悪女な私とは婚約破棄してください。なのに、冷徹社長の猛愛からは逃げられない

 バンケットルームの壁際に追いつめられた状態で、志桜は自分より頭ひとつ長身の彼を見あげる。愛奈の前にいたときとは違い、楓の表情は凍りついたように動かない。静かすぎる瞳、口角のあがらない薄い唇。

(どう考えても、さよならを告げる顔よね? 聞き間違えた?)

 たった今、聞いた台詞をどうしてものみ込めず、志桜は彼に尋ね返した。楓の顔がスッと近づく。吐息が耳にかかる距離で、彼はもう一度同じ言葉を口にした。

「君のお望みの婚約破棄。そう簡単に応じてやる気はないから、そのつもりで」

 氷の瞳が、ほんの少しだけ溶けて目尻がさがる。たったそれだけで、ずいぶんと優しい印象になるのだなと少し驚いた。

(い、いや。そうじゃなくて!)

 彼は志桜の左手のシャンパングラスに目を走らせて、あっさりと話題を変える。

「グラスが空だ。なにかもらってこよう」

 こちらの返事も聞かずにスタスタと行ってしまう楓の背中を、志桜は呆然と見送るしかなかった。

(ど、どうしてよ? 私はただ、円満に婚約を解消したいだけなのに)