春、空気の底にまだ冷たさを残したまま、校門の桜だけが満開に咲き誇っていた。
——その日、私は伊達雪菜(だて ゆきな)として、初めてこの高校へ足を踏み入れた。
「……わあ、ほんとに桜きれい」
鞄を抱えたまま見上げていると、風が吹く。
花びらが舞って、視界が淡い桃色に染まった。
その時だった。
桜吹雪の向こうから、ひとりの男子が、ゆっくり歩いてくる。
黒い特攻服の上から制服の上着を羽織る雑さ。
片耳に光るピアス。
鋭い瞳は、笑っているのに冷たくて。
周囲の新入生たちがざわつく。
「え……あれ、織田時雨じゃね?」
「黒焔の総長だろ。なんで入学式に……」
織田時雨——暴走族“黒焔”の絶対的総長。
この近辺じゃ知らない人はいない、危険な名前。
でもその時、彼は周囲なんて見ていなかった。
まっすぐに、私だけを見て歩いてきた。
距離が、どんどん縮まる。
心臓が痛くなるくらい速くなる。
そして、目の前で立ち止まった。
彼の低い声が、桜の中で落ちてくる。
「……雪菜」
え、初対面なのに——名前、知ってるの?
「伊達雪菜。——伊達政宗の血、だろ?」
呼吸が止まった。
家のことは滅多に口にしないのに。
「なんで……」
質問する前に
彼の指がそっと私の手首を掴んだ。
優しいのに、逃げられない強さで。
「俺、お前が好きだ」
……え?
「初めて見た瞬間から、ずっと目が離れなかった。
雪菜は俺の運命だ。逃がす気、ねぇから」
近い。
呼吸の音が聞こえるほど近くて、頬が熱くなる。
私は震える声で呼んだ。
「……時雨、くん……?」
すると彼は、わずかに目を細めて笑った。
「雪菜、その呼び方やばい。もっと言ってみろ」
風が揺れる。
時雨の黒髪が、桜の花びらをまとって揺れた。
「俺は、天下を取る瞬間をお前に見ててほしい。伊達の姫を、織田の俺が奪う——そんな時代が来る」
そして耳元で囁く。
「離さない。
……俺から逃げられると思うな」
桜の花びらが、ふたりの間に落ちた。
その瞬間、運命が音を立てて動き始めた気がした。
伊達の血を継いだ私と、
織田の血を継いだ彼の——危険で甘い恋が。



