「……ありがとうございます」

 ここでUターンできるほど、結香の精神は強くなかった。
 静々とエレベーターに乗りこみ、何となく、なるべく端の方に移動する。

 ここから一階に到着するまで、途中で停止することがなければ一分にも満たない時間だ。結香は心の中で早く着くように祈った。もしくは、誰かが乗りこんできてくれることを望んでしまう。二人きりの沈黙が気まず過ぎるからだ。

「今朝のことだけど」
「ぅえっ」

 けれど、まさか相手側から朝の出来事を蒸し返されるとは思っていなかったので、結香は素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
 けれど彼は慌てる結香を気にした様子もなく、話し続ける。

「何か言っていただろう? お香やアロマの可能性もある、とか……あれはどういう意味なのか、聞いてもいいかな」
「あれは、その……」

 結香が口ごもっていれば、エレベーターが一階に到着した。

 結香はホッと胸を撫でおろした。この空間から抜け出せれば、このまま有耶無耶にできると思ったからだ。

 けれど、先にエレベーターから下りた彼は、結香が下りてくるのを待っている。

 ――どうやら、逃げることは叶わないみたいだ。