ケネスはあれ以来あかねに愛を囁かなかった。
時々『可愛い』とか、そんな種類の言葉をくれることはあったが、それだけだ。それが一週間経った今でははっきり浮き彫りになって、あかねを不安にさせた。
もしかしたら、ただ、あかねの生活を助ける意味でここに連れて来たのではないか、と。
愛しているからではなくて。
ただ──
あかねはきゅっと下唇を噛んで眉を寄せた。そんな時、
「Your boyfriend?」
急にそんな青年の声が聞こえて、あかねは振り返った。
すると左隣に、茶色い髪の白人青年が立ちながらあかねを見下ろしている。携帯に視線を集中させていたせいで気が付かなかったが、青年はすでにしばらくここに居たようで、あかねがカウンターの上で握っている携帯に目配せした。
「英語、喋れるよね。さっき通話してるところを聞いてしまったんだ。相手は彼氏?」
ゆっくりとした口調で聞いてくる。
あかねは返事に困った。こちらの人は人懐こいから、ただ隣接した席に座るよしみで話しかけてくる人も多いし、誘われているのかどうかという境界線がまだよく分からない。
「いえ、そういうのかどうかは……」
質問の答えも。
また曖昧で、あかねは濁した返事をした。すると青年は人懐こそうな大きな瞳を輝かせて、あかねの席の隣に座った。
「よく分かるよ。複雑だよね、男女の仲は」
と、おどけた調子で言いながら。
手にはあかねと似たようなマグ・カップがあって、美味しそうな湯気を立てている。彼の口調が可笑しくて、あかねはつい小さく声を漏らして笑ってしまった。
彼はそれに満足そうな笑みを返す。
「僕はチャールズ。英国王ではないけど、同じ名前だ」
あかねには高すぎるカウンター席だが、彼が座るとしっくりくる。態度も穏やかで、服装もしっかりしている。あかねは警戒心を解いた。
「……あかね、です。呼びにくいでしょうけど」
「ア・カ・ネ?」
「はい」
「ふぅん、綺麗な名前だ。日本人だね」
チャールズと名乗った青年は、カウンターに身を乗り出すような格好で、隣の席のあかねを覗き込む。
この席は外を見渡せる窓際に張り付いているもので、あかねは、もしケネスが来てくれたら見つけやすいだろうと思ってここを選んだのだ。
こちらからも外がよく見えるし、外からも見やすい。
ケネスの仕事場はここから目と鼻の先だ。
しかし、どうも望みは薄そうだ。仕事中に電話を掛けてしまったのも失敗だったようだし、相変わらず忙しそうな雰囲気だった。
まだ知り合いの少ない寂しさもあって、昼食くらい一緒に……と望んでいたのだけれど。
そんな事はもちろん、このチャールズは知らない。
「もう三日は太陽を拝んでいない気がするな。日本の冬もこんな感じなのかい?」
「いえ、寒いですけど、太陽は見える日の方が多いくらいですよ」
チャールズは何気ない感じで、天気の話を始めた。
あかねも気負わず答える。
チャールズ青年は明るく話し上手で、人を会話に引き込むのが得意なのタイプなのだろう。気が付くとあかねは笑顔になっていた。


