アーサ王子の君影草 下巻 ~約束の箱庭にて、再び~

 声は弱々しく聞こえるが、その語尾は僅かに温度が低い。

「激しい頭痛が長く続くと……その前後の記憶が白く濁って、時には……自分が誰だったのかすら分からなくなります」

 言いながら、ハリの胸の奥では別の感情が笑っていた。
 ラインアーサが静かに問う。

「……それは何時からなんだ?」

 ハリは一瞬だけ視線をずらし──本当に思い出せないのだ──と言わんばかりに淡く微笑む。
 普段から滅多に表情を変えないハリの微笑にラインアーサは意表を付かれた。

「この国に来た時には……もう、既に。記憶の断片だけが指の隙間から零れるように、掴もうとしても霧に溶けてしまうんです」

 そして、弱々しく肩を落としてみせる。

「役に立てず……申し訳ありません」

 元々表情の薄いハリの心の内は誰にも分からない筈だ。しかし、ライオネルの瞳の奥が揺らぐ。これは〝違和感〟を捉えた時特有の感覚なのだろう。

「……そうか。それは本当に辛い事だろう。記憶は急かすものではない。思い出せるものだけ、思い出せばよい」

 言葉はあくまで穏やかだがライオネルは思考を止めなかった。ユージーンも無表情に近い顔で一度瞬きをし、僅かに首を捻る。
 
 ──ハリの言葉には「意図的な隙間」がある。年長者たちの長年の経験と勘がそう告げていた。
 更にはジュストベルがライオネルの元、控えめに頭を下げ小さく耳打ちする。その所作は当然の様に整っているが、ハリを見やる視線だけは鋭い。