おっと。
明がマネキンに着せてあるワンピースをチェックしている。
「……明はこういう服が好きなんですね」
「花柄で裾の長めなところが好みだけど、合うサイズがないみたい」
「そうなんですね……残念です。着ているところを見てみたかったです。今日着ている服とは少し違う印象だけど、どっちを着ても凄く……げほほっ……いいと思います」
オーーーレぇぇぇ! また「可愛い」と言おうとした!
頭を抱えたくなる。
「ポンコツ過ぎて歯痒いな」
自分の語彙力のなさに失望していた。
「春夜君……?」
明が聞いてくる。もしかして今、脳内の呟きが口に出ていた?
「あっ! すみません、何でもないです。次の店に行きましょう」
誤魔化す為に促した。
明を靴の店へ誘導し、隣にある宝飾店へ連れて行けた。指輪のサイズもゲットできた。
だから午後にフードコートでハンバーガーを食べていた際はホッとしていた。まさか明と過ごす、この穏やかな時に暗雲が掛かるなどと……想像もしていなかった。
ふと……目が何かを捉える。明がポテトを食べている右斜め後ろを、オレたちとは反対の方へ歩いて行く二人組に。
あれは、内巻先輩と湧水……?
明がオレの視線に気付いて、後方を確かめようとしている。咄嗟に呼び掛けた。知られたくない。内巻先輩と明が会ったら、四人で行動する事になりそうだから。
「クリスマスイブの日に会いたいんですけど……」
大事な件を切り出す。
「私も誘おうと思ってたんだよ!」
屈託なく笑って、オレの欲しい言葉をくれる。
結果がどうなろうとも。伝えようと決めていた。
フードコートを出て歩いている。このショッピングモールには恐らく、まだ内巻先輩たちがいる。危険だ。オレは今日を目一杯に堪能するつもりだった。鉢合わせしないように場所を移動したい。
提案しようと横を向く。明がいない。振り返る。後方で立ち止まっている彼女に違和感を覚える。
「明?」
「あっ……えっと……」
彼女が何か言い掛ける。けれど、それを遮って相手の手を引く。
「明、ごめん。今、急いでて」
ヤバイヤバイヤバイ。
明の後方……大分離れた場所だったけど、内巻先輩たちがいたぞ? 気付かれたら捉まる……!
走ってエレベーターの前まで来た。
だめだ。エレベーターがこの階へ到着するまで、まだ時間が掛かりそうだ。ここで待っていたら見付かる……!
エレベーター横にあるドアを開け、階段を下った。
「春夜君っ!」
呼び止められてハッとする。振り向いて明を見る。今にも泣きそうな顔をしている癖に「ごめんね。何でもないよ?」と微笑んでくる。彼女の様子が変だ。不安が湧き起こる。
何でもない訳がないよな?
眉間に皺を寄せる。
理由を話さずに急いだのが、まずかったのかもしれない。
それとも、ほかに何か……。オレが何か、彼女の嫌がる事を……知らず知らずの内に……やらかしていた可能性もある。
見据えた。慎重に言及する。
「嘘つかないでください」
真剣に望む。
「ちゃんと言ってください」
相手の瞳が、うるっとする様に胸が締め付けられる。
彼女が口を開く。予想外の要望を聞いた。
「私、まだ一緒にいたい」
…………。
明は「可愛い」次元の可愛さを、軽く超越してきた。もはや言葉では言い表せないくらい尊い。
「だめだ……もう」
抑えていた思考が音を上げる。
これじゃあ「可愛い」って言うのも、既にオブラートに包まれているよな。
表す言葉は、彼女へ抱く気持ちの一端に過ぎない。
「可愛いです」
伝えると驚いたように目を大きくして見てくる。
「え?」
聞き返されたので再び、しっかりと言う。
「可愛いです。今日、特に。何でそんなに……可愛くしてるんですか?」
期待していた。オレの為にしてくれたんじゃないかなって。
階段の上の方から、ドアの開閉音が聞こえドキリとする。下って来たのは親子連れで、内巻先輩たちではなかったので安堵した。
踊り場まで下りる。親子連れが去った後でキスした。
もういい。内巻先輩が何だ。鉢合わせても明は譲らない。たとえ明が内巻先輩を選んだとしても。絶対に放してやらねぇ。
「こんな所で……ちょっと待って?」
明が恥ずかしがって拒んでくる。決意を込めて言う。
「嫌です」
「あれー?」
聞こえた明るめの声に、背筋がゾクッとする。ついに捉まってしまった。
「明ちゃんじゃーん!」
階段を下りて来る内巻先輩を睨んだ。
内巻先輩の後方で、湧水が手を合わせて「ごめん」のポーズをしている。湧水も睨んでおいた。
「やらしー。こんな所でイチャついたらダメだよー? あっ! そうだ! 明ちゃんたちも一緒に回ろーよ!」
早速、言ってきた。
絶対に渡さねぇ!
口を開く。
「晴菜ちゃん、ごめんね」
澄んだ声音が響いた。驚いて隣を見る。
「今日は春夜君といたいの」
明は神妙な表情で告げる。そして。やや恥ずかしそうに俯いて続ける。
「その……今もイチャイチャできる大切な時間だから、邪魔しないでほしいの」
絶句する。
「くあーー!」
内巻先輩が歯軋りしながら呻った。
「分かった。明ちゃん。分かった。分かるよう努力するよ……!」
内巻先輩は口をへの字にしつつ立ち去った。
湧水も彼女の後に続く。
擦れ違う際に、こっちを見てくる。口元をニコニコさせ「じゃな」と、一言だけ喋って階段を下りて行く。
薄々感じていたが。湧水……まさか。お前の彼女って……?
二人だけになった踊り場のスペースに沈黙が落ちる。
感動で、暫く言葉が出なかった。
明もオレとイチャイチャしたいと思ってくれていて、オレを優先してくれた。
「よかったかな? 晴菜ちゃんたちと回りたかった……? 春夜君」
オレ……明の気持ちを侮ってた。明ってオレの事、そんなに好きなの?
以前、クイズの選択肢のように聞いた事はあったけど。
オレの事を気にして、しゅんとしている姿に唾を呑む。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
晴菜ちゃんに一緒に回ろうと誘われたけど、断った。
彼女たちが去った後で聞いてみる。
「よかったかな? 晴菜ちゃんたちと回りたかった……? 春夜君」
「だめだ……もう」
「え?」
「オレ、自惚れてもいいんですね?」
デジャヴが起こっている。さっきも、こんな会話をしたような……?
今度は、私からキスしてみた。「どんな反応をされるかな?」と、内心ドキドキしている。さっきと逆で「こんな所で……ちょっと待って?」と、言われるのかも?
言われたら「嫌です」って、言ってやろうと思っていた。
「こんな所じゃダメです」
ん?
春夜君はきっぱりと言い切って、私の手首を掴んでくる。
導かれるまま建物の外へ出る。
ショッピングモール前の交差点で、信号待ちをしている時分に尋ねる。
「春夜君……?」
「何でそんなに可愛いんですか?」
「ありがとう。春夜君に可愛いって思われたくて」
「……そう」
その後、念願が叶ってイチャイチャできたんだけど…………えっと。ここでは話せないかな。
