呼び止められるなんて思わなくてびっくりした。
盗み見ていたみたいで気が咎めて、振り向けないまま固まってしまう。
そのうちに先輩が歩み寄ってきた。
「ここで会えるなんて。きみと話したかったんだ」
「わたしと……?」
にこやかな笑顔は相変わらず甘い。
置いてけぼりにされた彼女を思わず窺うものの、彼女は軽い会釈とともに教室に戻っていってしまった。
わたしと、というか、わたしとも、じゃないんだろうか。
つい不信感の込もった眼差しを向けるけれど、彼は構わずいっそう笑みを深める。
「俺、春野さんのこともっと知りたい。きみと仲良くなりたいんだ。ねぇ、どうすればこっち向いてくれる?」
「え……」
何だか随分と距離が近くて動揺した。
というか、一気に詰められた。
積極的でストレートな言葉が胸に刺さる。
「あーあ、もっと早くに近づいておくんだったな。もどかしくてたまらない」
伏せた睫毛の影が揺れる。
彼の手がゆっくりと伸びてきて、反射的にあとずさってしまった。
あ、と思ったときには彼も動きを止め、ちょっと惑うようにわたしを窺っていた。
すぐに我に返った様子で、だけど深刻に受け止めることなくいつも通り笑う。
「……正直になるのが遅すぎたよね。何か春野さんの前だと自信がなくて。ちゃんと伝わってない気がする」
言いながら肩をすくめた先輩の目には、熱が宿ったままだった。
だけどそれで心を溶かされてしまうほど冷静さを失ってはいない。
「それって、どういう……。わたしの勘違いじゃない、ってことですか?」
先輩の気持ちが、想いが、自分に向いているというのは錯覚じゃない。
そう信じてもいいのかな。
それを願ったわけじゃないけれど、どうしたって心臓が騒いだ。
「大胆だね」
意外そうにこちらを見つめ、ふわりと唇の端を持ち上げる。
「そんなつもりじゃ……」
「んー、でもそれに答えるには……先に教えてくれないと。“勘違い”って、何を期待してるの?」
隙のない双眸に捕まって、瞳が揺れるのを自覚した。
面白がるような余裕の笑みを見せられる。悔しい。
「……ずるいです」
「花菜ちゃんの方がずるいよ。俺の気持ち知っててそういうこと言うんだから」
それはもう、いっそわたしの問いに対する答えにしか受け取れない。
けれど、やっぱり何となく本心が見えづらいという心象は覆らなかった。
こうして向き合ってみても、厚い壁に覆われて覗けもしない。
わたしは彼のことを1ミリも知らない気がする。



