「え………じゃあ、ただの私の思い上がり……?」
桃華さんは拍子抜けしたように目を丸くした。
………頬を濡らしていた涙が、どこか気恥ずかしそうな赤みに変わっていく。
「そもそも……あの時僕がその話題を口にしたのは、橘花さんを戦場に連れて行きたくなかったからで………」
「そ、そうなの………?」
「は、はい……だから、別に言いふらそうとか、そんなことは一切ないです。」
私は苦笑い混じりに頷く。
人の恋愛事情にどうこう言うつもりはいないけど………拗らせてるなぁ。
「…………」
私がはっきりと言葉にすると、彼女は急にうつむいてしまった。
細い指先が、スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
「た、橘花さん………?」
「椎名くんは、優しいのね。………大体の人は、少しでも月華の弱みになることなら利用するから。」
「─────」
ドクン、と心臓が跳ねた。
……優しい? 私が?
胸の奥に冷たい氷を飼い、嘘で塗り固めた少年を演じているこの私が、優しいはずがない────。
「…………だから、ありがと。今まで全部一人で抱え込んできたから、秘密を共有できる相手が出来てよかった。」
「橘花さん………」
彼女は、泣き顔からは一転、晴れやかな笑顔を見せた。
重荷を分け合えた安堵からか、その表情には一片の疑いもない。
騙されているとは知らずに、敵であるはずの私に笑顔を振りまいて。
(優しいのはむしろそっちの方だよ………だけどね、その優しさは後に命取りになるんだよ、お姫様。)
「あ、そうだ……出来れば私のこと、名前で呼んでくれる……?”橘花”って呼ばれるの、あんまり好きじゃないの」
彼女は少しはにかみながら、上目遣いで私を見た。
名字で呼ばれることは、彼女にとって”家”という檻や、あるいは”姫”という理想を押し付けられているように感じるのかもしれない。
「あ、じゃあ………桃華さんで。」
「私も………椎名くんのこと、名前で呼んでもいい?」
「はい。……もちろん」
「ふふ、由良くん。……あらためて、よろしくね」
偽名である”ユラ”という響き。
本来なら、誰に呼ばれても心が動くはずのないただの符号。
……………なのに。
「…………はい。よろしくお願いします、桃華さん」
差し出された小さくて白い手。
それを握り返す私の手は、彼女の熱を吸い取ってしまいそうなほど冷たかった。

