あかねは、
「本当に、痛くもなんともなかったし、怪我もないし、気にしなくていいんだから」
と言ってみたものの、今夜のケネスは過ぎるほど過保護に豹変していた。
今キッチンに立っているのも、ケネスだ。
あかねはソファに座らせられて、今夜は寝るまでそこから動かなくてもいい、とのことになっている。
「イライラしてたみたいだから、これを淹れてあげなきゃ──って思ったの。ちょうど切らしていたところだったから、買いに行ってただけで……」
あかねはケネスが差し出す温かいカップを受け取りながら、そう言った。
そう、あかねは歩いて数分のコーナーショップへ出向いていただけだったのだ。買ってきたのはハーブのティーバックで、根っからのコーヒー党のケネスが唯一好んで飲むブランドのものだった。
「おいしい……」
と、カップに口をつけるあかねの横に、ケネスはゆっくりと腰を下ろした。
しばらくあかねの顔を見つめてから、彼女の肩に腕を回して抱き寄せると、ケネスは小声でSorry、と呟く。
「こういう雨が降ると急に、意味もなく苛立つことがある。もし次、俺が同じことをしたら、張り倒してくれて構わないから」
「う、う~ん……」
あかねがケネスを張り倒すとなると、武器でも使わなければ無理のように思えるのだが。
「……理由を、聞いてもいいですか?」
「下らないよ」
ケネスはそう自嘲して、大まかな経緯をあかねに語りだした。
母のアルコール依存症、雨になると彼女の機嫌が悪くなり、暴力を振るわれたこと。そのお陰で雨の屋外を当てもなくさすらった過去……。
あかねは真剣な顔で全てを聞いていた。
「だからって俺のした事は正当化されない」
「もういいんです。わざとじゃないって、すぐに分かったから……あの直後のケンってば、すごい顔してたもの。こう、英語でなんて表現するんでしたっけ、本で読んだことがある……」
視線を泳がせながら、あかねは言葉を探していた。
そしてあっと声を上げると、手を打つ。
「そう、『間違って自分の子供を頭から食べてしまったような顔』!」
「……そんなに酷かったのか?」
「ふふ、少なくとも、怒る気にはならない顔でしたよ」
あかねの笑顔につられて、ケネスもわずかに微笑した。
自分はなんて幸福なのだろう。
こんな女性と巡り合い、罪を許され、笑顔を見つめることができる。
過去のわだかまりも、あの頃流した涙も、凍えた思い出も、今の幸福と天秤に掛ければ、軽いものだったのではないか……。そう思えるのだ。
「ただ……今夜、分かったことが一つある」
ケネスは告白した。
「俺を叩いた後の、母の気持ちが。叩かれたのは俺なのに、いつも彼女の方が驚いて傷ついた顔をするんだ。あの頃はなぜか解せなかったが……今はなんとなく分かるよ。やりたくてやった訳じゃないんだな、多分。最悪の気分だった」
指先であかねの髪を弄りながら、そう言って、彼女の首元に顔を埋める。
あかねもケネスの髪に触れた。
「いいアイデアがあるの。次……こんな雨が降ったら、ご馳走にしたいなって」
「ごちそう?」
「例えば、ですけど。ケンの好きなものを沢山作って、豪華な食事にしたり、友達を呼んだり……何か楽しいことをするんです。そうやって少しずつ楽しい雨の日の思い出を作っていけば、いつか苛立ちも消えてなくなるんじゃないかなって、思って」
こんなのは駄目? と、小首を傾げるあかねだ。
ケネスは微笑んで、彼女のあごに手を当てると、ゆっくりとキスを落とした。
「Good idea」
そう呟いて。


