教室を飛び出した瞬間、誰かとぶつかりそうになって慌てて止まる。
弾かれたように顔を上げると、そこにいたのはまさに郁実だった。
普段と何か変わった様子は見受けられない。
「びっくりした。花菜?」
「もう……よかった。どこ行ってたの」
自分でも戸惑うくらいほっとしていた。
張り詰めていた呼吸が緩やかに戻り、指先から力が抜ける。
「ちょっと購買行こうかなって思ってたところだったけど……」
「あ……そうだったんだ」
どうやら郁実は“今日”のこの時間、購買に行くために教室を空けるみたい。
けれど、わたしとはすれ違わなかった。
タイミングのずれだろうか。
「それ」
そんなことを考えていると、ふと彼の目がわたしの手元に留まった。
そこには先ほどもらったばかりでまだ手つかずの紅茶がある。
「あ、柊先輩にもらったの。たまたま会って……」
何気なく一部始終を口にしようとしたものの、ためらいが生まれてつぐんだ。
先輩の甘い笑みと言葉が蘇ってきたせいで。
何となく、郁実に詳しく話す気にはなれない。
「……あの人か」
呟かれたその声色はどこか暗かった。
「知ってるの?」
「知ってる。話したことはないけど。でも、いつもちがう子を連れてるイメージ」
郁実は肩をすくめて苦笑する。
その表情まで曇っていて、胸の内側をつままれたような気がした。
頭によぎったのは“昨日”見かけた、ショートヘアの女の子と笑い合う先輩の姿。
お互いに向ける眼差しは親しげに見えた。
それでいて積極的にわたしに近づくのは、わたしのことをからかっているだけじゃないのかも。
郁実の言うような、彼を取り巻く女の子たちのうちのひとりにしたいからなのかな。
そんな軽い人には見えなかったのに。
だけど、本心が見えないのも事実だ。
「……それさ、僕にくれない?」
思わず目を伏せたとき、郁実が口を開く。
しなやかな人差し指の先は紅茶に向けられていた。
「え」
「花菜がよかったら、だけど。喉渇いたなって」
真面目な顔でそう言う彼を見ていたら、つい小さく笑ってしまった。



