***
冨羽さんと同居生活がはじまって、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
その間、私は何も考えなかった。
もうすぐ迫っている結婚相手との顔合わせのことも、仕事のことも、父のことも、自分の未来のことでさえあえて考えないようにしていた。
同居してすぐのとき、彼が言ってくれた『いろんなことを俺と体験していこうよ』と言ってくれた言葉とおり、冨羽さんは私をいろんなところへ連れていってくれた。
夜の遊覧船に乗って冬の花火を特等席で見せてくれたり、彼が所有している船に乗って魚釣りをしてみたり、質の良い雪が降る場所まで行って初めてスキーを体験した。
仕事で忙しいと言っていた冨羽さんは、どれだけ遅くなっても必ず帰ってきてくれる。
私が作る料理を全部美味しいと言って完食してくれたり、後片付けを手伝ってくれたり、毎日が本当に新鮮で、楽しくて、そして幸せに満ちていた。
そんな冨羽さんの優しい部分に触れ続けていた私は、当然のように彼に惹かれていった。
この感情を彼に持つべきじゃない。どれだけ嫌がったところで、今の私には顔も知らない婚約者がいる身なのだから。
そう何度も自分に言い聞かせては、父から逃げるために手助けしてくれている恩人だと思うようにしていた。
けれど、何度そうやって冨羽さんを恋愛以外の枠に収めようと試みても、あの人懐っこい笑みを見るたびに、耳によく馴染むあの声を聞くたびに、私の中に芽生えた感情はメキメキと育っていってしまう。



