悪女な私とは婚約破棄してください。なのに、冷徹社長の猛愛からは逃げられない

 事情を説明し、詳しい内容は別途書面を用意すると伝えればいいだろう。ドタキャンされたという印象を、先方に与えないだけでも意味はあるはず。
 愛奈がホッとしたように表情を緩める。

「本当? ありがとう! 待ち合わせ場所はここで、約束は七時だから」
「わかった。仕事は私に任せて、愛奈は早くおばさまのところへ」

 父が急に倒れてそのまま帰らぬ人となったあの日のことを志桜は思い出していた。愛奈が決して同じ思いをしなくて済むよう、祈るような気持ちで彼女を見送った。

 愛奈の背中が見えなくなってから、志桜は受け取ったショップカードに目を落とす。場所は六本木、今から向かえば十分に間に合う。
 駅の方角へ足先を向けた瞬間、ふと心臓がざわめいた。うまく言い表せないけれど、嫌な予感に胸を覆われる。

『小学生のイジメと同じですよ』
『人間には色んな顔がある。一面だけ見ていても、その人を理解するのは難しい』

 蘭や楓の忠告がいやにはっきりと耳に蘇った。

(いやいや、この件にかぎっては!)

 志桜が愛奈を見つけたとき、彼女はもう誰かと電話をしていたのだから。そもそも、愛奈の母が大変な状況なときに……一瞬でもそれを疑った自分に嫌気が差す。
 心のモヤモヤを振りきって、志桜は駅に向かって足を速めた。