商店街にある美容室の待合スペースにて。私たちの話は、まだ続いていた。しかしある問題に行き当たって、沈黙が訪れる。
もう今日明日にも、完成予定のユララ衣装。だが。
「うーん。困った……。せっかくユララのコスチュームが着れても、写真を撮れる場所って案外ないもんだね」
朔菜ちゃんは呟いて、親指の爪を噛みながら歯軋りしている。この美容室だったら人目を気にせず好きなだけ写真を撮れるけど……割と狭いし写真の背景がアニメの内容と関係のない場所っていうのも、朔菜ちゃん的には許容できないみたいだった。
「あまり人目に付かない景色のいい場所……すぐに着替えられる……」
ほとりちゃんも頬に人差し指を当て頻りに首をひねりつつ、撮影場所に求められる条件を繰り返し口にしている。
「できれば海の近く!」
朔菜ちゃんが条件を追加した。
「それは難しいよぉ~! ユララが海辺の町育ちで朔菜ちゃんにこだわりがあるのは分かるけど。ここからバスに乗って行くとしても何時間もかかるし、ちゃんとトイレとか着替えられる場所があるかどうかも事前に確認しないとだし」
「だよねー」
ほとりちゃんの意見に朔菜ちゃんは項垂れて、もう考えるのに疲れたと言いたげな声を出している。
どこかを妥協するしかないのかと、諦めかけの雰囲気が漂っていた。そんな中。とびきりいい方法を提案してくれる救世主のような存在が、すぐ側にいた。
「あの……。取り敢えず海辺にトイレがあればいいんですよね? 知り合いが車を持ってて、もしかしたら乗せてくれるかも」
それまで無言で私たちの話を聞くだけだった沢西君が発言した。びっくりして左隣の彼を見る。
「えっ! お願いします!」
「ぜひぜひ、お願いします!」
朔菜ちゃんとほとりちゃんが透かさず沢西君の提案に乗った。今まであった淀んだ空気が一気に吹き飛んだように、二人の目が希望に輝いている。
「まだ頼んでみないと分からないですけど。今日頼んでみます」
沢西君が控えめな口調で言う。その後は、あっという間に日時や待ち合わせ場所等が決まった。
話が一通り終わって、私と沢西君は美容室を出る。
ほとりちゃんは「朔菜ちゃんに衣装の試着をしてもらうから」と、まだ少し残るようだ。
去り際、美容室の扉の前で朔菜ちゃんに呼び止められた。「何だろう?」と振り返った私に耳打ちしてくる。
「アンタの彼氏、イイ奴だね」
彼女は私へ、ニッと笑って見せた。
暖かい陽の光に照らされた商店街を、最寄りのバス停方面へ進んでいる。
「沢西君、朔菜ちゃんたち喜んでたね」
横を歩く沢西君に話しかける。
「自然な流れで、私も当日のメンバーに入ってて嬉しかった。朔菜ちゃんがユララになったところ、見てみたかったから。沢西君のおかげだね。ありがとう!」
「まだ車の事、頼んでないので何とも……。万一、その人に断られたら申し訳ないですねー。あの朔菜って人、内巻先輩と繋がりがあるじゃないですか。恩を売っておくのもいいかと考えたんです。それに……。坂上先輩も興味ありそうだったし。オレも休みの日に先輩と会えて嬉しいですし」
思いがけない沢西君の言葉に胸中、激しく動揺する。胸の真ん中を押さえて落ち着けようとした。
「嬉しいの?」
尋ねると彼は苦笑した。
「嬉しくない訳ないじゃないですか」
返答を受け内心、大いに混乱している。沢西君とはキスまでした。だけど彼は、私じゃない別の人が好きで。でも嬉しいと言う。
……分かった!
私は一つの可能性を導き出す。社交辞令だ。
復讐を為そうとする同志とは良好な人間関係を保っていた方がいい。きっとそう考えて言ってくれてるんだ。
「沢西君は私の事が好きなのでは?」という思考は切り捨てる。もう岸谷君の時のような、つらい恋はしたくなかった。
私はどうしたいんだろう。このまま想い続けて、沢西君が振り向いてくれると思っているのかな? 何て甘いんだろう。
俯く。悲しくなった。
告白したら、復讐で繋がったこの関係も失ってしまうかもしれないと……恐れていた。
『私が復讐できたと納得できたその時には、沢西君に打ち明けよう』
密かに決めて顔を上げる。それまで彼の「恋人」なのは私だ。誰にも譲らないし、目一杯に楽しんでおこう。後悔しないように。
「先輩? 今、何を考えてました? 何か企んでる顔でしたよ?」
訝しげな雰囲気で双眸を細めてくる。笑って答える。
「沢西君の事を考えていたよ。会えるの嬉しいって言われて、私も嬉しいなって」
決定的な告白は、まだしないけど。薄く好意を匂わせておく。相手の反応で私の事をどう思っているのか、ある程度は窺い知れるかもしれないと踏んで。
沢西君の目が大きく見開かれる。彼は神妙な面持ちで私と向き合う。
「先輩この後……時間大丈夫ですか? 一緒に来てほしい所があるんですけど」
「うん分かった。どこに行くの?」
「真っ直ぐ帰ってしまわず、まだ一緒にいられるんだ!」と……。心の内で、とても喜んでいた。
沢西君は一呼吸置いてから誘ってきた。
「オレの住んでるマンション。一緒に来て」
川沿いにあるバス停で下車する。
五分も歩かないうちに……七、八階建てくらいのマンションが見えてきた。川に並行するように横に長い造りで、一階は駐車場になっている。
「沢西君のお家……! ドキドキしてきた。急にお邪魔して大丈夫なのかな?」
「全然大丈夫です。散らかってますけどね」
沢西君に続いてマンションの中へ入る。エレベーターで彼は、四階のボタンを押している。四階でエレベーターを降り、沢西君の後を追う。通路の中頃で沢西君の足が止まった。インターホンを押している。
「はい」
インターホンから応答があった。落ち着いた印象の男性の声だ。沢西君がインターホンに向かって言う。
「オレ。理(さとし)兄ちゃん、ちょっと頼みたい事あるんだけど……。今からうちに来れる?」
「分かった。今、電話中だから……もう少しして行く」
話を終え、沢西君が歩き出す。インターホンで会話したお宅の隣家の戸を開け、中へ入って行く。
「どうぞ」
促され、戸の内へ足を踏み入れる。
「お邪魔します」
玄関の先に廊下があり、その奥は広いLDKになっている。窓際にテレビがある。テレビの前には、ヘッドホンを装着しゲームに熱中している人物の姿があった。
「あれ、うちの兄です。ちょっと残念なところがあって……。大目に見て下さい」
沢西君は私に微笑み、こちらに背を向けたまま弟の帰宅にも気付いていない様子のお兄さんに近付いて行く。沢西君がお兄さんの頭部にあったヘッドホンを掴んで外した。
「なっ! 何す……えっ? 誰? まさか彼女?」
「そうだよ」
えっ?
お兄さんの問いに即答した沢西君を、驚いて見つめる。
『彼女』……! 彼女って紹介してくれた! 本当は違うって分かっていても、凄く嬉しい。
沢西君のお兄さんは沢西君に似た顔立ちで、眼鏡はしていない。やや外側に撥ねている若干長めの黒髪が特徴的で、少しよれっとした白地に茶色のチェック柄シャツを着用している。猫背だ。
お兄さんはポケーッとした表情で私を見上げている。
「先輩、兄の花織(かおる)です。花織、坂上明さん」
沢西君が紹介してくれて、慌てて頭を下げた。
「初めましてっ! よろしくお願いします!」
「は……はあ。どうも」
沢西君のお兄さんも、この急な状況に戸惑っている様子だった。狐につままれたような顔をしている。そんな時、インターホンが鳴った。
「理兄ちゃんだ」
「ゲッ! アイツ呼んだの?」
沢西君がドアを開けに行った。沢西君のお兄さんは来訪者の名を聞いて露骨に顔を歪めた後、テレビに向き直りゲームを再開している。
キッチンの横にあるドアを開けて沢西君と「理兄ちゃん」と呼ばれる人物が入って来た。
私より三、四歳くらい年上に見えるその人は……今まで見たどんな人よりも美形だった。黒のサラサラした髪はさっぱりと整っている。切れ長の双眸で、背もドアの縦の長さくらい高い。スラッとした体型に黒のシャツが何とも格好いい。綺麗過ぎて凝視してしまう。
「先輩、こちら理兄ちゃん。大学生で、うちの兄と同級生。隣に一人暮らししてる。理兄ちゃん、彼女の坂上先輩」
「桜場理です」
「坂上明です」
沢西君の紹介後、お互いに名乗った。「理兄ちゃん」と呼ばれているその人は、物静かな性格なのかもしれないと感じる。落ち着いた雰囲気で表情に笑みらしきものが微塵も見当たらない。悪く言えば不愛想な気もするけど。怜悧に思わせる眼差しが美し過ぎて、クールと表現した方が近いのかもしれない。
こちらに背を向けゲームに熱中している沢西君のお兄さんを、お隣のお兄さんが見ている。近付いて行ったお隣のお兄さんは、沢西君のお兄さんの頭にあったヘッドホンを引き剥がした。
「なっ……! 何すんだよ!」
沢西君のお兄さんが振り向いて抗議している。
「お前もそろそろ現実に目を向ければ? まだアニメのキャラに拗れてんの?」
お隣のお兄さんの言葉に、沢西君のお兄さんは「ぐっ」と呻って床に手をついた。彼の握り締めた拳が震えている。内にくすぶった感情を吐き出すが如く、沢西君のお兄さんの声は切実だった。
「現実の女で妥協する訳ないだろ? 二次元こそ至高! 幻想の中だけだよ。オレの想い人がいるのは」
「……難儀な奴だな」
沢西君のお兄さんの返答を受け……お隣のお兄さんは呟いた後、閉口している。沢西君のお兄さんの話は続いていた。
「オレも子孫を残す為に、彼女を作らないととは思ってるんだ。でも……どうしても現実の女には、幻滅してしまうんだ! すまん!」
沢西君のお兄さんが、勢いよく頭を下げた。私に向かって土下座する体勢になっている。私へ謝られたみたいで、複雑な気持ちになる。
隣に立っていた沢西君に、コッソリ呟く。
「お兄さん、何か……不憫だね」
「うん。こういう奴なんだ。よろしく」
沢西君も、苦い顔で笑っている。
「理兄ちゃんって免許持ってたよな? 車も。頼みって言うのは……」
沢西君とお隣のお兄さんが、少し離れた場所でこそこそと話し始めた。きっと例の件だ。
でも何故か、沢西君のお兄さんには聞かれたくない話のようだった。「もしかしたら花織の弱みになるかもしれないモノが手に入るかもしれない」「……何?」という、内容の一部分が聞こえたからそう感じた。
その時には既に、沢西君のお兄さんはゲーム世界に戻っていたので気付いていないと思う。
「分かった。いいよ」
お隣のお兄さんは了承してくれた。
「で? 俺をここに呼んだのって、もしかして……」
沢西君と話していたお隣のお兄さんがこっちを見た。
「花織はゲームに夢中だし……成程ね」
今まで無表情だったお隣のお兄さんの口角が上がり、薄ら笑みが作られている。
「ねぇ、坂上さん。せっかく来たんだし、春夜の部屋でお茶でも飲んでいきなよ」
それまでのクールな面持ちが一変し、ニッコリと笑いかけてくるお隣のお兄さんにたじろぐ。神々しい程の美しさに目が潰されそうだ。
「いやほら……オレの部屋、散らかってるし……彼女も遅くならないうちに帰らないとだし……」
沢西君が視線を下方に彷徨わせつつ理由を並べる。お隣のお兄さんは何か見透かしたような目付きを沢西君へ送った後、私へ視線を戻してくる。
「坂上さんも、春夜の部屋を見てみたいよね?」
