伸ばした指先が、そっと目の前の頬に触れた。
「なんで、泣いてんだよ……………」
つぅ、と頬を伝う涙が、夜の光に細く光る。
その一粒が、やけに重く見えた。
……なんでだ。
なんでお前は、こんなにも脆くて、今にも夜の闇に溶けて消えてしまいそうなんだ。
生意気で、少し口も悪くて、
常にこっちを振り回してくるような奴だったはずなのに。
今の俺には、目の前の存在が“誰なのか”さえ分からなくなっていた。
お前は、一体────
「もう、私から離れていかないで………っ……」
その声に、思考が止まる。
ギュッ、と。
俺の特攻服の胸元を、小さな手が掴んだ。
縋るみたいに。
必死に、逃がさないように。
その力が、あまりにも弱くて。
なのに、どうしようもなく強くて。
その瞬間だった。
胸の奥で張りつめていた何かが、音を立てて切れる。
(……は?)
怒りじゃない。
混乱でもない。
さっきまであった“疑い”とか“違和感”とか、そんなもん全部どうでもよくなっていた。
ただひとつ、胸の奥から溢れてくる感情だけが、やけに鮮明だった。
独占欲よりも。
支配欲よりも。
もっと深くて、甘くて、痛いほど重いもの。
──愛おしい。
それ以外の言葉が、見つからない。
この感情の正体が、分からないまま。
ただ確かに、俺の中に落ちてきていた。
「蓮、さん……っ……」
震える声。
その唇が、俺の名前を形にする。
………それだけで、喉の奥が焼けるみたいに熱くなる。
その瞳に映っているのが“俺”だという事実だけで、立っていられないほど心臓が跳ねた。
(……そんな顔、すんな)
(そんな声で、呼ぶな)
……俺以外に、見せるな。
そんな言葉が、喉の奥で形になりかけては崩れていく。
「………っ……///」
息が詰まる。
目の前の存在が、“守るべきもの”から“守りたいもの”へと変わる瞬間。
その境目は、あまりにも一瞬だった。
崩れていく。
これまで積み上げてきた価値観も、理屈も、全部、全部………。
──世界が、反転する。
灯台の光が、その背中を照らしていた。
銀色の波が寄せては返し、まるで何かを祝福するみたいに揺れている。
俺の人生に、こんな光景はもう二度と来ない気がした。
いや、来なくていい。
ただひとつだけ。
今ここにいる“こいつ”だけは──
俺はもう、離さない。
たとえ、この手の中にあるものが、どれだけ嘘を重ねていたとしても。


